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2018年11月15日 (木)

須磨の史跡を訪ねて7km

 11日(日)は「平清盛生誕900年記念〜こうべ健康ウォーク」という催しに参加しました。須磨の史跡を訪ねて歩くものです。距離は7kmと少なめで、物足りないかな? と思いながらも参加したのは、立ち寄るスポットに興味を引かれたからです。
 「JRふれあいハイキング」の一つですが主催者はNPO法人須磨歴史倶楽部という地元の歴史を研究しているグループ。須磨観光協会共催で、須磨区役所が協力していました。

 9時半にJR鷹取駅に集合。参加者の人数が少ないなと思ったら、須磨区役所まで歩き、ここでたくさんの人が合流しました。
 主催者の挨拶と説明のほか、区長さんも挨拶。25人ずつ4つの班に分かれて、間隔を開けながら出発します。

 今回良かったのは、主催者から各スポットや道筋できちんと説明をしてもらえたことです。しかも、奈良時代に遡るような詳しいお話をたっぷり聞くことができました。
 須磨歴史倶楽部の皆さんは高齢の男性ばかりでしたが体も頭も元気いっぱい。日頃から須磨近辺を歩いたり、さまざまな文献や古地図を調べたりしているようです。

 コースは妙法寺川沿いの道から山手に歩き、勝福寺へ。988年の創建です。清盛が寄進した密教の宝具、花瓶(けびょう)、火舎(かしゃ)、六器(ろっき)は重要文化財で、現在は大阪市立美術館に収蔵されています。この日は火舎のレプリカが本堂の入り口に展示されていました。近辺は閑静な住宅街で心地良く歩けました。

 南西へ歩き、天井川、離宮道、そして松風村雨堂です。能の「松風」を見て感動したことがあるので、一度訪れてみたいと思っていました。
 9世紀の中頃、恋人だった在原行平を偲んで松風・村雨姉妹が住んだと言われる観音堂の跡です。行平が都に帰るとき、二人に残したとされる歌「立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む」を彫った歌碑。古今集にあり、百人一首でもおなじみです。逆光になってしまいました。
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 行平は天皇の悪口を言って須磨へ流罪になったとされていますが、それは虚構で、実際には在原氏が芦屋に領地を持っていたので静養に来たのではないかとのお話でした。

 行平が衣を残した衣掛の松跡。この松は3代目だそうで、しかも雷でも落ちたのか、地上1mのあたりで折れています。

 

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 松風・村雨は元々は「もしほ」「こふじ」という名前だったのだそうです。

 重衡捕らわれの松跡。

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 平重衡は南都の寺々を焼き討ちにした人物。1174年、鎌倉方に捕らえられ、鎌倉に送られたのち、南都側の強い要求で奈良へ移送されることになりましたが、途中で処刑されました。南都側に引き渡したのではどんな残酷な目に合わせるかもしれないとの危惧があったのだそうです。

 頼政薬師(浄福寺)。須磨寺の末寺で、源三位頼政が再興したお寺です。能の「頼政」を見たので、ここにも関心がありました。阪神淡路大震災で倒壊し、その後再建された建物には風趣は感じられませんでした。

 須磨智慧の道(須磨寺へと続く昔ながらの商店街)、須磨寺。

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 義太夫の合宿で何度か来ました。境内が広々としています。元はもっと広大な領地を持っていたのだそう。その多くがいまでは住宅地になっています。
 本堂は重要文化財。

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 三重塔もそびえています。

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 敦盛首塚、敦盛の青葉の笛(本来は「さえだの笛」という名前だとのこと)など史跡や宝物が多数あります。

 与謝蕪村の句碑。

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 芭蕉も訪れているのだそうです。

 JR須磨駅に近い現光寺がゴールです。芭蕉の句碑が建っていました。

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 「見渡せばながむれば見れば須磨の秋」。

 ゴールでは生地のしっかりした白いタオルをもらいました。「須磨歴史倶楽部」の名前が入っています。参加費無料のイベントなのに、驚きました。

 好天で、コースは概ね静かな道を歩くので快適。詳しく説明をしてもらえるのが何より面白く、楽しめました。

 

2018年11月 8日 (木)

阪急山本から能勢電滝山へ11キロ

 11月3日(土曜で祝日)、「阪急・のせでん合同ハイキング」に参加して11kmを歩きました。コース名は「宝塚・伊丹・川西の廃線跡を探して歩く〜JR中山寺から荒牧バラ公園・摂津鉄道跡コース」です。
 先日の「JRふれあいハイク」とは違い、この催しは民間団体でなく電鉄会社が主催して行なっていました。

 朝9時半から10時の間に、阪急電車宝塚線山本駅のそばにある山本新池公園で集合。9時15分頃に着いたら、すでに100人くらいのハイカーが並んでいました。9時半に主催者から簡単な説明があり、それまでに集まっていた人は出発します。その後も10時まで受付が続き、順に出発したらしいです。
 お天気は最高にいいし、参加費は無料なので、おびただしい人数が参加していました。

 ひなびた雰囲気の住宅街や道路脇の道を歩きました。10時15分に荒牧バラ公園に到着。しばらく散策を楽しみました。川西市文化財資料館を経て、鴨神社へ。

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 ここで昼食。まだ11時10分だったので、そのまま歩き続ける人も少なくありません。私は早起きしてお腹が空いていたので、お弁当を済ませました。

 猪名川沿いの広々とした道を上流へ登ります。川を眺めながら歩くと清々しい気分になれます。

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 途中、ベンチが整備されている場所があり、2つ目の昼食ポイントとして設定されています。ここでお昼を食べる人たちもいました。

 桜並木の紅葉が美しい。葉の数が少ないのは、この夏の暑さにやられて早く落ちてしまった葉もあったからでしょう。

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 水鳥の姿が見えました。

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 能勢電鉄滝山駅に近い出在家健幸公園が解散の場所でした。参加者は全部で1151名だったとのこと。びっくりしました。

 ホームページに前もって掲載されていたコース紹介では、途中の見どころとして「第二次対戦中に当時の国鉄線から分岐していた軍の専用線跡に沿って進む」「明治中期に開業した摂津鉄道軌道跡付近(を歩く)」などと書かれていたので、それも楽しみにしていたのですが、それぞれの場所に説明してくれる人がいるわけではなく、全然わからないまま通り過ぎてしまいました。

 その点が残念でしたけれども、何せ参加費は無料ですし、1000人以上もの人が歩いているのではいちいち説明もできなかったでしょう。
 要所要所にスタッフが立っていて、道案内はしてもらえました。それに、長い時間にわたってハイカーが三三五五歩いているので、例えば文化財資料館に立ち寄るなど好きな場所で好きなように時間を使っても、また元の集団に戻れます。そこが融通がきいていいなと思いました。

 前回、ウォーキングシューズを履いて行って終盤で足の裏が痛くなったので、この日はトレッキングシューズを使いました。6月に購入して、まだ一度も山歩きに使用していない靴です。でも、足慣らしのために何度か普段の外出に履いたので、靴ずれなどのトラブルはなく、快適に歩き通すことができました。

 お天気は良すぎるほどで、紫外線をたくさん浴びました。日焼け止めを塗り、帽子もかぶってはいましたが…。
 骨粗鬆症を治すには紫外線を浴びて活動することが大切だと聞きますので、骨密度が低めの私には良かったのかもしれません。

 





2018年11月 2日 (金)

12km歩いて爽やか!

 この前の日曜日、久しぶりにハイキングに行きました。といっても平坦な道です。距離はおよそ12km、22,000歩ほどでした。

 9月に右膝が軽く不調になり、治るのに3週間くらいかかりました。その間休んでいた足の筋トレを、膝の違和感が消えてから少しずつ元に戻し、すっかり元どおりにできるようになるまでにまた3週間くらいかかってしまいました。
 去年から山歩きが大好きになって、ザックやトレッキングシューズも揃えたのに、予定していた日に雨が降ったり、夏は暑すぎたりで、半年くらい、出かけていませんでした。

 歩きに行きたいけど、いきなり山道というのはちょっと自信が持てない…そんな時、ネットで「JRふれあいハイキング」というイベントを見つけました。阪急・阪神電鉄、能勢電鉄が主催しているハイキングがあることは前から知っていましたが、JRのは新発見でした。
 日取りやコースの設定が多彩で、しかも予約不要のものが多く、参加費は300円〜500円と実に参加しやすいのです。

 私が初参加したのは「秋風さわやか、武庫川コスモスウォーク」という催しです。JRが主催しているわけではなく、一般の団体が行なっています。集合場所がJRの駅前かその近くで、解散する場所もJRの駅前というのがJRふれあいハイキングのリストに載せてもらう条件のようです。

 前置きが長くなりました。
 朝9時半に福知山線北伊丹駅のそばにある西猪名公園をスタート。なんと88名もの参加者数です。主催者側(10人ほど)も参加者も、99%くらいは高齢者でした。皆さん、とても元気!
 伊丹市の道路脇の道や住宅街を抜けて、昆陽池(こやいけ)公園へ。水鳥が遊んでいます。

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 名前は前から知っていましたが初めて来ました。少しゆっくりしたいなと思いましたが後発メンバーが着くのを待って、すぐに出発。

 市街地や国道171号線の脇を歩いて、11時40分に武庫川コスモス園に着きました。 ここで昼ご飯です。途中、ローソンの前を通ったので、お弁当を持って来ていない人は調達しました。私は前の晩に簡単なお弁当を作って持参しました。

 ここも名前は前から知っていましたが、訪れるのは初めて。広大な敷地にコスモスが咲き乱れています。550万本以上だそうです。見事な眺め。こんなにたくさんのコスモスが見られるとは思っていませんでした。花っていいなあ。

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 色違いのコスモスも咲いています。ちょうど見頃です。

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 風に揺れているので、鮮明には撮れません。
 家族連れやカップルがたくさん来ていました。

 維持、手入れにはボランティアの方々が尽力しているようです。募金を求めるコーナーがあったので、私もちょっぴり協力しました。

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 12時半に出発して、国道171号線の甲武橋へ。ここからは武庫川の尼崎側河川敷を南へ下り、途中から西宮側に移って、JR甲子園口駅前で解散しました。

 お天気が良すぎて、歩くと暑いほど。足の故障の後なので、12km歩き通せるかな? と少しだけ懸念していましたが、まったく大丈夫だったので、自信がつきました。
 久しぶりにしっかり歩いて、気分は爽快。体調もばっちり。普段は不眠がちなのに、この日はぐっすり眠れました。
 楽しかった! 11月は野外を歩くのに最適なシーズンです。また近々歩きに行くつもりです。

2018年10月28日 (日)

文化功労者に片岡仁左衛門、大槻文藏

 26日(金)、文化功労者が発表されました。そのリストに歌舞伎俳優の十五代片岡仁左衛門さん、能楽師の大槻文藏さんのお名前を見つけて大喜びしています。

 長年、歌舞伎を見続けてきて、一番好きな俳優さんが仁左衛門さんなのです。74歳。2015年、人間国宝に選ばれています。
 この数年は歌舞伎公演にご無沙汰しています。チケットが高いのも理由の一つではありますが、何よりも最近、関西での公演は演目に魅力が感じられないのです。歌舞伎座(東京)では見たい公演が多いのに。東京まではなかなか行けません。

 2年ほど前から能にハマって、何人かの能楽師さんの舞台を拝見し、大槻文藏さんに一番魅力を感じています。76歳。2016年に人間国宝になられています。
 人間国宝になられてから全国レベルでの活躍が増えたのか、地元・大阪で拝見する機会が減ったようで、ちょっと寂しい。
 来年1月4日には本拠地の大槻能楽堂で「翁」を舞われるのでぜひ拝見したいと思っています。前売りチケットがあっという間に完売になるので要注意です。

2018年10月 9日 (火)

初心者向け俳句講座、秋の句

 先週の木曜は月1回の初心者向け俳句講座の日でした。今回は秋の季語を使った句の紹介。先生が解説をされました。

 鈴虫  月鈴子(げつれいし)
    一病のあとや鈴虫野へ返す      井上 雪

 萩  鹿鳴草、鹿妻草、こぼれ萩、山萩…

    手に負へぬ萩の乱れとなりしかな   安住 敦 *

 金木犀 銀木犀
    この路地の金木犀も了りけり      中岡毅雄 *

    木犀や同棲二年目の畳         高柳克弘

 林檎  林檎園、林檎狩
    林檎もぎ空にさざなみ立たせけり    村上喜代子

    星空へ店より林檎あふれをり      橋本多佳子

 梨   有の実、ラ・フランス
    勉強部屋覗くつもりの梨を剥く      山田弘子

 葡萄  マスカット、デラウェア、ピオーネ
    葡萄洗ふ粒ぎつしりと水はじき       星野恒彦

    葡萄食ふ一語一語の如くにて      中村草田男 *

 栗 
    行く秋や手をひろげたる栗のいが

       ※この句は季重なり。なんと、芭蕉の句だそうです。

    家よりも古き栗の木栗実る        岩田由美

 石榴(ざくろ)  実石榴
    くれなゐの涙ぎつしりざくろの実     和田知子

 胡桃
    胡桃割る胡桃の中に使はぬ部屋    鷹羽狩行

    胡桃二つころがりふたつ音違ふ     藤田湘子 *

 今回は「いいな♪」と思う句がいくつもありました。作者名の後ろに*を付けた句です。

 この講座を受講し始めて1年になりました。このところなかなか句が詠めません。1日に10句くらいは詠んでいた時期もあったのに、今は頭が俳句を詠む状態にならないのです。何でだろう?

 帰り道、講座で知り合った人とおしゃべり。
 以前、私が彼女にすすめた藤田湘子の『20週俳句入門』はピンと来なくて、途中で読むのをやめてしまったとのこと。
 又吉直樹と堀本裕樹の『芸人と俳人』(集英社文庫)が面白かったと言います。早速、書店で買って読み始めましたが、今度は私がもう一つピンと来なくて挫折しています。又吉直樹の日本語センスはさすがだなあと感心しましたけれども。
 人によって感じ方は随分違うんですね。

2018年9月19日 (水)

「俳句あるふぁ」の「予選通過句」に選ばれました

 「俳句あるふぁ」は毎日新聞出版が発行する季刊の俳句雑誌です(以前は月刊だったらしいです)。投句用のはがきがついていて、「あるふぁ俳壇」に2句を投稿することができます。夏号を買ったとき、「ものは試し」と、送ってみました。
 数日前、発売中の秋号を書店で立ち読みしたら、私の句が「予選通過句」の中に入っていました!

 選者が4人いて、投句された全ての句を対象に、選句します。予選通過句というのは、「入選」「佳作」の候補として4人の選者が選んだ句です。

 選者ごとに「入選」が10句、「佳作」が30句選ばれます。同じ句を複数の選者が「入選」や「佳作」に選んでいるケースも見られます。
  「予選通過句」は都道府県別に並んでいて、3句しかない県があったり、100句以上並んでいる県があったりしています。

 私の住んでいる県のところを見ていて、自分の俳名を見つけました。やった! その上に句が載っています。

    せいせいと靴陰干しに夏燕      桂

  一瞬、「こんな句、詠んだっけ?」と思ってしまいました。忘れるのが早い私にはよくあることです。思い出せば、梅雨で何日も雨が降り続いた後、やっと晴れた日に詠んだ句でした。

 「入選」でも「佳作」でもなく、「予選通過句」に入っただけなのですが、俳句歴1年未満で初投稿の私には飛び上がるほどうれしい結果でした。

 記事はまだ一部しか読んでいませんが、「『平成』と俳句」という長谷川櫂さん、宮坂静生さん、対馬康子さんによる鼎談が興味深いです。
 「戦後の七十年間は本当に稀有な時代で、改めて我々が日本の歴史とつながるような、そういう死生観を持たざるを得ない時代が来たということを感じますね」(宮坂さん)。
 「『現代の無常観』と言ってもいいと思うんです。『方丈記』に書いてある通りのことをまざまざと意識してしまう」(長谷川さん)
 「『徒然草』などの無常観、中世の無常観みたいなものがね、すごく身近に感じる」(宮坂さん)
 「俳句は最短の短詩型であるがゆえに、生と死は紙一重だというような危機的状況を表現できる文学ではないか、という高野ムツオさんの指摘を実感しますね」(宮坂さん)
 「そもそも文芸とか俳句とかいうのは、基本的に死生観を表すものですし」(対馬さん)

 このようなやり取りに深くうなづいてしまいました。私も似たようなことを思っていて(俳句についてではなく、時代について)、1年ほど前に「方丈記」を読んだとき、ここに書かれていることは現代にそのまま地続きだという感想を持ちました。

 俳句でもそうした内容を詠みたいと思うのですが、初心者には難し過ぎると、これまで手をつけてきませんでした。
 先日の句会に投句した句、

    その朝も常と変はらぬ蝉しぐれ

 の「その朝」は、台風一過の朝であり、大きな災害が訪れた日の朝でもあり、広島に原爆が落とされた8月6日の朝でもありました。でも、そこまで伝えるのは難しいです。
 それにしても、一番詠みたい句を避けて通っていてはいけないと気づかされた記事でした。

 
 

2018年9月18日 (火)

能「菊慈童」を見ました

 9月9日の西宮能楽堂公演の続きです。
 今回の公演は「『重陽の節句』〜菊の葉の露のなぞ〜能『菊慈童』」というタイトル。いつものように、まず梅若基徳さんが解説をされました。
 9月9日は「重陽の節句」です。中国では奇数は陽の数字、偶数は陰の数字とされ、陽の数字のほうがめでたいのです。そこで、3月3日、5月5日、7月7日が特別な日となりました。

 中でも最大の奇数である9が重なる9月9日は最もめでたい日でした。陽の数が重なるので、「重陽(ちょうよう)の節句」と呼びます。
 この日、菊の花の上にわたを置き、菊の露を染み込ませ、そのわたで顔や体を拭くと不老長寿の薬になると言われて来ました。

 どういうわけか日本では9月のこの節句は3月、5月、7月ほどにはその重要性が長くは伝わって来ませんでした。
 「菊慈童」は菊と不老長寿の関わりを描いているので、まさに重陽の節句にふさわしい演目なのです。

 解説の後、「囃子フリートーク」。小鼓体験の指導をされた上田慎也・敦史兄弟による「兄弟で違うお囃子方を志して」と題してのフリートークです。さらに梅若基徳さんが指導して「菊慈童」の謡の一部をお客が稽古しました。
 毎月お決まりのこうしたプログラムの後、「菊慈童」が上演されました。主な配役は次のとおりです。

   シテ 慈童   梅若雄一郎(基徳さんの子息)
   ワキ 勅使   原   大

   大鼓   山本寿弥
   小鼓   上田敦史
   太鼓   上田慎也
   笛     貞光智宣

   後見   梅若基徳
         梅若猶義

   地謡   今村哲朗
         井戸良祐
         上野朝彦

 あらすじを『能楽ハンドブック』(三省堂)から紹介します(一部、書き替えています)。

  魏(ぎ)の文帝の臣下(ワキ)が「てつ(見慣れない漢字で、パソコンでは出て来ません)県山の麓から薬の水が湧き出た。みなかみを見て参れ」との勅命を受け、山中に分け入り、慈童(シテ)に出会います。慈童は少年の姿をしています。
 「何者か」と問われて慈童は「自分は周の穆王(ぼくおう)に仕えていた者だ」と答えます。穆王の寵愛を受けていたが、あるとき穆王の枕をまたいでしまい、その罪で深山に追放されたのです。
 周の穆王の時代は700年も前のこと。勅使が「700年も昔の人間とは、妖怪変化か」と怪しみます。
 追放されるとき穆王が哀れんで、枕に妙文(みょうもん。お経の一部分)を記して与えていました。慈童はその妙文を菊の葉に写し、葉に降りた露の滴りが不老不死の薬となり、700歳もの長寿を保つことになったと気づき、喜びの舞を舞います。
 そして、てつ県山の山の水は菊水の流れ、その泉はもともと酒なのだからと、勅使にもすすめ、自らも飲み、菊の花を折り敷いて寝ます。
 やがて目覚めると、700歳の寿命を文帝に捧げて、庵に入って行きます。祝言性の濃厚な曲。

・・・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・

 内容がわかりやすく、装束がきらびやか。作り物も二つも出て、そのうちひとつは菊の花で周りを取り巻いた寝台なので、華やかでした。
 「菊水」という名前の日本酒がありますが、ここから取られた名前なんですね。

 終了後、脇正面の座席を片付けてテーブルと椅子が置かれ、「能楽師とのティートーク」が行われました。これは予約していなかったのですが、まだ空きがあるとのことでしたので、申し込んで参加しました。

 梅若基徳さんのほか、途中から雄一郎さんも来られました。
 ここで出たお話で、驚いたのは、一つはこの能楽堂の建設に当たって、西宮市は一切、補助をしていないということでした。「文教都市」を謳い文句にしている自治体なのに、意外でした。

 もう一つは、「菊慈童」の穆王と慈童は同性愛の関係だったということです。謡の詞章に「寵愛」という言葉が出て来たので引っかかっていたのですが、やはりそうでした。穆王の周りには慈童だけでなく、何人かの少年がいたようです。

 ここで話は突然NHKの大河ドラマへ。世阿弥はとてもドラマチックな生涯を送った人物なので、大河ドラマの主人公として取り上げられても良さそうなのに、決して取り上げられることはない。それは、足利義満と世阿弥が同性愛の関係にあったからだそうです。
 このことは史実なので(私も知っていました)触れないわけにいかないし、NHKとしては大河ドラマでそうした性の問題は扱いたくないのだとか。
 「信長」では森蘭丸が登場しましたが、信長との同性愛の関係には触れませんでした。

 身分の高い男性が美少年を「寵愛」するという同性愛は広く行われていたことでしたし、一般社会でもよくあることだったのです。義満と世阿弥の関係は不思議でもなんでもないのですが、いつの頃からか(江戸時代も、当初はあったらしいです)廃れ、今では例えば芸能人が同性愛者だとわかると、袋叩きにあうようになりました。

 こんな話が飛び出して興味深く、また基徳さんが「後ほど舞台に上がってもらいます」とおっしゃっていたので、それも楽しみだったのですが、私は後にまだ用事が入っていたので、途中で退席しました。残念でした。

 次回、10月の公演は「井筒」です。超有名な曲なのに、私はまだ見たことがありません。最近では9月1日、大津の伝統芸能会館で味方玄(みかたしずか)さんがシテを勤めて上演されています。
 実はこの公演のチケットを早くから取っていたのですが、毎年8月末に行われる素人義太夫発表会が今年は会場の都合で9月2日になり、本番前日になってしまったので行くのを断念しました。
 というわけで初めての「井筒」です。とても楽しみです。


 


 

2018年9月16日 (日)

西宮能楽堂で小鼓体験

 西宮能楽堂の9月公演は「菊慈童」でした。公演に先立って小鼓の体験講座と謡の体験講座が開かれたので、予約して参加しました。謡は前にも経験しているのですが、小鼓を実際に打つのは初めて。これがとても楽しかったのです。

 講師は上田敦史さんという若い方。大倉源次郎さん(人間国宝)のお弟子さんだそうです。お兄さんで太鼓方の上田慎也さんが補助役でした。
 参加者は20人近く。小学校1年生から3年生くらいの女の子5人と、そのお母さんたちもいました。

 舞台の前半分に緋毛氈が敷かれ、稽古用の小鼓が並びました。参加者を前半と後半の二組に分け、まず前半組が舞台に上がり、小鼓の前に座ります。構え方、打ち方を教えてもらい、実際に打ってみます。

 小鼓を左手に持ち、右の肩の上に構えます。講師の掛け声を真似て声を出し、右手のひらの下の方を小鼓の下の方の縁に当て、4本の指で小鼓の中央を打ち、反動ですぐに離します。「縁に手のひらを当てる」→「中央を打つ」→「離す」。この一連の動作をほぼ一瞬に行います。

 掛け声は「いやぁ」と「ほぉ」の2種類を教わり、大きな声を出しました。

 私は後半の組だったので、前半の人たちが教わっているのを見てからお稽古ができ、思ったよりうまくやれました。
 それだけでもゴキゲンだったのですが、最後に「いやぁ」と「ほぉ」、「ほぉ」を連続2回打つという3種類の打ち方を組み合わせた1フレーズを、講師のリードで打って、それが「翁」の「三番叟」の一部分だと聞いた時にはなんだかすごいことを成し遂げたような気分になりました。

 以前、京都の有斐斎弘道館で大倉源次郎さんを招いての講座に行ったとき、「エアー小鼓」で打ち方を教えてもらいましたが、やはり本物の小鼓を打つと、手応えがあって面白いです。
 素人でもそれなりに気持ちのいい音が出せたのは、初心者向けに音の出やすい小鼓が用意されていたからかもしれません。

 西宮能楽堂ではこれから、大鼓の体験講座や太鼓の体験講座も開かれます。興味しんしんなのですが、大鼓は手が痛いだろうなあ。太鼓は楽しいかもしれないなあ。などと、まだ申し込みをするかどうか、迷っています。

「愚陀仏庵ネット俳句会」は終了しました

 何度か投句して、その度に「入選」に選んでもらい、一度は「秀逸」にもしてもらった「愚陀仏庵インターネット俳句会」。選者との相性がいいのかな? と喜んでいたのに、八月末投句分で終了になりました。残念です。

 八月末に投句した句の中から、次の句が「入選」になりました。

    寅さんもバカボンパパも腹巻す

 「まつやま俳句ポスト」のほうは、その後、投句していません。気候も少しは良くなって来たし、また句作に励まなくては。

九月の句会はふるいませんでした

 去年から受講している初心者向け俳句講座。九月の第一週は句会でした。このところ調子づいていた私ですが、今回はまったくふるいませんでした。


 晩夏か初秋の季語で詠むことと、三句のうち一句は「蝉」関連の季語を使うこと。この二点があらかじめ決められていました。
 私は三句提出しましたが、先生の佳作五句と特選三句には一句も選ばれず。

    その朝も常と変はらぬ蝉しぐれ

 この句が受講生二人の佳作と一人の特選をもらいましたが、先生には選ばれなかったので、あまり喜べません。
 ほかに、

    お揃ひの法被(はっぴ)祭太鼓の子

 ぎりぎりまで推敲して仕上げた句なのですが、先生に「中七が六音しかありませんね」と指摘されて呆然。ちっとも気づいていませんでした。「法被や」とすればよかった、とのことでした。

 残る一句の

    よく耐えたねと草花に水をまく

 は、季語が晩夏限定ではなかったからか、発想が平凡だったのか、完ボツでした。

 藤田湘子の『20週俳句入門』を読み直しています。初めて読んだ時より、理解できるところが増えました。やっぱり初心者は「二物衝撃」の句を詠んだほうがいいのかな。でも、これはこれで難しいのです。

 不思議と、ほとんど落ち込まなかったのは、義太夫発表会で私なりに力を出し切ったという達成感、満足感の余韻が残っていたからでした。


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