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2019年7月 9日 (火)

松竹座七月大歌舞伎「「渡海屋・大物浦」続き

 3本目めは「義経千本桜」から「渡海屋」「大物浦」です。過去に何度も見たことのあるお芝居です。『文楽ハンドブック』(三省堂)から、あらすじを引用します。

 義経一行は大物浦に到着、そこから九州の豪族尾形を頼って舟に乗る予定だった。船宿渡海屋には、主人銀平、女房おりう、二人の間に娘お安がいる。がこの一家こそ壇の浦で死んだはずの平知盛、女官典侍局(すけのつぼね)、そして安徳天皇だった。風の具合もよしと(義経一行に)出発をすすめて乗船させたあと、知盛は家来とともに襲撃する。しかし義経もさるもの、計略の裏をかいて知盛を追いつめた。典侍局は自害、安徳天皇は義経の手元に、知盛は負けを悟って壇の浦での偽装入水を再現して、碇(いかり)とともに今度は本当に海中に身を投じる。

・・・・・・・・・・・ここまで

 銀平実は知盛を仁左衛門、おりう実は典侍局を孝太郎、義経は菊之助という配役です。久しぶりに見る仁左衛門さんはやはり大きく美しく見え、目が離せません。この人一人いれば舞台が成立するほどの存在感です。知盛の役柄は様式的な部分が多く、それもまた歌舞伎の良いところであり、私の好きなところでもあるので、楽しめました。

 ただ、孝太郎の演じる典侍局と女官たちは感情表現が大仰で、見ていてしらけてしまい、感情移入するどころか、笑いたくなってしまいました。こんな風に感じたことは今まで一度もなかったのですけれど。

 銀平が正体を現すとき(知盛であることを明らかにするとき)、衣装は輝くような白で、武具は銀色です。家来たちは白一色で、まるで亡者のように見えます。この衣装、能の「船弁慶」の後シテ、知盛の亡霊が義経一行に襲いかかる時の様子を表現しているようです。今まで何度も見てきたのに、初めて気づきました。

 そして知盛の白一色の衣装が血まみれになる後半が壮絶でもあり、白と赤のコントラストが悲壮な美しさです。極端に言うと、仁左衛門が出ている場面はすべて良くて、そうでない場面はどうでもよかった。…と言いそうになりますが、家来役の俳優さんたちがきっちり演じているから、仁左衛門が引き立つのですね。

 長年、歌舞伎が大好きで、最初から最後まで熱中して食い入るように舞台を見つめていたのに、今回はなんだか少しさめた目で歌舞伎を見てしまい、そんな自分に驚いていました。

 

2019年7月 7日 (日)

松竹座七月大歌舞伎「渡海屋・大物浦」など

 久しぶりに松竹座で歌舞伎を見ました。毎年7月は「関西・歌舞伎を愛する会」の主催公演。今年はその前身の「関西で歌舞伎を育てる会」が設立されてから40周年に当たる記念の公演だそうです。

 実家の母が早い時期に「関西・歌舞伎を愛する会」の会員になり、「関西で歌舞伎を育てる会」になってからも続けていました。私と姉はそのルートでチケットを買い、いつも歌舞伎公演を見ていました。母が弱ってからは、私が母の後を継いで同じ会員番号で会員を続けました。思えば何十年も、この会にお世話になってきたのでした。

 会員になると、会費が年7000円かかる代わりに、関西で行われる歌舞伎公演のチケットを優先的に押さえてもらうことができます。おかげで、長年の間、いつもとびきり良い席で歌舞伎を見続けてきました。

 数年前、文楽に関心が集中して、歌舞伎への興味は以前に比べれば覚めてしまいました。それで、「関西・歌舞伎を愛する会」を退会しました。その後、松竹座で見たのは勘九郎・七之助兄弟の「怪談乳房の榎」くらいです。

 そういうわけでお久しぶりの松竹座。見たのは初日の昼の部です。演目は「色気噺お伊勢帰り」「厳島招檜扇 日招ぎの清盛」「義経千本桜 渡海屋・大物浦」の3本でした。

 まず「色気噺お伊勢帰り」です。こんな演目は今まで見た記憶がないので、新作かもしれません。上方落語でおなじみの清やんと喜ぃ公のコンビが近所の男たちとお伊勢参りに行き、近くの妓楼で遊んで、大阪へ帰ってきます。清やんは江戸出身のいなせな二枚目(芝翫)、喜ぃ公は愚鈍な三枚目(鴈治郎)で、それぞれに女房がいます(壱太郎、扇雀)。ところが伊勢の妓楼から清やんを追いかけて美貌の遊女(梅枝)が、喜ぃ公を追いかけてコミカルな顔立ちで太った遊女(猿弥)がやってきます。

 一言で言うとドタバタ喜劇です。一途なはずの遊女が実はとんでもない悪女の本性を表すところ、梅枝が品を落とさずうまく演じていました。妓楼の女将役で秀太郎が風格を見せました。それ以外は記しておくべきことを思いつきません。初日だからか、まだセリフが入っていない(覚えていない)俳優さんが複数いて、会話のリズムが途切れがちでした。そこを笑いでごまかそうとするのですが、そううまくごまかせるものではありません。

 40周年記念のめでたい公演に、どうしてこんなくだらない演目を選んだのか、私には謎です。せっかく芝翫と鴈治郎が顔を揃えたのだから、二人で滑稽味のある舞踊を見せてくれればよかったのに。そういえば今回の公演のプログラムに舞踊が見当たらないのはどういうわけなのでしょう。いつも1本は舞踊が入っていたものなのに。「関西のお客は舞踊は退屈がる。それよりは吉本ばりのドタバタ喜劇で笑わせる方がいいだろう」と判断したのでしょうか。関西の歌舞伎ファンをばかにしてるんじゃないの? と憤慨してしまいました。

 2本目は「厳島招檜扇 日招ぎの清盛」です。これも初めて見ました。厳島神社で清盛(我當)が祇王(壱太郎)と仏御前(時蔵)を呼びます。二人は舞を披露し、清盛は褒美を与えます。と、そのとき、仏御前が「父の敵(かたき) 」と叫んで清盛に襲いかかり、取り押さえられます。その場で仏御前を殺そうとする家来を清盛は押しとどめ、立ち去らせます。やがて夕刻になり、日が沈み始めると、清盛は扇で太陽を招き寄せ、再びあたりは昼間のように明るくなるのでした。

 祇王・祇女と仏御前の話かと思ったら全然違っていました。清盛が仏御前の父親の敵(かたき)とは、びっくりです。それ以上に驚いたのは我當です。舞台中央の高い台の上に座ったままなのは、前から足が悪いので仕方ないとしても、声がまったく出ておらず、セリフが聞き取れないのです。しかも半分以上、セリフを覚えていないらしく、背後にいる黒衣さんに教えてもらいながら言うので、セリフとセリフの間に妙な間があきます。歌舞伎の舞台で役者さんが大道具の陰に潜んだ黒衣さんにセリフをつけてもらっているのを、何十年ぶりかで見ました。

 よくこの状態で我當を主役で出演させたものだと呆れてしまいました。高い入場料を取って見せるに値する舞台だとは到底思えません。お客は怒ってもいいくらいです。関西のお客には我當は馴染みの深い役者さんだから怒らないだろうという判断なのでしょうか。実際、観客は拍手していました。我當は歌舞伎の味が出せる良い役者さんだったのに、こんな舞台をやったのでは俳優としての歩みに汚点を残してしまったのではないかと気になります。お父さん(亡くなった十三世仁左衛門さん)が晩年、目が見えなくなって、それでも見事に味わい深い演技をしていたのとは大違いです。

 3本目。仁左衛門さん主演の義経千本桜「渡海屋・大物浦」です。これが見たくて久しぶりに松竹座に行ったのでした。長くなりましたので次の記事に書きます。

  

 

2019年6月30日 (日)

後発性白内障のレーザー治療、2度目

 このところ用事があったり、風邪を引いて寝込んだり、雨が降ったりで、ハイキングに行けていません。早く歩きに行きたくてむずむずしています。

 ところで、6月5日に受けた後発性白内障のレーザー治療。続きがあるので書いておきます。

 1週間後の11日、レーザー治療の結果を調べるために眼科に行きました。右目の視力は、白内障の手術後0.7、昨年の検診では0.5だったのが、今回の治療を受ける前は0.3に落ちていました。この日の検査では0.5まで回復していました。

 私自身の感想では、レーザー治療後2、3日はすっきりとよく見えたのに、その後、また少し見えにくくなったような気がしていました。眼科医にそう話すと、「そういうことは考えられないんですけどねえ」と言いながら、もう一度右目を詳しく調べました。そして、右目の水晶体嚢の濁りが取りきれていないことがわかったのです! 「もう一度やりましょう。今からどうですか」と言われ、びっくりしてしまいました。1回ですっかり治るんじゃなかったの!?

 そうは言っても、レーザー治療を再度受けるしかないようです。その日は後に用事があったので、あくる日に予約を入れて、2度目のレーザー治療をしてもらいました。今回は瞳孔が開く目薬の後で痛み止めの目薬もさしてくれたからか、コンタクトを入れるときに痛まずにすみました。レーザーそのものは2度目もわずかな時間で終わりました。治療費は、また5900円払うのかと思ったら、560円だけでした。

 1週間後の検査で、右目の視力は0.8まで回復しました。これは裸眼視力で、医師によると裸眼視力というのはそれほど安定したものではなくて、多少の変動は常にあるのだそうです。それでも、私自身の実感として、1度目のレーザー治療後よりも確実によく見えるようになっています。

 治療の後、1週間くらいは目の周囲の筋肉に疲れのような違和感が残っていましたが、今ではそれもほぼ消えました。一時は近くも遠くも見えづらく感じられたのに、ずいぶんクリアに見えるようになり、喜んでいます。目が悪くなったことを「歳のせいだから仕方ない」と諦めないでよかったです。

 

2019年6月18日 (火)

北山緑化植物園、甲山森林公園など 8km

 16日(日)、山の会の例会に行きました。前日が雨で、予定されていた例会が軒並み取りやめになったからか、参加者は30人。例会は30人定員なので、満員札止め状態です。みんな、歩きたくてたまらないんですね。

 この日のコースは次のとおりでした。阪急電車神戸線夙川駅を出発→夙川公園(ストレッチをする)→銀水橋→北山緑化植物園→北山貯水池→甲山湿原→甲山森林公園展望台→地すべり資料館(前を通っただけ)→甲山ふもとの広場(ストレッチ)→阪急仁川駅

 怪しい黒雲が広がったりもしましたがおおむね晴れていて、湿度は低めの山歩き日和。山道は涼しくて快適! 広葉樹の森の中を歩く心地よさを満喫しました。前回のコースと同じくAランクの例会なので、おしゃべりしながら楽々と歩き通すことができました。

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 展望台からの眺め。よく晴れて、あべのハルカスまで見えました。

 

 北山緑化植物園は花が見頃。

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 なにユリだったっけ?

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 オレガノの葉っぱ。先端がほのかなピンクに染まって可愛い。

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 ノハナショウブ。花しょうぶの原種? ピンボケで残念。

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 北山貯水池のそばのあずまやで昼ごはんです。

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 この周辺をビオトープというらしいです。

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 「愛の像」が立つ噴水。水しぶきを浴びると3年若返るそうで、みんなキャッキャと騒ぎながら浴びていました。

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 モリアオガエルの卵。ピンボケ。初めて見たような気がします(記憶力が悪いので昔のことは覚えてない)。

 仁川駅南側のお店での反省会に過半数が参加。ビールが最高に美味しい! これもハイキングの楽しみの一つになってきました。

 

 

2019年6月10日 (月)

山の会で諏訪山公園〜再度公園〜市ケ原 10km

 5月末に地元の山の会の体験ハイキング2回目に行き、その場で入会の申し込みをしました。先週半ばに入会できたという通知が届いたので、週末、さっそくハイキングに行ってきました。JR元町駅で集合。参加者は10人で、チーフリーダーさんとサブリーダーさんが付いてくれました。コースは元町駅→諏訪山公園→大師道→猩々池→善助茶屋跡→再度公園(昼食)→布袋谷→市ケ原→布引貯水池→布引の滝→JR新神戸駅です。

 この会では全会員をそれぞれの体力と技術に応じてランク分けしています。高齢や病気で体力が弱い人はS。初級(ゆっくりペースで難所のあまりない道を歩く)の人はA。普通の速度で難所も含むコースを歩ける人はB。一番上はCです。例会はこれに応じたプランが設定されています。「健脚」という区分けが加味されて、S、S健、A、A健、B、B健、Cという7つの種類の例会が催されています。同じ日、同じAランクでも、3つの例会が予定されていることがザラなので、どれに行こうか迷ってしまうほど。これも会員総数830人という大所帯だからこそできることなのでしょう。

 新しく入会すると、誰もみなAランクになり、S、S健、A、A健の4種類の例会に参加できます。一定の条件を満たすと、Bランクに昇格できます。私は先週末歩いていないし、雨の後なので道が滑りやすいんじゃないかと気になって、Aランクの歩きやすそうなコースを選びました。

 このコース、最初の元町駅から諏訪山公園までは舗装路だし傾斜も結構きつくて疲れますが、諏訪山公園から先はずっと快適でした。道幅に余裕があり、頭上には広葉樹が茂っていて、緑に囲まれているけれど明るい。そばを川が流れているせいもあって、涼風が吹き渡り、爽やかです。傾斜のきつい所はわずかで、歩きやすい道が続きました。

 青楓がとてもきれい。秋には紅葉が素晴らしいそうです。

 

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 最初の休憩場所。清流の水音が心地よい。

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 猩々池。小雨がぱらつきましたが、すぐに止みました

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 布引の滝? 水量はやや少なめでした。

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 途中、キンポウゲ、卯の花、桂、ホタルブクロの花を見ました。残念ながら立ち止まって写真を撮ることはできませんでした。もう少し慣れたら、その余裕もできるだろうと思っています。桂の花ってたぶん初めて見たように思います。白い色の、とても上品な花でした。

 お弁当を食べていたとき、同行していた女性会員さんが「この会に入るか入らないかで老後が全然違ってきますよ」と話していました。楽しくて、生活にメリハリができ、健康的になる、ということのようでした。

 雨の多い季節、晴でも暑さの厳しい日はAランクのコースを気楽に歩き、気候が良くなったらA健のコースを歩きに行くつもりです。筋肉を鍛えて、いずれはBランクに挑戦できるといいなあ。

 

2019年6月 7日 (金)

講師の先生の「特選」を二つもらいました(句会)

 一昨年から月1のペースで通っている初心者向け俳句講座、昨日は3カ月に一度の句会でした。兼題は「六月」と「黴(かび)」。3句まで投句でき、そのうちの1句か2句はできればこの季語を読み込むという課題です。それ以外は夏の季語を自由に選んで構いません。

 私の句は

    六月や青磁香炉を手から手へ

 お茶の稽古でお香を聞くために香炉を手渡しで回しているときの様子を詠みました。六月は湿気の多い時期。湿度が高いと、香りが強く感じられます。夏に使うお香は白檀で、上品な良い香りがするのです。

 この句に、受講生一人の特選、一人の佳作、そして講師の先生の特選をいただきました。受講生の方からは「青磁香炉の色や触ったときのひんやりした感じが季語とよく合っている」。先生からは「梅雨冷えの季節と青磁香炉の取り合わせが良い」との評をいただきました。

    ほどきたる母の着物や花に黴

 これは、本当は母ではなくて義兄のお母さんで、何枚か着物を譲ってもらいました。その中の一枚に、地色がとてもきれいな紫色の訪問着がありました。ところが、柄の花のところに汚れが付いているのです。この花は桜ではなくて、季節を選ばない、いわゆる「時なしの花」です。

 うまくいけば取れるかもしれないと、悉皆屋さんに持っていくと、「この汚れは黴で、取れません」と言われてしまいました。がっかりでした。着られない着物ですが古着として捨てるのは気が進まなかったので、ほどいて汚れていない部分だけでも使うことにしました。このときのことを思い出して詠んだのです。

 事実は、黴が生えた→ほどいた なのですが、そのとおりの順序で作ってみるとどうにも格好がつきません。何度か手直しをして、上のような配置にしたのです。

 この句は受講生二人の特選と3人の佳作をいただきました。それだけでもうれしかったのに、先生の特選にも選ばれました! 受講生の方からは「黴のイメージを覆すような華やかな句」「お母さんへの思いが感じられる」「着物に馴染んでいた昔を思い出す」などの評。先生は「ユーモアや残念さが感じられる」とのことでした。

 残る一句、

    腕長きクロール吾子は身重にて

 は、受講生一人の特選をいただきました。娘がマタニティスイミングをしていたときの様子を想像して詠んだものです。手足の長い子なので「腕長き」としてみました。

 先生の特選1と佳作1をいただいたことはこれまでにもありましたが、特選を2つももらったのは初めてです。やった! 先生の特選は3句で、もう一つの句は

    眼帯をして六月の匂ひかな

 でした。この句、私は佳作に選んでいました。

 出席した受講生は9人。句会はこれくらいの人数がやりやすいです。1時間半という限られた時間の中で、一人ひとり、自分が選んだ3句についてどこが良かったかを語ることができましたし、先生も特選と佳作(5句)の句について講評された後でいくつかの句について添削をされました。これがとても参考になりました。

 このところ良い成績が続いている私。この調子で俳句を続けて行きたいです。

 

2019年6月 6日 (木)

後発性白内障のレーザー治療

 最近ひどく目が悪くなって、視界がぼやけていました。近くも遠くも見えにくい。手で片目ずつ隠して確かめると、特に右目の見え方が悪いのです。トシのせいかな? とは思ったけれど、何かの病気かもしれないので一度診てもらおうと、月曜日に眼科を受診。検査の結果、右目の視力がかなり落ちていて、原因は後発性白内障とわかりました。

 この病気は白内障の手術を受けた人のうち、2〜3割に起きるのだとか。比較的若い年齢で白内障手術を受けた場合に起こりやすいとのことでした。

 白内障の手術では水晶体を砕いて吸い出し、人工の水晶体を入れます。この水晶体は水晶体嚢という袋に入っていて、この袋は手術では取り替えません。ここに濁りが出てくるのが後発性白内障なのだそうです。レーザー治療を1回するだけで治るし、短時間ですみ、痛みはまったくないとの説明を聞いて、二日後の昨日、受けてきました。

 まず眼圧を測ります。次に目の細胞の写真を撮ります。それから瞳孔を開く目薬を15分の間隔で2回差します。瞳孔が開くと、暗くした部屋に入りました。

 椅子に座り、頭を固定した状態でコンタクトを目に入れます。私はコンタクトを使ったことがないからか、これが少し痛かった。器械を覗き込んでいるとすごく眩しい光が当てられ、10回くらいカシャッという音がしました。レーザーで水晶体嚢の後ろ側を切開したらしいです。水晶体が入ったまま水晶体嚢の濁った部分を取り除くのですって。

 たしかに、レーザー治療そのものには痛みはまったくありませんでしたし、あっという間に終わりました。でも、私は緊張しいなので、体がガチガチに固まってしまい、医師から「肩の力を抜いてください」と何度も言われてもなかなかそれができず、ひたすら「早く終わって欲しい!」と念じていました。

 瞳孔が開いた状態は3〜4時間続き、その間は右目がぼーっとしているので、車の運転はできません。それ以外は何も制約がなく、ふだんどおりの生活で大丈夫。治療の効果はてきめん、夕方から急に右目がすっきりとよく見えるようになりました。費用は5900円ほど。炎症を抑える目薬が処方され、こちらは450円でした。手術後の状態を調べるため、1週間後に検査に行くことになっています。

 前もって医師から「右目がよく見えるようになると、左目が気になるかもしれません」と言われています。左目も、右目ほどではないけれど、濁りが出てきているらしいのです。たしかに、今日は左目がややぼやけている感じがしてきました。左目も治療を受けるかどうか、思案中です。

 

2019年6月 5日 (水)

大倉流祖先祭(大倉源次郎さんお社中会。大槻能楽堂)

 昨日も大槻能楽堂に行ってきました。「大倉流祖先祭」。中身は小鼓方で人間国宝の大倉源次郎さんのお社中会です。私が習っている素人義太夫でも、年に一度、社中の発表会が催されます。義太夫を語るのは素人弟子ですが、三味線は文楽劇場のプロの三味線弾きさんが担当してくださり、毎年贅沢な思いをさせていただいています。

 大倉源次郎さんのお社中会も、小鼓はもちろんお弟子さんが打ちますが、シテやほかのお囃子はプロの方が勤められます。その顔ぶれはというと、シテ方では大槻文藏、片山九郎右衛門、味方玄、金剛流のご宗家親子、笛は杉市和さん、太鼓は三島元太郎さんなどと、超一流の方々なのです。大倉源次郎、大槻文藏、三島元太郎のお三方は人間国宝です。しかも社中会の常で入場料は無料! この情報を入手して、ぜひ行かなくてはと思いました。

 会は11時に始まりますが、私が着いたのは12時半頃でした。ちょうど金剛流の舞囃子、「淡路」が始まるところでした。小鼓を打つのは淡い色の着物に臙脂色の袴を着けた女性でした。シテは金剛龍謹さん、大鼓は山本哲也さん、太鼓は中田弘美さん、笛は斉藤敦さん。お囃子の三人はよくお見かけする顔ぶれです。地謡三人のうち一人は金剛永謹さんでした。

 龍謹さんの舞は「小袖曽我」で拝見したとおり、まことに美しい。小鼓の音は小さめです。女性の場合、打つ力が弱いのでしょうか。大鼓の山本哲也さんは、その音の小ささに合わせて自分も控えめに打つ…のかと思ったら、とんでもなかった! 普段の舞台とまったく変わらず、全力投球していました。ほかの演者の皆さんも同じです。素人の発表会とは思えない仕上がり。観客としては見応え聞き応えたっぷりでした。小鼓を打たれた方にはとてつもなく大きな刺激になったことでしょう。

 次の曲は「水無月祓」。プログラムには「味方玄 桂吉坊」と記されています。吉坊さん、またトークでもするのかな? そうではありませんでした。吉坊さんが小鼓を打ち、味方さんが謡をされたのです。吉坊さんの小鼓、とても上手でした。古典芸能に詳しいとは知っていましたが、ご自分でもこんなお稽古事をなさっているのでした。きっと米朝さんの影響なのでしょう。

 この後、「蓮如」「鷺」「自然(じねん)居士」「卒都婆小町」「天鼓」「安宅 瀧流之伝」(梅若紀彰さんの舞を初めて拝見。素晴らしかった)「放下僧」「船弁慶」「屋島」「鵜の段」「三井寺」「羽衣」「三輪」「邯鄲(かんたん)」(片山九郎右衛門さん)「班女」「安宅」(金剛龍謹さん。この安宅も良かった)「柏崎」(小鼓はプロの方)「鐘之段」(これもプロの方)「邯鄲」「葵上」「天鼓」と続きました。舞囃子のほかに、謡(一人か二人)と小鼓だけという形もあり、その小鼓がお弟子さんばかり7人というのもありました。小鼓の奏者は女性がほとんど。皆さん、華やかな着物姿で、袴を着けている方もいます。音色はやはり弱めですが、テンポは正確で、どれだけお稽古を重ねているかがうかがえました。

 私の大好きな(という言い方も失礼ですが)大槻文藏さんは4回も出演されました。曲は「鷺」「天鼓」「屋島」「三輪」です。眼福! 気づいたのは、文蔵さんがとてもおしゃれだということ。毎回、衣装を替えておられたのです。例えば「鷺」では着物も袴も白に近いような淡い色の組み合わせで、鷺の姿をイメージすることができました。しかも扇子は朱色と金色の取り合わせ。鮮やかさが衣装のあっさりした色合いに映えていました。

 4曲の中では「三輪」が一番良くて、文藏さんが神々しく見えました。大鼓・山本哲也、太鼓・三島元太郎、笛・杉市和、地謡・梅若猶義、梅若紀彰、赤松禎友、という顔ぶれもすごいです。舞囃子でしたが、ぜひ能で拝見したいものと思いました。

 金剛永謹さんと龍謹さん、味方玄さんも4回ずつ出演。片山九郎右衛門さんは3回でした。杉市和さんは5回! この方の笛が大好きなので、とても幸せな気分に浸れました。斉藤敦さんという若い(40代半ばだそうですが、もっと若く見えます)方の笛にも心を引かれました。

 「天鼓」のあとは「蝉丸」、謡は今村哲朗さん、小鼓はプロでしかも大物の久田舜一郎さん。このあたりで6時を過ぎたので、帰らなくてはなりません。久田さんの小鼓を途中までしか聞けなかったのは残念でたまりませんでした。強く打つ音がよく響くだけでなく、軽く打っているように見えるときも耳に心地よい深みのある音が響きます。さすがにプロは違います。

 プログラムではこの後、源次郎さんのお子さんの大倉美沙都さんや伶士郎さん、三奈さん(この方はお孫さんでしょうか? よく知らないのですが)が登場し、そして大トリは源次郎さんで「難波」だったのです。最後まで聞けなかったのは断腸の思いでした。

 ほとんどの場合、小鼓を打つお弟子さんの後ろに大倉源次郎さんが座り、後見をなさっていました。師匠が後ろについていてくれるということがお弟子さんにはどんなにか心強かったことでしょう。

 行く前は、社中の方々のご家族やお友達だけでも客席はほぼ埋まっているだろうと想像していたのに、お客の入りは半分くらいでした。なんともったいない! お社中会の性格上、あまり宣伝しないからかもしれません。私はたまたまこの催しのことを知ることができて、ラッキーでした。当日は無料だというのに一筆箋のお土産まで付いていました。

 プログラムの最初に源次郎さんの「ご挨拶」が載っており、「大阪の誇る大槻能楽堂の改修補修工事に当たり微力ながらご協力させて頂くとの念いで開催させて頂きます。」と記されていました。「一昨年の大阪能楽堂の閉館は筆舌に尽くしがたい後悔の念が残りました。」「全国の民間運営の能楽堂の経済状態は危機的な状況に有ります。」とも。

 ひょっとしたら能楽師さんたちのギャラはすべて寄付に当てられたのではないかしら? 大槻文藏さんが登場のたびに衣装を替えておられたのは見所へのもてなしの気持ちだったのかも? これは私の想像です。(改修工事については、わずかですが寄付をさせていただきました。)

 

 

義太夫と能で「小鍛冶」そのまたつづき

 休憩を挟んで、能「小鍛冶」が始まりました。

 これが興奮してしまうほどの素晴らしさでした。大鼓と小鼓の最初の一打から「なんてかっこいいの!」とゾクゾク。この音の響きが、そのあとの舞台の性質を象徴していました。普段は見どころの少ないワキが、大小前(大鼓、小鼓の奏者が座っている前)でキメのポーズを取ったとき、見たことがないほどかっこよくて素敵でした。

 シテは、とりわけ後シテが魅力的でした。初め、揚幕のすぐ前で止まり、しばらくしてあとじさりで引っ込みます。次に登場すると一の松あたりの欄干に足をかけて決まります。この所作がきりっとして美しい。舞台ではどの瞬間もずっとかっこよくて、目が離せません。観世喜正さんは大柄な方なので、よけいに迫力が感じられました。

 仕事(?)を終えて退場するとき、左右の足を何度か後ろへ蹴り上げる動作を見せました。同じ動作が前シテにもあり、いかにも小狐という表現です。歌舞伎の四の切(「義経千本桜」の「河連法眼館」)で源九郎狐が狐らしい所作を数々見せますが、その中にこの動きもあったような。能は歌舞伎よりずっと先に完成された芸能なので、歌舞伎役者さんはきっと取り入れていると思います。

 謡の詞章は前もって調べておきましたがちゃんと覚えてはいなかったので、途中までずっと謡に耳を傾けて内容を聞き取ろうと努めていました。でも、だんだん言葉で何を言っているかはどうでもよくなり、舞台から伝わってくるものを受け取ることに集中しました。こういう状態になったのは1月の「羽衣」(京都観世会館)以来です。

 考えてみると、「羽衣」の後で「小鍛冶」を見たのです。たぶん「赤頭」だったと思うのですが、よく覚えていません。下調べで「宗近と稲荷明神が刀を打つ場面が見どころ」と知り、ずっとそのシーンになるのを待っていました。そうしたら、それは一番最後の場面で、しかも短い時間で終わってしまったのです。なあんだ、あっけないなあというのがその時の感想でした。

 今回はまったく違いました。「黒頭重習」だったことと、演者の皆さんの力量が優れていたこととで、めったに見られないような上質の舞台になったのでしょう。和ろうそくの明かりでほのかに照らされた幻想的な空間のもたらした効果も大きいです。

 さらに言えば、見所に詰めかけた若い女性たちが集中して見ていたことも大きな役割を果たしたように思います。観客の多くがどんな気持ちで見ているかは、必ず演者さんに伝わるものですから。

 

 

2019年6月 4日 (火)

義太夫と能で「小鍛冶」さらにつづき

 遅まきながら「小鍛冶」のあらすじを紹介します。以下、当日配られた資料から引用します。

 一乗院に仕える橘道成が、三条の小鍛冶宗近の私宅に赴き、御剣を打てとの勅命を伝える。自分に劣らぬ相槌がおらず、返答しかねる宗近に重ねて宣旨が下り、進退窮まった宗近は氏神の加護を頼んで、稲荷明神に向かう。その途中で素性不明の童子ふうの男に出会う。男は漢家本朝の剣の威徳を宗近に語って聞かせ、私宅に戻って待てと言って姿を消す。

 宗近が私宅の壇を飾り、勅命に応えることができるよう神々に祈請していると、稲荷明神が空から飛来する。神としての威勢を示し、壇に上がり宗近に三拝し、宗近の相槌を勤め、みごとな御剣を打ち終える。

 宗近が御剣の表に「小鍛冶宗近」の銘を、裏には「小狐」の銘を入れると、明神は御剣を勅使道成に捧げ、叢雲(むらくも)に飛び乗って、稲荷の峰に帰ったのだった。

・・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・・

 橘道成は、道成寺の名前の由来になった人物です。

 前シテは童子、後シテは稲荷明神で観世喜正、ワキは三条小鍛冶宗近で福王知登(ともたか)、ワキツレは勅使、橘道成で喜多雅人、アイは宗近の下人で茂山忠三郎でした。後見3人のうち一人は大槻文藏さんです。

 小書「黒頭別習(くろがしらべつならい)」について。これも当日の資料から引用します。

 常の前シテは「童子(または「慈童」)の面・紅入着流シ・水衣だが、「喝食(かっしき)」の面に裳着胴(もぎどう。上着を着けない)の姿に替わり、手に稲穂を持つ。後シテも常は「小飛出」の面に赤頭・輪冠狐戴・半切に上着は法被を用いるが、輪冠狐戴なしの黒頭に半切の裳着胴姿になる。また、後シテの出が「石橋(しゃっきょう」で獅子の登場に使われる豪快で緊迫感のある特殊な囃子に替わるなど、全体的に重厚、且つ緩急が付き、より獣性と霊性を帯びた俊敏性・神秘性が求められる、見応えのある演出。

・・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・・

 前シテは常は稲穂ではなく扇子を持ちます。裳着胴は、能では半裸を表す装いだそうです。

 長くなりましたので、続きは次の記事に書きます。

義太夫と能で「小鍛冶」(大槻能楽堂)つづき

 義太夫「小鍛冶」です。

 照明が暗いので、これでは床本(ゆかほん)が読めないのでは? といぶかっていると、舞台上だけ照明がつきました。常よりはやや暗めです。 目付柱に向かって細長く台が置かれ、緋毛氈が敷かれて床の体裁が整っています。向かって左に太夫が3人、右に三味線弾きさんが3人、座りました。太夫は右から順に豊竹呂太夫、豊竹希(のぞみ)太夫、豊竹亘(わたる)太夫。後のお二人は呂太夫のお弟子さんです。

 三味線は左から順に鶴澤清友、鶴澤友之助、鶴澤燕二郎。燕二郎さんは途中、胡弓も演奏しました。

 初めの語りは謡そっくりです。同じ音程(邦楽ではこの用語は使いませんが)のまま、語を連ねる部分もあり、謡の特徴を取り入れていることがうかがえます。ふだん聴く義太夫とはずいぶん違っていて、そこが面白い。

 希太夫が刀鍛冶の三条宗近、呂太夫が稲荷明神、亘太夫は勅使の橘道成という役柄でした。希さんの語る部分が分量としては一番多い。やや硬質の声。楷書を思わせるようなきちんとした、それでいて大きさも感じられる語りです。師匠の語りには稲荷明神の品格が表れて、全体を引き締めます。高音も低音もよく出る方で、声が心地よく耳に届きます。3人で語る場面は息が合っていました。

 三味線は能楽堂の音響効果ゆえか、文楽劇場で聞くよりも力強く深い音色に聞こえました。中でも友之助さんがソロで弾くところは曲節がダイナミックで聞き応え十分でした。

 内容は能の「小鍛冶」とほぼ同じですが、刀にまつわる古今東西のウンチク話の部分は省かれています。その分、短くなって、わかりやすい。以下、当日配られた資料から引用します。

 木村富子・作詞、初代鶴澤道八(義太夫節三味線方)・作曲で、歌舞伎舞踊として二代目市川猿之助(初代猿翁)が1939年、東京・明治座において初演。文楽では、これを取り入れて昭和16(1941)年、四ツ橋文楽座で初演した。普通の義太夫節とは息の使い方が違うが謡そのものでもないという「能がかり」の演目になる。

 とのこと。文楽劇場でも何度か上演されているらしいのですが、私は初めて聞いて、ワクワクするような楽しさを感じました。演奏が終わると、客席から驚くほど大きな拍手が起こり、演者がみんな退場するまで続きました。若い女性にも受けたみたいです。

 

2019年6月 2日 (日)

義太夫と能で「小鍛冶」(大槻能楽堂)

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 31日(金)の夜、大槻能楽堂でろうそく能「小鍛冶」が上演されました。能の「小鍛冶」に先立って素浄瑠璃で同じ演目が上演されるというプログラムです。私の師匠、豊竹呂太夫が語られるので、見に(聞きに)行きました。

 この公演、人気が高くて、チケットは早くに完売したと聞いていました。会場に着くと、見所(客席)には若い女性がいっぱい。ふだん能楽堂に来るのは高齢の方がほとんどなので、びっくりしました。いったい、何が起こったのでしょう。

 はじめに落語家の桂吉坊さんが登場。特別ゲストの近藤隆さんを迎え、トークセッションです。この近藤隆という方、紹介によるとアニメ「刀剣乱舞」(「刀剣女子」を生み出した有名な作品)で小狐丸のキャラクターを担当した声優さんなんだそうです。その紹介を聞いて、納得が行きました。

 けれど、お二人の対話よりも興味深かったのは、能「小鍛冶」の赤頭バージョンと白頭バージョンとで「小鍛冶」のクライマックスの場面が上演されたことです。同じ「小鍛冶」でもシテがかぶる頭(歌舞伎の「連獅子」のような長い毛のかぶりもの)によってシテの性格が変わるのです。地謡が二人、着座し、正面の、いつもは囃子方が座る場所に一人の能楽師が座りました。前に小さな机を置き、実演の間、両手の扇子で机を叩いてお囃子の代わりに拍子を取り、合間に掛け声を入れます(アシライと言うそうです)。この方が、大槻文藏さんでした! なんという贅沢!

 はじめに赤頭のシテが登場。装束が華やかで、頭には狐をかたどった飾りを乗せた冠をかぶっています。狐戴(こたい)というものです。この赤頭は若さを表現するのだそうです。跳躍してくるっと回り、ばん!と着座するという所作が組み込まれ、全体に力強さがみなぎっています。文藏さんの拍子も地謡もテンポが速めです。

 次に白頭のシテが登場。装束は渋くて神々しい取り合わせ。老人を表しているのだそうです。頭には狐戴を乗せているはずなのに、見当たりません。後日調べたところでは、この白頭の外見は「刀剣乱舞」の小狐丸に似せていたのだそうです。拍子も地謡もテンポがやや緩めになり、重々しい雰囲気に包まれました。頭によってシテのキャラクターが変わることは知っていましたが、この実演で比較して見ることができ、とてもわかりやすかった。文藏さんの拍子と掛け声には終始うっとりしてしまいました。思いがけない大ご馳走でした。

 この日の能は「黒頭 別習」という小書(こがき。演出)です。黒頭は霊性の高さを表し、別習が付いていると力量のある能楽師さんにしか勤められないのだそうです。ますます期待が高まります。

 この後、舞台に床が設えられ、二人の能楽師さん(齊藤信輔さんと大槻裕一さん)によって、舞台を取り囲むろうそくに火が灯されました。

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 一気に幽玄の趣に。義太夫の「小鍛冶」が始まります。

 

2019年5月27日 (月)

能「加茂」「小袖曽我」(金剛能楽堂)つづき

 まず、あらすじから(当日配られた資料からお借りしました)。

 富士の裾野での巻狩り(四方から取り巻き獲物を狩る)で父の敵・工藤祐経を討つことを決意した曽我十郎・五郎(シテ ・シテ ツレ)の兄弟は母(ツレ)にそれとなく暇乞いにやって来ます。母は喜んで十郎には会いますが、出家せよとの母の命に背いた五郎には怒って会いません。

 兄の十郎は弟のためいろいろ取りなし(弟は寺を出たが箱根にいた間は母のため、父の回向に心を尽くしたと)、母に恨みを述べて弟と立ち去ろうとするので、さすがの母も五郎の勘当を許します。

 兄弟は喜びの酒を酌み交わして舞います。親子の最後の対面をも意味する舞ですが、名残惜しくても狩場に遅れてはいけないと、母に別れの挨拶をして出立します。

・・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・

 題名の「小袖」は、母親が兄弟に餞別として小袖を与えるところから来ているのですが、その場面は省略されています。

 曽我ものといえば、歌舞伎では祝祭性の強いジャンルで、お正月に上演されることが多いのです。能の曽我ものにはそういう性格がないんだな…と思っていたのですが、クライマックスの兄弟の舞で印象が変わりました。喜びと悲しみが入り混じった舞であるはずなのに、見ているうちに何かを祝福しているような、見所(客席)が祝福されているような性質が感じられたのです。

 シテ(十郎)は金剛龍謹(たつのり)さん。直面(ひためん)での舞がよく似合う、美形の能楽師さんです。「直面のときは、能楽師の顔が面(おもて)の代わり」と聞くとおり、表情はまったく動きません。体幹に揺るぎがなく、キレの良い動きに品格があって凛々しく、まことに美しい。終始、見とれてしまいました。美しさそのものが祝福を感じさせたのかもしれません。

 ツレ(五郎)は山田伊純さん。びっくりするほど小顔の美青年です。舞の動きがシテにほんの少し遅れて見えたのは、シテに合わせようとするからでしょうか。連れ舞いの難しいところなのでしょう。

 「加茂」を見るのが目的で、「小袖曽我」には何の期待も抱いていなかったのですが、龍謹 さんの舞に圧倒されました。良い意味で予想を裏切られた舞台でした。

 

能「加茂」「小袖曽我」(金剛能楽堂)

 土曜日、ふと思い立って京都の今出川にある金剛能楽堂へ。定期能(今年に入ってから第5回だそうです)を拝見しました。

 見たかった曲は「加茂」。上賀茂神社、下鴨神社の由来を内容としています。登場人物が神様の「神能」。この分野が私は大好きです。

 ☆あらすじ(当日配られた資料からお借りしました)

 室の明神に仕える神職(ワキ)が都へ上がり賀茂神社に参詣します。古代より天然の良港で栄えていた室津(兵庫県たつの市)は平安時代に賀茂神社の神領となり、勧請されて賀茂神社(室の明神)が設けられました。神職が本社の賀茂神社に参詣し、御手洗川で水を汲もうとする女人二人(前シテ・前シテツレ)に出会いました。この能は祭祀性が強い神能ですが、最初から二人の女人が登場するのは珍しいです(通常は姥と尉)。

 川辺に白矢を立てた祭壇が築かれているので、不審に思った神職が尋ねます。「朝夕この川の水を神に手向けていた秦の氏女が、川を流れてきた白羽の矢を持って帰り家の軒に挿しておくと、男の子を産んだ。矢は天に上がり鳴る神となり、男の子は別雷(わけいかづち)の神、その母も神となって祀られた」と一人の女は賀茂三社の縁起を語り、水を汲み、神に手向けます。神秘を語る貴女は誰かと問う神職に、女人は神だとほのめかして消え失せます。(中入)

 やがて末社の神(狂言方)が現れ舞(三段の舞)を舞うと、天女の御祖の神(後シテツレ)も現れ舞(天女の舞)を舞います。御祖の神が裳裾を水に浸すと、にわかに雷鳴がとどろき渡り別雷の神(後シテ)が天から降りてきて、面(大飛出)に象徴されるように豪壮奔放に舞います。別雷の神の荒々しさは国土を守護する神威力の表現です。

 祝福を与えた御祖の神は糺の森に、別雷の神は天上へと帰って行きます。別雷は神鳴りの神で、「別」は「若」の意味です。

 前シテの優美さ、後シテの豪快さを一人で演じ分けるところにこの能の面白さがあります。賀茂神社は賀茂別雷神社(上賀茂神社)と賀茂御祖神社(下鴨神社)の総称で、天女の御祖とは玉依姫です。

・・・・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・・

 シテは金剛永謹(ひさのり)さん。笛はお久しぶりの杉信太朗さんでした。最初のお調べがとても長い。聞き慣れたお調べの倍くらい続きました。金剛流独特なのかもしれません。音色が安定していないように聞こえ、スギシン(こういうニックネームらしい)くんにしては珍しいなと首を傾げましたが、舞台ではいつもどおりでした。

 曲そのものはどうだったかというと、なぜか眠くなってしまい、何度も我に帰ったものの、よくわからずじまい。後シテの面が大きく恐ろしげで、シテの体全体にも舞ぶりにも力強さがみなぎっていたことだけを覚えています。

 「小袖曽我」はちゃんと起きて見ていました。次の記事に書きます。

 

 

2019年5月24日 (金)

初めてのノルディック・ウォーキング

 地元のコープが主催しているノルディック・ウォーキングの講座に行きました。以前からこのスポーツに興味があったのです。

 9時45分、阪急電車宝塚線の山本駅で集合。ネットでノルディック・ウォーキングについて調べると、若いほっそりした女性が腕を前後に大きく振ってポール(なぜかストックのことをこう呼ぶ)を使いながら颯爽と大股で歩いている写真が出てきます。でも、集まったのは高齢の女性ばかりでした。そうじゃないかと思ったわ。

 参加者は私を含めて4人。定員20人なのに寂しい。講師はやっぱり高齢の男性です。あらかじめレンタルを申し込んでおいたポールの長さを、私の身長に合わせて調整してくれました。持ち方も教わります。上の方にベルトがついていて、手を差し込み、親指だけはほかの4本の指とは違うところから出します。このベルトはワンタッチでポールに着脱できます。

 4人のうち、二人は体験者で、私ともう一人の方は初めてでした。近くの公園でストレッチをしてから、歩き方とポールの使い方の基本を教えてもらいます。背筋を伸ばし、力を抜いて、肘を伸ばし、ポールを引きずるようにして歩きます。手は開いておき、腕を前後に振ります。慣れないうちは右手と右足が一緒に出たりしました。

 しばらく練習した後、公園を出て歩き始めました。人通りのまれな歩道を、ポールを使いながら歩いて行きます。腕を後ろに引いた時、手を軽く握ってポールの先端で地面を押すようにすると推進力が得られるので楽に速く歩けるのだそうです。

 20分ほど歩いて、荒牧バラ公園に着きました。

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 20分の自由時間です。幼児の集団、車椅子に乗った高齢者と介護している人たち、家族連れなど、大にぎわい。

 バラはほんのちょっと見頃を過ぎてしまっていて、残念でした。こんな小さなバラはまだ元気。カルミアに似ています。

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 私が一番好きな灰色がかった薄紫のバラ。

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 天神川の土手に上がり、川沿いの散歩道を歩きます。川から吹いてくる風が心地よい。先生は今、月に15日くらい、近辺の各地で講習を開いていると話していました。一番年上の70代の女性は5〜6年、この運動を続けているそうです。スポーツ公園でゴールして、ストレッチ。全部で4〜5kmは歩いたんじゃないかと思います。

 ノルディック・ウォーキングは全身を動かす運動なので、上半身、下半身共に鍛えることができ、体幹も鍛えられます。週に120分くらいするのが効果を上げる目安だそうです。私の実感では、運動量が多くないので、普段体を動かしていない人にちょうど良いスポーツです。私にはちょっと物足りなかった。クロスカントリーの選手がオフシーズンのトレーニング法として考え出したものらしいので、やり方次第で強度を上げることもできるのでしょうね。

 費用は、受講料が1404円、ポールのレンタル料が216円で、合計1620円でした。

 

 

2019年5月20日 (月)

このごろハマっているドラマ

 今、毎週欠かさず見ているドラマがいくつかあります。そのうち2本は、ゲイが主人公というところが共通しています。

 一つは、「腐女子、うっかりゲイに告る」。NHKの「よるドラ」枠で土曜の夜に放送されています。タイトルが軽いノリなので、そういうドラマを想像して気軽に見始めたら、とんでもなかった。

 主人公の安藤純は高校3年生でゲイ。年上の恋人がいます。恋人は結婚していて、子どももいます。母一人子一人の母子家庭で育った純は母親に心配をかけたくない気持ちから、女性と結婚し、子どもを持つ「普通の」暮らしを追い求めます。

 同じクラスにボーイズラブが大好きな腐女子、三浦紗枝がいて、ゲイだとは知らず、純を好きになります。紗枝 は「腐女子」であることをクラスメイトに知られていじめられた辛い過去を持っています。

 純は先に書いたような動機から紗枝 の告白を受けて交際を始めます。実際、彼にとって彼女は今まで見たことのない魅力のある子だったのです。なんとかして紗枝 とSEXにこぎつけたいのですが、うまく行かず…。先週の放送では、純がゲイであることがクラス中に(学校中かも)知れ渡り、追い詰められた彼は衝撃の行動を取りました。

 難しいテーマに真摯に向き合っている制作スタッフや俳優さんたちに喝采を送りたいです。純を演じているのは金子大地。この俳優さんは初めて見ました。純役にしっかり取り組んで、微妙な感情を繊細に表現しています。紗枝役は藤野涼子。自然体の演技が素晴らしく、感嘆してしまいます。 宮部みゆき原作の映画「ソロモンの偽証」の主人公でデビューした人です。「藤野涼子」はそのときの役の名前。朝ドラ「ひよっこ」にも有村架純の友達、豊子役で出ていましたね。金子大地も「ひよっこ」に出ていたらしいのですが、覚えていません。

 もう一つのゲイが主役のドラマは「きのう何食べた?」。テレビ東京系列で木曜の深夜、というか金曜の朝0時過ぎに放送しています。西島秀俊と内野聖陽という人気の高いイケメン中年俳優さんがW主演。西島秀俊は弁護士、内野聖陽は美容師という職業設定で、仲良く暮らすゲイのカップルの日常を描いています。

 二人とも中年ですから、さまざまの苦難はすでに乗り越えてきたのでしょう。終始ほっこりした気分で見ることができます。西島秀俊が演じる筧史朗(シロさん)は料理が上手で、毎回、台所で腕をふるう場面や出来上がっためちゃくちゃ美味しそうな料理を二人で食べる場面が出てきます。こんな男性と暮らしたい! と思ってしまいます。内野聖陽が演じる矢吹賢二(ケンジ)は仕草が女性っぽく、可愛らしい。

 西島秀俊は「メゾン・ド・ポリス」でもエプロン姿でアイロン掛けに精を出す元刑事役でしたし、このところ「家事をする男」の役が続いています。ご本人は私生活ではまったく家事をしない人らしいのですけれどね。

 もう1本、書いておきたいのは性的マイノリティとは全然関係のない時代ドラマ「大富豪同心」。NHKで金曜の夜に放送が始まったばかりです。

 主人公、八巻卯之助役の中村隼人は歌舞伎界の御曹司。二世中村錦之助の子息です。尾上右近と並んで、今、若手のイケメンナンバー1を争っている役者さん。シネマ歌舞伎で「スーパー歌舞伎Ⅱ ワンピース」を見たとき、二役を演じたこの人の力量が印象に残りました。テレビドラマで見るのは初めてです。さすがに身のこなしが美しく、時代ドラマにぴったりの人選でした。

 卯之助は大金持ちの商家の出。祖父が金で買った同心の仕事に就くという設定です。武道はからきしダメで体力もなく、祖父と幽霊が何より苦手。放蕩を尽くしてきて身につけた教養と人脈が思いがけず役に立つところが面白い。とはいえ、あまりの恐怖から立ったまま気絶しているのを見て剣豪が「よほどの使い手」と誤解するなど、あり得ない! 場面も多々見られます。そんなのも含めて気軽に楽しめる娯楽番組です。

 第1回を見て、私が釘付けになったのはエンディングでした。出演者が主題歌(演歌です)に合わせて踊るんです! 「カルテット」「逃げるは恥だが役に立つ」など、エンディングで俳優さんたちがダンスを披露するドラマはこれまでにもありましたが、時代ドラマでそれをやるとは! まずあっけにとられ、次には笑ってしまいました。だけど、このシーンがとても楽しいのです。

 隼人の演技力そのものは70点かせいぜい80点と言ったところ。それでも脇役がしっかりしているので見ていられますし、間の取り方などこれからだんだん上達するのではと期待しています。演出がもう少しきっちりすれば、もっといいドラマになって、シリーズ化するかもしれません。原作の小説は二十数冊もあるらしいので、ネタには困らないでしょう。

2019年5月19日 (日)

2度目の大文字山 13km

 昨日、阪急交通社主催のハイキングに行ってきました。参加費は無料です。行き先は大文字山(如意ヶ嶽)。2度目なので、前に登ったときより楽に歩けるかな? と期待していました。

 大文字山を銀閣寺の側から登ってインクラインの方へ下りるというコースは同じでしたが、銀閣寺までと、下りてからの経路は前回とは違っていました。

 三条大橋付近の鴨川河川敷に集合して、9時半ごろ出発。平安神宮の前を通り、

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 哲学の道を歩きます。この途中、急に左太股が痛くなってきました。まだ山道に入ってもいないのに。おまけに雨も降り始めました。今日は取りやめにして帰ろうかな? と迷ったりしながら、雨具(上着だけ)を着ることにしました。ザックにも雨よけカバーをかけます。私にしては速めのペースで歩いてきたのですが、痛みがひどくならないようにペースを落としました。

 銀閣寺を過ぎて、10時半ごろ、登山道に入ります。町中とは打って変わって、深閑とした雰囲気です。30分ほど登ると、火床がある場所に着きました。この火床は、五山送り火で「大」の字に薪が燃やされる台です。眺望抜群のスポット。ここまでは小学生の遠足でも来るんだそうです。登山口から30分で登れますからね。幸い、雨も止んできました。

 昼食ポイントとして設定されていますが、まだ11時過ぎでお腹がすかないので歩き続けることにしました。急な階段を登り、再び見晴らしの良い平場に到着。ここでお弁当を食べました。

 昼食後はどうしても足が重くなってしまいます。けれど、このコースは午後の方がきついのです。さらに登って、12時、山頂へ。ちっちゃな三等三角点が。

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 標高466m。ここからの眺めは最高です。あいにくの天気ですが。

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 このあと、緩やかに下るのかといえば、とんでもない。登ったり下ったりの繰り返しで、しかも登り・下りともに傾斜がきつかったり歩きづらかったりするのです。距離から言っても、登りより下りの方が長いように思います。降った雨が少なかったので道があまり濡れていなかったのは助かりました。ずっと雨具を着ていましたが、風が強くて気温が上がらず、暑いとは感じませんでした。

 倒木が目立ち始めました。

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 前回、道を塞いでいて、またいで通った木は切ってありました。

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 でも、まだまだおびただしい倒木が見られる部分が残っていて、

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 その辺りでは「山が荒れている」という印象は変わりませんでした。

 下りの最大の難所を過ぎて、しばらく歩くと、石段の下が開け、清澄な空気が立ちこめています。南禅寺の塔頭、駒ヶ滝最勝院の一部です。ここまで来ると、やっと山を下りたと感じられます。1時ごろでした。

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 滝は、涸れているのか、水が見られません。もう少し下ったところに塔頭の入り口があり、のぞいてみると立派な建物が見えました。

 南禅寺の水路閣。

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 観光客が少ないわけではないけれど、敷地が広大なので気になりません。

 

 三条通りを西へ歩き、三条東公園という住宅地の公園でゴールです。1時45分でした。参加者はなんと1682人もいたそうです。

 足の痛みは山道に入ってからいつの間にか薄らぎ、問題なく歩き通すことができました。塩+ミネラルのタブレットをなめたり、アミノ酸が補給できるゼリーを食べたり、酸っぱいドライフルーツをかじったり、チョコレートを食べたり、もちろんこまめに水分をとったり、いろいろやってみたうちの、どれが効果があったのかはわからずじまいです。

 前回より楽に歩けたかというと、思いがけず足に故障が起きたので、それどころじゃなかった! だけど、一度歩いたことのある道は、細かいところまでは覚えていないものの、おおよその見当がつくので、初めてのときより歩きやすいと感じられました。

 

 

 

2019年5月13日 (月)

地元の山の会の体験ハイキングで六甲へ 10km

 私の山歩きの師匠、そらまめさんが「こんな団体がありますよ」と、地元の山の会を教えてくれました。ホームページを見ると、月に何度か、会員外の人が参加できる体験ハイキングが催されています。昨日、初めて行ってきました。本当は4月末に行くはずだったのに、急な気温の低下で体調を崩してしまい、泣く泣くキャンセル。待ちに待った初参加でした。

 9時前に阪急電車神戸線の岡本駅に集合。参加者は一般の会員さんが11人。このグループにチーフリーダー1人(女性でした)とサブリーダー1人(男性でした)が付きます。体験ハイキングの参加者は8人。こちらもチーフリーダー(女性。会員歴二十数年だと、後で聞きました)とサブリーダー(男性。会員歴十数年)が付きました。

 出発前に体験ハイキングのチーフリーダーさん(以下、この方のことを「CLさん」と記します)がマダニよけのスプレーを参加者一人ひとりの登山用パンツの裾あたりに吹きかけてくれました。タイツとショートパンツというスタイルの若い男性にはタイツに念入りにスプレーしてあげていました。

 私は初参加なのでやや緊張気味でしたが、CLさん、サブリーダーさんともに暖かい人柄が伝わって来たので、安心しました。会員さんたち相互の雰囲気も和やかで好印象です。

 会員さんグループが先に出発し、私たちも9時に出発して、住宅地の舗装路を山側に登ります。朝の9時でももう暑い。CLさんの歩速はとてもゆっくりです。少し歩いて、天上川公園に着きました。ここで簡単な自己紹介の後、ストレッチをして、いよいよ山歩きを始めます。

 会員さんグループが前で、体験参加者はその後に付き、道幅によって2列になったり1列になったり。会員さんグループのチーフリーダーさんも終始ゆっくりペースを守って歩くので、普段から歩くのが遅い私は大助かり。山道は日陰なので涼しくて、心地よく歩けました。

 つづら折りの道を登ります。しばらくは登り坂が続いて、心の中で「しんどいよー」と呟きながら歩き続けました。2度、短い休憩を取りました。歩きながら、CLさんが「登りはもう少しです」「あとはほぼなだらかです」と教えてくれます。それでずいぶん励まされました。

 どれくらい時間が経ったときだか、よく覚えていないのですが、CLさんが「これから打越山です」と教えてくれ、その後40分ほどで山頂に着きました。標高481.6m。狭くて、眺望はききません。会員参加者の1人がこんにゃくゼリーを凍らせたのを配ってくれ、これがとびきり美味しかった!

 このあとはたいした登りもなく…と思っていたら、昼食場所の横の池(横池)が近づいてから急坂にぶつかりました。池が見えたときにはしんそこほっとしたくらい。そらまめさんに連れて来てもらったハイキングで一度訪れたことのある場所です。

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 相変わらずおたまじゃくしがうようよいて、気持ち悪いほどでした。

 木陰を選んでお昼ご飯です。会員さんの1人が「藪には近づかないほうがいいですよ。マダニがいるので」と教えてくれました。昨年、六甲登山をしていた女性がマダニに噛まれて亡くなったという話はそらまめさんから聞いていました。その女性は、この会の会員だったらしいのです。マダニ対策はそれまでも会として取り組まれていたのでしょうが、その事故以来、いっそうシビアになったんでしょうね。会のホームページにも、マダニに噛まれないようにするにはどうすればいいか、資料が掲載されていました。

 40分ほど昼休憩をしてから、登ったり下ったりして、風吹き岩へ。周囲が狭い上に人が多いので、こんな写真しか撮れていません。

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 何人かの会員さんに続いて、私も登ってみました。てっぺんからの眺望が素晴らしい。写真はクリックすると拡大します。

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 足元が滑りやすい道を用心しながら下り、蛙岩へ。

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 80代の男性会員さんのほか、女性の会員さんが2人、登りましたが、私は遠慮しておきました。降りるのが怖そうでびびってしまったー。

 魚屋道(ととやみち)を下りて、会下山(えげのやま)遺跡へ。

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 弥生時代の生活跡が何カ所も残っているらしい。建造物はないのだけれど、「弥生時代」と聞いただけで「なんだかすごいものが身近にあるんだなあ」と感動しました。

 ここから芦屋の住宅地まではすぐです。舗装路はやっぱり暑い! 山芦屋公園に立ち寄り、ストレッチをしたり、体験参加者は簡単な感想を言ったり。この会についての説明もしてもらいました。

 会員さんは皆さんフレンドリーで、私のようなヘタレハイカーも優しくフォローしてもらえます。元気で山が好きで集団行動ができる人なら誰でも、その人のレベルに合った山歩きが楽しめるようにしようという合意がどの会員さんにも行き渡っているようです。来る前の不安感は吹っ飛び、私はこの山の会がすっかり気に入ってしまいました。

 芦屋川駅近くのお店での「反省会」という名前のビールを飲む会(飲めない人はコーヒーなど)にもきちんと(?)参加。よく冷えたビールの美味しかったこと! 体験ハイキングに2度参加すれば入会ができるそうです。今のところ、月末の日曜日には参加できそう。楽しみ!

 この前登った標高273.6mの明神山(奈良)と、今回の標高481.6mの打越山とで、登りのしんどさがたいして変わらなかったのは不思議です。気温も同じくらいだったのですが、暑くてたまらなかった前回より快適に歩けたのは、体が暑さに慣れてきたからかもしれません。この調子でだんだん慣らして、夏も山歩きを続けられたらいいな。

 

 

 

 

 

2019年5月 6日 (月)

奈良・へんろ道から明神山、高井田駅へ15km

   昨日、JRふれあいハイキングに参加してきました。標高273.6mの明神山に登る15kmのコースです。主催者は大和ウォーキング協会でした。

 JR大和路線の王子駅を10時前に出発。しばらく舗装道路が続いて、達磨寺に着きました。聖徳太子の愛犬だったという雪丸の像が祠の下に鎮座していて、ドッグフードがお供えしてありました。

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 雪丸は人の言葉が話せ、お経が読め、本堂の下にある達磨大師のお墓の北東に葬ってほしいと遺言を残したんですって。 町のマスコットキャラクターとしても活躍しているようです。 

 1km半ほどで尼寺(にんじ)廃寺跡史跡公園に到着。7世紀後半に造営されたお寺の跡です。左が塔の跡で、右は金堂の跡。この伽藍配置は法隆寺と同じなのだそうです。

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 この時代、朝廷が各地に国分寺、国分尼寺を建てましたが、こちらは地元の豪族が作った珍しい例です。そばに学習館というこぢんまりした資料館があり、日本最大級の礎石跡をガラス越しに床下に見ることができました。

 しばし休憩です。疲れた人にはここから帰るコースも案内されました。お天気が良くて気温が上がり、暑くてたまりません。つばの広い帽子をかぶって行ってよかった。

 1km半ほど歩いて、「へんろ道」という山道に入ります。

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 木陰なのでいっぺんに涼しくなり、快適です。瀧不動院というお寺の脇を通って、

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 狭い道を一列で登って行きます。はじめは石段、途中から木の階段になり、普通の山道のところもあります。歩きやすい道だけれど、勾配はそこそこあって、息が弾みます。参加者の中には「しんどい!」と愚痴る人もいます。

 距離にして450m。ようやく広い参道に出て、ゆるやかに200mほど登ると、前方に鳥居が見えてきました。

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 明神山の山頂です。12時半になっていました。日陰を選んでお弁当を広げます。

 この山頂、それほど標高が高いわけでもないのに、360度のパノラマが楽しめます。展望デッキに上がると、

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 二上山、葛城山、金剛山。近畿地方で最高峰の八経ヶ岳。方角を変えると信貴山、生駒山、遠くに大峰山まで望むことができました。素晴らしい眺めです。お天気が最高に良い日は明石海峡大橋まで見えるのだそう。

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 午後は10kmのコースも設定されていて、グループが2つに分けられました。ほとんどの人が15kmコースを選びました。もちろん私もです。狭い道をしばらく歩いてから、

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 尾根道に出て、下ったり、また登ったり。ご飯を食べた後は疲れが出るので、登りはきつく感じられます。ときどきリーダーから「止まって、水分補給をしてください」というお知らせが来ました。熱中症で倒れる人が出ては大変ですから、山道の途中で立ったままでも水分補給の時間を取ったのでしょう。

 結局、午後も1時間ほど山道を歩きました。300m足らずの標高なのに、意外と歩きがいのあるコースでした。 3時15分、高井田駅(柏原市)に到着。ハイキングで15kmも歩いたのは初めてかも!? 問題なく歩ききることができたので、自信がつきました。

 

2019年5月 2日 (木)

初めての一人ハイキングは城山へ

 今日はようやくすっきりと晴れてくれたので、初めて一人でハイキングに出かけました。行き先は先日そらまめさんに連れて行ってもらった芦屋市の城山です。

 阪急電車神戸線芦屋川駅から川沿いに北へ。ずっと登り坂です。お天気が良いので、少し歩くとすぐ暑くなります。

 やがて川にかかった橋のところに標識が見えました。

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 ここを右折して(橋を渡って)、さらに登って行きます。道の両側に豪邸が並んでいます。しばらく行くと、城山への標識が。

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 右へ曲がり、少し歩くと前方に木の階段が見え、いきなり山道に入ります。あっという間に山の中。日差しが程よく遮られて涼しい。爽やかな風も吹き渡ります。

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 住宅地のすぐそばにこんな場所があるなんて、奇跡のようです。はじめは自動車が走る音が遠くに聞こえたりもしますが、それもだんだん遠ざかります。3種類くらいの野鳥がしきりにさえずっていました。ちょうどお昼頃だったので、休日なのに歩いている人が少なかったからかもしれません。

 雨の後なので道がぬかるんでいるんじゃないかと想像していましたが、降り積もった落ち葉がわずかに湿っている程度で、とても歩きやすい。

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 一本道なので迷うことなく安心して歩けます。いつものゆっくりペースより少し早めに、元気よく登りました。アスファルトの坂道を歩いていた時はすぐに疲れを感じたのに、山道を歩くと心身がよみがえるようです。深呼吸して、肺の隅々にまできれいな空気を行き渡らせました。

 見晴らしスポットを経て、

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 頂上に着きました。高齢のご夫婦がお孫さんたちを連れて来ています。ゴールデンウィークなので、遠方から遊びに来たのかもしれません。

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 前回はそらまめさんの案内で高座の滝へ下りましたが、今日ははじめての一人ハイキングなので、同じ道を引き返すことにしました。途中、枯れ枝を拾い集めてのこぎりで切ってまとめているおじさんがいました。歩くのに邪魔になるのを片付けてくださっているよう。「ありがとうございます」と声をかけて通りました。

 快調に芦屋川駅まで戻りました。スマホの歩数計では自宅と芦屋川駅の往復を含めて13,000歩、9kmほど歩いたらしい。この歩数計は実際より多めの数字が出るようなので、本当はそんなに多くなかったかもしれません。ともあれ、短時間の気軽な山歩きでリフレッシュができました。

2019年4月30日 (火)

「古演出による 葵上」さらにつづき

 休憩の後、公演が始まりました。

 後見が正先に病床に臥す葵上を表す小袖を置きます。ここは通常のバージョンと同じです。次に照日の巫女、続いて朝臣が現れるのが通常ですが、今回はまず朝臣が登場しました。そして名ノリで自分は朱雀院に仕える臣下であること、葵上に物の怪が取り憑いて容態が悪く、貴僧高僧の祈りも一向に効き目がないと語り、照日の巫女を呼び出して葵上に取り憑いている物の怪の正体を明かさせようと思うと告げます。照日の巫女は弓のつるを鳴らして霊を呼び出すことのできる超能力者です。

 朝臣に呼び出された照日の巫女は

「天清浄(しょうじょう)地清浄。内外清浄六根清浄。寄り人は。今ぞ寄り来る長濱の。葦毛の駒に。手綱ゆり懸け」と謡います。

 この間に、後見が破(や)れ車を表す作り物を持ち出し、橋掛かりの一の松あたりに置きます。…だったと思うのですが、どのタイミングだったか、実は記憶があいまいです。もっと前だったかもしれません。大きな作り物なので、シテとツレが舞台へ出てくるのに邪魔にならないだろうかと思ったことを覚えています。

 照日の巫女のことばに応えるように、シテと3人の青女房が登場します。シテは黒地の腰巻、白地縫箔の壺折姿。青女房の装束は唐織です。「青」とは、若いという意味のようです。シテはそのまま作り物の中に入り、青女房は橋掛かりに並びます。一番前にいる人物はリーダー格のようで、装束の色がほかの二人とは違って、白×銀色っぽい色調です。ほかの二人(青女房2と3と呼ぶことにします)の装束は紅が入った色合いです。

 御息所「三つの車に法(のり)の道。火宅の門をや。出でぬらん。」

 青女房「夕顔の。宿の破れ車。遣る方なきこそ。悲しけれ」

 青女房「浮世は牛の小車の。浮世は牛の小車の廻るや報いなるらん」

 御息所「およそ輪廻は車の輪の如く。六趣四生を出でやらず。人間(じんかん)の不定(ふじょう)芭蕉泡沫の世の習ひ。昨日の花は今日の夢と。驚かぬこそ愚かなれ。身の憂きに人の恨みのなほ添ひて。忘れもやらぬ我が思ひ。せめてや暫し慰むと。梓の弓に怨霊の。これまで現れ出でたるなり」

 六条御息所の生霊に取り殺されたもう一人の女性、夕顔の名前や、仏教的な言葉が散りばめられた美しい詞章です。

 このあと橋掛かりから舞台へ進んできたように思うのですが、はっきり覚えていません。

 巫女に何者かと問われて、シテは「これは六条の御息所の怨霊なり」と名乗ります。皇太子妃だった頃の華やかな日々を回顧し、今は衰えて朝顔の日影待つ間の有様だと嘆きます。

 詞章の美しい独白ののち、恨みの心が高まって「今は打たでは叶ひ候まじ」と言う御息所に、リーダー格の青女房は「あら浅ましや。六条の。御息所ほどの御身にて。後妻打(うわなりうち)の御ふるまひ。いかでさる事の候べき。ただ思し召し止り給へ」と押しとどめようとしますが、御息所は聞かず、扇で葵上を打ちます。

 すると、青女房の2と3が「この上はとて立ち寄りて。われらも後にて苦を見する」と、それぞれに葵上を打ちます。さっきは制止していたリーダー格の青女房までが加わり、御息所もまた打ちます。御息所「今の恨みはありし報い」青女房「瞋恚(しんい)の炎は」御息所「身を焦がす」青女房「思ひ知らずや」御息所「思ひ知れ」と、壮絶です。まさに集団暴行です。

 この後、御息所は破れ車に葵上を乗せて連れ去ろうとするのですができず、唐織をさっと頭からかづいて足早に退場します。3人のツレも退場します。ここは、通常はシテは舞台奥、後見のそばに下がり、物着(舞台上での着替え)をするらしいです。

 朝臣が下人を呼び、横川の小聖を招かせます。この人物は山伏の姿をしており、数珠を揉みながら真言を唱えると、般若の面をつけ、白地に鱗文様の摺箔(小袖)、緋色の長袴姿で打ち杖を手にした後シテ(御息所の怨霊)が登場します。小聖と怨霊の対決場面は高速のお囃子と激しい所作で盛り上がる見どころです。

 怨霊はついに調伏され、成仏して去って行きます。

 私としては小聖に怨霊への憐れみがかいま見えるといいなと思ったのですが、そのような気配は全く感じられませんでした。恋にとらわれて怨霊と化すような愚かな女に憐れみなど必要ないと考えているように見えました。

 不思議なのは、成仏した怨霊はどこへ去ったのか? という点です。御息所本人は生きていて、魂が抜け出して来ているのに、その魂が成仏してしまったら御息所はもぬけの殻にならないのでしょうか。

 それはさておき。

 普通に上演されている「葵上」は二度、見たことがあります。今回は「古演出」というところに興味を抱いて見ました。登場人物が多く、破れ車の作り物まで出るので、わかりやすいというのが感想です。世阿弥バージョンは削れるところは全て削って、より詩的な表現に仕上げたのだということもわかりました。

 「葵上」の六条御息所について、「嫉妬に狂って生霊になり、葵上を殺そうとするとは恐ろしい」「業の深い女だ」といった評価がされるようですが、私はそうは思いません。その行動の底に沈んだ深い哀しみに心を揺さぶられてしまうのです。「業が深い」というなら、(「業」という仏教的なことばの深い意味はわからないのですが)光源氏ほど業の深い人物はいないわけで、六条御息所はそんな光源氏の常に自分本位な思考と行動に人生を踏みにじられたのだとしか思えないのです。

 後シテの般若の面にも、恐ろしさより悲哀が感じられます。女に、というより男女を問わず人間に、こんな形相になってしまうほどの悲惨な苦しみや哀しみを味わわせてはいけないのだと思います。

 2年前の秋、大槻裕一さんのシテで「葵上」を見たところ、六条御息所の哀しみがよく表現されていて、この若い能楽師さんに好感を持ちました。今回の舞台ではなぜかそれが感じられませんでした。これも世阿弥改作版と古演出版の違いなのかもしれません。 

 私は六条御息所が好きで、光源氏という人物のことはちっとも好きになれません。「源氏物語」に出てくる女性たちは藤壺も葵上も六条御息所も紫の上も、みんな光源氏の犠牲者だと考えています。

 もっとも、「源氏物語」を原作どころか現代語訳でさえ初めのほうしか読んだことがないので、単純な思い込みにすぎないのかもしれません。

 

 

 

2019年4月29日 (月)

「古演出による 葵上」つづき

 上演に先立って、梅内美華子さんの解説がありました。詳しくて行き届いた解説でした。

 印象に残った部分を記しておきます。

 ・六条御息所はなぜ生霊となったか。光源氏への恋慕、光源氏が自分から離れて行く悲しみ、それゆえの(「車争い」をきっかけにして激しくなった)葵上への恨みや嫉妬の感情。前皇太子妃という格式の高い立場にあることから、そのような感情をあらわにすることははしたないという自制心が働き、感情は出口を塞がれて心の中に積もっていった。それがついには本人の意識を離れ、生霊と化して葵上を襲うに至った。

 ・「源氏物語」の「葵」を典拠としている。古典文学に生霊が登場する作品は少なくないが、生霊の側からの描写が見られる作品は珍しい。

 ・「源氏物語」の葵上は左大臣の娘。左大臣家は藤原家をモデルにしている。六条御息所は天皇家とのつながりが深い人物。葵上と六条御息所の対立、六条御息所の敗退は藤原家と天皇家の政治的葛藤を下地にしている。

 ・世阿弥が属していた大和申楽(さるがく)にはもともと「葵上」という作品はなかった。世阿弥が尊敬していた近江申楽の犬王道阿弥が「葵上」を演じるのを見て、世阿弥は感銘を受け、手直しをして大和申楽に取り入れた。現在、一般に上演されている「葵上」は世阿弥の改作したもの。

 ・元の作品では六条御息所の侍女がツレとして登場していたし、六条御息所が賀茂祭の折の「車争い」で味わった屈辱の象徴である牛車の作り物が出ていた。世阿弥が記した「申楽談義」にそのことが書かれている。

・昭和57年(1982年)、「橋の会」の実験能「葵上」で浅見真州さんがシテを演じた。昭和59年(1984年)、法政大学能楽研究所による試演会で原型が復元された。浅見真州さんはこの時も復元に携わった。いわばパイオニアである。当時から浅見さんは「侍女は3人くらいいたのでは」と考えていたが、試演では能楽師が揃わず実現しなかった。今回はそれが実現した。大槻能楽堂では初演である。

 ・六条御息所(の生霊)は葵上を打ち据える(「枕の段」。前半のクライマックス)。これを「うわなり打ち」といい、中世の民間習俗だった。先妻が後妻の、あるいは正妻が愛人の家に行き、家を打ち壊すなどの危害を加えた。そのような形で感情を発散させたのだと思われる。

・六条御息所は葵上を破れ車に乗せて連れ去ろうとする。この部分は原典(「源氏物語」)にはない。六条御息所の生霊が冥界から来たような、地獄へ連れ去ろうとするようなイメージだ。

 ・地謡が六条御息所の気持ちを語る部分、「人の恨みの深くして。憂き音に泣かせ給ふとも。生きてこの世にましまさば。水暗き澤邊(さわべ)の蛍の影よりも光君とぞ契らん。」は特に有名。和泉式部が夫から疎んじられるようになった時に詠んだ歌「もの思へば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂かとぞみる」を踏まえている。

 次の記事へ続きます。

2019年4月28日 (日)

能「古演出による 葵上」

 昨日、大槻能楽堂で能「葵上」を見ました。「古演出による」という小書が付いています。出演者は次のとおりです。

   前シテ 六条御息所の生霊、後シテ 六条御息所の怨霊  浅見真州(まさくに)

   ツレ  青女房   浅見慈一、竹富康之、大槻裕一

   ワキ  横川小聖  福王茂十郎

   ワキツレ 朝臣   喜多 雅人

   アイ  善竹隆司

   大鼓  辻 芳昭

   小鼓  林吉兵衛

   太鼓  中田弘美

   笛   貞光義明

   後見  齊藤信隆、大槻文藏

   地謡  寺澤拓海、水田雄唔、齊藤信輔、寺澤幸祐

       山本正人、上野雄三、赤松禎友、山本博通

 

 会場で配られた資料から、あらすじを転載します。

 左大臣の娘、光源氏の北の方(正妻)である葵上が物の怪に取り付かれ病に臥せっている。医者にかかっても、加持祈祷をしても一向によくならず、朱雀院(光源氏の異母兄)に仕える朝臣が、梓弓の音で死霊や生霊を呼び寄せる呪能者の照日巫女に命じ、物の怪の正体を占わせた。

 すると六条御息所の生霊が破れ車に乗って現れ、光源氏の愛を失った悲しみと恨みを晴らすようにして葵上を枕元で責めさいなみ、幽界へ連れ去ろうとする。(中入)

 左大臣家は急ぎ下人を使い横川小聖という行者を呼び寄せる。横川小聖が怨霊を追い払おうと祈祷を始めると、鬼の姿になった六条御息所が現れ激しく争う。

 六条御息所はついに法力に祈り伏せられ、ふと我に返って気づいた浅ましい我が姿を恥じ、最後は心を和らげ成仏するのだった。

 上演に先立って、梅内美華子さんの解説がありました。長くなりましたので、次の記事に書くことにします。

    

      

2019年4月26日 (金)

絶品でした! 呂太夫師匠の「堀川猿廻しの段」

 昨日、文楽4月公演の第2部を見てきました。演目は「祇園祭礼信仰記」の金閣寺の段と爪先鼠の段、そして「近頃河原の達引(たてひき)」の四条河原の段と堀川猿廻しの段でした。堀川猿廻しの段の「後」を、私が素人弟子として師事している豊竹呂太夫師匠が語られました。

 何年前だったか、師匠が同じ場面を語られるのを聴いたとき、涙ぐんでしまうくらい感動したのを覚えています。それまでにも何度もこの演目を見たことがあり、つまらない、退屈だと思っていたのに、そのとき初めて真価がわかりました。

 またあの語りが聞ける! と期待して足を運んだ甲斐がありました。師匠の「堀川猿廻し」は前回以上に素晴らしく、絶品でした。

 猿廻しをなりわいとする貧しく純朴で文盲の与次郎という人物が主人公です。その喜怒哀楽の表現がいきいきしていて見事です。高齢で盲目の母親や、心ならずも殺人を犯してしまった恋人と心中の決意をする妹、おしゅん。与次郎の二人への切ないまでの愛情がぐいぐいと心に伝わってきます。

 終盤、おしゅんとその恋人を送り出す場面で与次郎が2匹の猿にお祝いの芸をさせます。悲しい場面なのに、与次郎の様子やユーモラスな猿たちの芸を見ていると思わず笑ってしまいます。「祝う」という行為をほがらかにやって見せる与次郎という三枚目の人物がまるで神様のように感じられました。

 三味線はベテランの鶴澤清介さん。猿廻しの場面では若手の鶴澤友之助さんも加わります。ここの三味線の演奏はとりわけ素晴らしい。高度な技巧を駆使した、変化に富んだ面白い曲節には華やかさが感じられて、心が浮き立ちました。

 重い内容なのにほっこりとした笑いが散りばめられた作品です。師匠は「俊寛」のようなシビアな演目も巧みだけれど、こういう喜劇の要素のある作品もお得意なのです。

 暖かくてまっすぐな人間の真情に心が洗われるような気がしました。

 

2019年4月21日 (日)

春爛漫の山下城址、しらかば公園、旧山下道 10km

 昨日、能勢電のハイキングに行きました。お天気は快晴です。

 9時45分、日生中央駅前を出発。道路沿いの道や里山の道を歩き、井補野トンネルをくぐって、一庫ダムに着きました。ダムは放水中です。

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 出発から1時間ほど経った頃、突然、急な上り坂の地道に入ります。どうやら登山道のようです。急坂を登り続けて、四等三角点大昌寺に着きました。標高242.19mです。

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 勾配が緩やかになりました。若葉が茂る木漏れ日の道、とてもきれいです。

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 コバノミツバツツジが愛らしい花を咲かせていたり、ウグイスのさえずりがしきりに聞こえたりしました。

 こんな花も咲いていました。名前はしりません。

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 30分足らずでしらかば公園に着きました。広々として緑の豊かな公園です。ここで昼ごはんです。

 到着した人から順番にマイペースで休憩を取り、三々五々に出発。私は12時過ぎに出発しました。住宅地の遊歩道をしばらく歩いてから、また急な山道に入ります。一番標高の高い地点はこの後にあったらしい。たぶん280mくらいです。

 緩やかなアップダウンが続く旧山下道。

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 この道も歩いていて心地よく、疲れを感じませんでした。

 のどかな里山を歩いて、

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 12時40分ごろ、妙見口駅にゴールしました。

 前日に高低差を調べ、「これくらいなら平気」と判断して、ストックを用意しませんでした。実際はかなり急な登りが続き、ストックがあればもっと楽だったのに! と悔やみました。甘く考えずに、基本はストックを持っていくことにした方が良さそうです。

 

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