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2018年9月19日 (水)

「俳句あるふぁ」の「予選通過句」に選ばれました

 「俳句あるふぁ」は毎日新聞出版が発行する季刊の俳句雑誌です(以前は月刊だったらしいです)。投句用のはがきがついていて、「あるふぁ俳壇」に2句を投稿することができます。夏号を買ったとき、「ものは試し」と、送ってみました。
 数日前、発売中の秋号を書店で立ち読みしたら、私の句が「予選通過句」の中に入っていました!

 選者が4人いて、投句された全ての句を対象に、選句します。予選通過句というのは、「入選」「佳作」の候補として4人の選者が選んだ句です。

 選者ごとに「入選」が10句、「佳作」が30句選ばれます。同じ句を複数の選者が「入選」や「佳作」に選んでいるケースも見られます。
  「予選通過句」は都道府県別に並んでいて、3句しかない県があったり、100句以上並んでいる県があったりしています。

 私の住んでいる県のところを見ていて、自分の俳名を見つけました。やった! その上に句が載っています。

    せいせいと靴陰干しに夏燕

  一瞬、「こんな句、詠んだっけ?」と思ってしまいました。忘れるのが早い私にはよくあることです。思い出せば、梅雨で何日も雨が降り続いた後、やっと晴れた日に詠んだ句でした。

 「入選」でも「佳作」でもなく、「予選通過句」に入っただけなのですが、俳句歴1年未満で初投稿の私には飛び上がるほどうれしい結果でした。

 記事はまだ一部しか読んでいませんが、「『平成』と俳句」という長谷川櫂さん、宮坂静生さん、対馬康子さんによる鼎談が興味深いです。
 「戦後の七十年間は本当に稀有な時代で、改めて我々が日本の歴史とつながるような、そういう死生観を持たざるを得ない時代が来たということを感じますね」(宮坂さん)。
 「『現代の無常観』と言ってもいいと思うんです。『方丈記』に書いてある通りのことをまざまざと意識してしまう」(長谷川さん)
 「『徒然草』などの無常観、中世の無常観みたいなものがね、すごく身近に感じる」(宮坂さん)
 「俳句は最短の短詩型であるがゆえに、生と死は紙一重だというような危機的状況を表現できる文学ではないか、という高野ムツオさんの指摘を実感しますね」(宮坂さん)
 「そもそも文芸とか俳句とかいうのは、基本的に死生観を表すものですし」(対馬さん)

 このようなやり取りに深くうなづいてしまいました。私も似たようなことを思っていて(俳句についてではなく、時代について)、1年ほど前に「方丈記」を読んだとき、ここに書かれていることは現代にそのまま地続きだという感想を持ちました。

 俳句でもそうした内容を詠みたいと思うのですが、初心者には難し過ぎると、これまで手をつけてきませんでした。
 先日の句会に投句した句、

    その朝も常と変はらぬ蝉しぐれ

 の「その朝」は、台風一過の朝であり、大きな災害が訪れた日の朝でもあり、広島に原爆が落とされた8月6日の朝でもありました。でも、そこまで伝えるのは難しいです。
 それにしても、一番詠みたい句を避けて通っていてはいけないと気づかされた記事でした。

 
 

2018年9月18日 (火)

能「菊慈童」を見ました

 9月9日の西宮能楽堂公演の続きです。
 今回の公演は「『重陽の節句』〜菊の葉の露のなぞ〜能『菊慈童』」というタイトル。いつものように、まず梅若基徳さんが解説をされました。
 9月9日は「重陽の節句」です。中国では奇数は陽の数字、偶数は陰の数字とされ、陽の数字のほうがめでたいのです。そこで、3月3日、5月5日、7月7日が特別な日となりました。

 中でも最大の奇数である9が重なる9月9日は最もめでたい日でした。陽の数が重なるので、「重陽(ちょうよう)の節句」と呼びます。
 この日、菊の花の上にわたを置き、菊の露を染み込ませ、そのわたで顔や体を拭くと不老長寿の薬になると言われて来ました。

 どういうわけか日本では9月のこの節句は3月、5月、7月ほどにはその重要性が長くは伝わって来ませんでした。
 「菊慈童」は菊と不老長寿の関わりを描いているので、まさに重陽の節句にふさわしい演目なのです。

 解説の後、「囃子フリートーク」。小鼓体験の指導をされた上田慎也・敦史兄弟による「兄弟で違うお囃子方を志して」と題してのフリートークです。さらに梅若基徳さんが指導して「菊慈童」の謡の一部をお客が稽古しました。
 毎月お決きまりのこうしたプログラムの後、「菊慈童」が上演されました。主な配役は次のとおりです。

   シテ 慈童   梅若雄一郎(基徳さんの子息)
   ワキ 勅使   原   大

   大鼓   山本寿弥
   小鼓   上田敦史
   太鼓   上田慎也
   笛     貞光智宣

   後見   梅若基徳
         梅若猶義

   地謡   今村哲朗
         井戸良祐
         上野朝彦

 あらすじを『能楽ハンドブック』(三省堂)から紹介します(一部、書き替えています)。

  魏(ぎ)の文帝の臣下(ワキ)が「てつ(見慣れない漢字で、パソコンでは出て来ません)県山の麓から薬の水が湧き出た。みなかみを見て参れ」との勅命を受け、山中に分け入り、慈童(シテ)に出会います。慈童は少年の姿をしています。
 「何者か」と問われて慈童は「自分は周の穆王(ぼくおう)に仕えていた者だ」と答えます。穆王の寵愛を受けていたが、あるとき穆王の枕をまたいでしまい、その罪で深山に追放されたのです。
 周の穆王の時代は700年も前のこと。勅使が「700年も昔の人間とは、妖怪変化か」と怪しみます。
 追放されるとき穆王が哀れんで、枕に妙文(みょうもん。お経の一部分)を記して与えていました。慈童はその妙文を菊の葉に写し、葉に降りた露の滴りが不老不死の薬となり、700歳もの長寿を保つことになったと気づき、喜びの舞を舞います。
 そして、てつ県山の山の水は菊水の流れ、その泉はもともと酒なのだからと、勅使にもすすめ、自らも飲み、菊の花を折り敷いて寝ます。
 やがて目覚めると、700歳の寿命を文帝に捧げて、庵に入って行きます。祝言性の濃厚な曲。

・・・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・

 内容がわかりやすく、装束がきらびやか。作り物も二つも出て、そのうちひとつは菊の花で周りを取り巻いた寝台なので、華やかでした。
 「菊水」という名前の日本酒がありますが、ここから取られた名前なんですね。

 終了後、脇正面の座席を片付けてテーブルと椅子が置かれ、「能楽師とのティートーク」が行われました。これは予約していなかったのですが、まだ空きがあるとのことでしたので、申し込んで参加しました。

 梅若基徳さんのほか、途中から雄一郎さんも来られました。
 ここで出たお話で、驚いたのは、一つはこの能楽堂の建設に当たって、西宮市は一切、補助をしていないということでした。「文教都市」を謳い文句にしている自治体なのに、意外でした。

 もう一つは、「菊慈童」の穆王と慈童は同性愛の関係だったということです。謡の詞章に「寵愛」という言葉が出て来たので引っかかっていたのですが、やはりそうでした。穆王の周りには慈童だけでなく、何人かの少年がいたようです。

 ここで話は突然NHKの大河ドラマへ。世阿弥はとてもドラマチックな生涯を送った人物なので、大河ドラマの主人公として取り上げられても良さそうなのに、決して取り上げられることはない。それは、足利義満と世阿弥が同性愛の関係にあったからだそうです。
 このことは史実なので(私も知っていました)触れないわけにいかないし、NHKとしては大河ドラマでそうした性の問題は扱いたくないのだとか。
 「信長」では森蘭丸が登場しましたが、信長との同性愛の関係には触れませんでした。

 身分の高い男性が美少年を「寵愛」するという同性愛は広く行われていたことでしたし、一般社会でもよくあることだったのです。義満と世阿弥の関係は不思議でもなんでもないのですが、いつの頃からか(江戸時代も、当初はあったらしいです)廃れ、今では例えば芸能人が同性愛者だとわかると、袋叩きにあうようになりました。

 こんな話が飛び出して興味深く、また基徳さんが「後ほど舞台に上がってもらいます」とおっしゃっていたので、それも楽しみだったのですが、私は後にまだ用事が入っていたので、途中で退席しました。残念でした。

 次回、10月の公演は「井筒」です。超有名な曲なのに、私はまだ見たことがありません。最近では9月1日、大津の伝統芸能会館で味方玄(みかたしずか)さんがシテを勤めて上演されています。
 実はこの公演のチケットを早くから取っていたのですが、毎年8月末に行われる素人義太夫発表会が今年は会場の都合で9月2日になり、本番前日になってしまったので行くのを断念しました。
 というわけで初めての「井筒」です。とても楽しみです。


 


 

2018年9月16日 (日)

西宮能楽堂で小鼓体験

 西宮能楽堂の9月公演は「菊慈童」でした。公演に先立って小鼓の体験講座と謡の体験講座が開かれたので、予約して参加しました。謡は前にも経験しているのですが、小鼓を実際に打つのは初めて。これがとても楽しかったのです。

 講師は上田敦史さんという若い方。大倉源次郎さん(人間国宝)のお弟子さんだそうです。お兄さんで太鼓方の上田慎也さんが補助役でした。
 参加者は20人近く。小学校1年生から3年生くらいの女の子5人と、そのお母さんたちもいました。

 舞台の前半分に緋毛氈が敷かれ、稽古用の小鼓が並びました。参加者を前半と後半の二組に分け、まず前半組が舞台に上がり、小鼓の前に座ります。構え方、打ち方を教えてもらい、実際に打ってみます。

 小鼓を左手に持ち、右の肩の上に構えます。講師の掛け声を真似て声を出し、右手のひらの下の方を小鼓の下の方の縁に当て、4本の指で小鼓の中央を打ち、反動ですぐに離します。「縁に手のひらを当てる」→「中央を打つ」→「離す」。この一連の動作をほぼ一瞬に行います。

 掛け声は「いやぁ」と「ほぉ」の2種類を教わり、大きな声を出しました。

 私は後半の組だったので、前半の人たちが教わっているのを見てからお稽古ができ、思ったよりうまくやれました。
 それだけでもゴキゲンだったのですが、最後に「いやぁ」と「ほぉ」、「ほぉ」を連続2回打つという3種類の打ち方を組み合わせた1フレーズを、講師のリードで打って、それが「翁」の「三番叟」の一部分だと聞いた時にはなんだかすごいことを成し遂げたような気分になりました。

 以前、京都の有斐斎弘道館で大倉源次郎さんを招いての講座に行ったとき、「エアー小鼓」で打ち方を教えてもらいましたが、やはり本物の小鼓を打つと、手応えがあって面白いです。
 素人でもそれなりに気持ちのいい音が出せたのは、初心者向けに音の出やすい小鼓が用意されていたからかもしれません。

 西宮能楽堂ではこれから、大鼓の体験講座や太鼓の体験講座も開かれます。興味しんしんなのですが、大鼓は手が痛いだろうなあ。太鼓は楽しいかもしれないなあ。などと、まだ申し込みをするかどうか、迷っています。

「愚陀仏庵ネット俳句会」は終了しました

 何度か投句して、その度に「入選」に選んでもらい、一度は「秀逸」にもしてもらった「愚陀仏庵インターネット俳句会」。選者との相性がいいのかな? と喜んでいたのに、八月末投句分で終了になりました。残念です。

 八月末に投句した句の中から、次の句が「入選」になりました。

    寅さんもバカボンパパも腹巻す

 「まつやま俳句ポスト」のほうは、その後、投句していません。気候も少しは良くなって来たし、また句作に励まなくては。

九月の句会はふるいませんでした

 去年から受講している初心者向け俳句講座。九月の第一週は句会でした。このところ調子づいていた私ですが、今回はまったくふるいませんでした。


 晩夏か初秋の季語で詠むことと、三句のうち一句は「蝉」関連の季語を使うこと。この二点があらかじめ決められていました。
 私は三句提出しましたが、先生の佳作五句と特選三句には一句も選ばれず。

    その朝も常と変はらぬ蝉しぐれ

 この句が受講生二人の佳作と一人の特選をもらいましたが、先生には選ばれなかったので、あまり喜べません。
 ほかに、

    お揃ひの法被(はっぴ)祭太鼓の子

 ぎりぎりまで推敲して仕上げた句なのですが、先生に「中七が六音しかありませんね」と指摘されて呆然。ちっとも気づいていませんでした。「法被や」とすればよかった、とのことでした。

 残る一句の

    よく耐えたねと草花に水をまく

 は、季語が晩夏限定ではなかったからか、発想が平凡だったのか、完ボツでした。

 藤田湘子の『20週俳句入門』を読み直しています。初めて読んだ時より、理解できるところが増えました。やっぱり初心者は「二物衝撃」の句を詠んだほうがいいのかな。でも、これはこれで難しいのです。

 不思議と、ほとんど落ち込まなかったのは、義太夫発表会で私なりに力を出し切ったという達成感、満足感の余韻が残っていたからでした。


2018年9月 4日 (火)

義太夫発表会は無事に終わりました

 日曜日の素人義太夫発表会は無事に終わりました。

 11時に開演して、私は夕方5時過ぎの出番。ドキドキする時間が長くて嫌だなあと思っていたのですが、会場でほかのお弟子さんの語りを聞いたり、楽屋で個人稽古の録音を聴き返して脳内稽古(?)をしたりしているうちにどんどん時間が過ぎていきました。

 本番は緊張しながらも気持ちを込めて語ることができました。語り終えたときはスカッとして、「楽しかった!」と思えました。
 どこまで正確に語れたのか、よくわからないのですが…。

 今、台風21号が迫って来ています。どうか大きな被害が起きませんように。我が家も、ほかのおうちも。

2018年8月28日 (火)

素人義太夫発表会が近づく

 私は六代豊竹呂大夫師匠に師事して、素人弟子として義太夫を習っています。習い始めたのは、つい先日のように思うのに、もう入門8年目になりました。
 毎年8月末の土曜日に開かれる発表会が、今年は会場の都合で9月2日(日)になりました。総勢41名が参加します。

 文楽好きがこうじて義太夫のお稽古を始めたものの、私は声域が狭くて高い声が出せません。声量もありませんでした。
 それで、義太夫を習い始めてから半年後、ヴォイストレーニングのレッスンを週1回のペースで受けるようになりました。このレッスンのおかげで声量(肺活量)は格段に増え、声もほんの少しですが前よりは高いところまで出せるようになりました。

 ところが一昨年の秋から昨年の春にかけて、しつこく続く咳に悩まされ、ヴォイストレーニングができなくなってしまいました。治ってからも、復帰しなかったので、2年近く、ヴォイストレーニングから遠ざかっています。
 昨年の発表会ではまだそれほどにも思いませんでしたが、今年は格段に声量が落ちたのを実感しています。それに、高い声はやっぱり出ないです。

 こんな状態でも発表会はどんどん近づいてくるので、先月からお稽古に必死でした。わずか6分余り語るだけなのですが、詞章と曲節を正確に覚えなくてはなりません。その上、複数の登場人物の感情を表現して、語り分けなければならないのです。

 今まで、先輩のお弟子さんの語りはそれなりに義太夫らしい感じがするのに、私のはちっともそんな風に聞こえない。なんでだろう? と思っていましたが、そこには音(オン)とか息(いき)など、独特の技術があるのです。
 こういうのも、一つ一つ手探りでつかんで行くしかなく、上達は困難を極めます(師匠は指導してくださいますが、弟子の私の方にそれを理解する力が不足しています)。

 そんなこんなであがきにあがいています。この数日、無理に高い声を出して稽古をしていたら
喉がヒリヒリしてきました。これはいかん! 無理な発声で少しのどを痛めてしまったようです。それで今日は小さめの声で稽古しています。

 ものすごく難しくて大変なのに、義太夫は楽しい。去年あたりから、本気でそう思えるようになってきました。
 本番は能楽堂の舞台で語ります。能楽堂は声がよく響くので助かります。毎年緊張して、思わぬミスをしてしまうこともありがち。落ち着いて、師匠の教えをきちんと守り、正確に語ることを目指しています。


2018年8月18日 (土)

能「盛久」を見ました

 

 久しぶりに大阪の大槻能楽堂に足を運び、能「盛久」を見て来ました。
 受付で配られた資料から、あらすじを紹介します(一部、省略したり書き換えたりしています)。

 壇ノ浦の合戦後、源氏方の土屋三郎に捕縛された平盛久は、都から鎌倉へ護送される。日頃より篤く信仰する清水の観音で別れの参拝をさせてもらった後、花盛りの都に名残を惜しみつつ輿(こし)に乗せられて東海道を下っていく(桂注:この部分が「東下り」。名所を辿っていく詞章がとても美しく、盛久の心情が表現されます)。

 鎌倉に着き、いよいよ明日、処刑と知らされた盛久は、それまでの時間、「観音経」を読誦し、土屋も聴聞する。王命に背いて処刑されようとしても、観音菩薩を信じて念ずれば、その者を斬ろうとする剣はきれぎれに折れてしまう、という観音菩薩の霊験を聞き、土屋は盛久の命運に期待を抱く。
 盛久自身はもとより死の覚悟を決めていたが、まどろむ間に不思議な夢をみる。

 明け方、由比ヶ浜の刑場へ引き出された盛久は清水寺の方角へ向かい、観音の御名を唱える。
 処刑人が刀を振り上げたその時、経巻から光が出て目がくらみ、取り落とした刀は二つに折れてきれぎれになっていた。「観音経」の経文どおりの奇蹟が起きたのだった。

 頼朝の前に召された盛久が、清水の老僧が身代わりを申し出た夢の話をすると、頼朝も同じ夢を見たと言う。盛久は赦され、頼朝の所望に応えて喜びの舞を舞う。

・・・・・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・・

 主な出演者は次のとおりです。
  シテ(盛久)    野村四郎
  ワキ(土屋三郎)   福王茂十郎

  大鼓   白坂保行
  小鼓   曽和鼓堂
  笛     杉 市和

 簡単にまとめれば、観音を篤く信仰していた武士が、観音菩薩の霊験によって死刑になるその瞬間に救われるというお話。その信仰の内容に共感するわけではないのですが、盛久のひたむきな心が終始伝わって来て、何も違和感を覚えず、心地よく最後まで見ることができました。

 シテは生きている人物なので直面(ひためん。面をつけないこと)なのですが、野村四郎さんは高齢で味わいのあるお顔をなさっているので、ぴったりでした。
 囃子方のボリュームがちょうど良く、シテの謡と地謡の両方がよく聞き取れ、意味がわかりました。盛久が見ているものがイメージできたことが、何よりよかったです。
 始まってすぐからこの曲の世界に入って行くことができ、盛久と一緒に東下りの旅をし、死の直前から生へと生還する展開を共に経験したような気持ちになれました。

 作者は世阿弥の長男、元雅。この人は30代半ばで亡くなっています。時の将軍、足利義教に暗殺されたと言われています。
 元雅自身には自分が若くして死を迎えることを予感していたような節があり、彼の残した作品には死の影がつきまとっています。
 「隅田川」「弱法師(よろぼし)」「歌占」「吉野山」のほか、「朝長」「維盛」「経盛」も元雅の作品だろうと言われています。

 「隅田川」はとても有名な作品ですが、私はいまだに見る勇気が持てません。我が子が誘拐され、やっと手がかりがつかめたと思ったらすでに病死していたなんていう話、母も子もかわいそう過ぎて、とても見ていられない気がするのです。
 「弱法師」と「朝長」はぜひ一度鑑賞したいと思っています。


2018年8月17日 (金)

「まつやま俳句ポスト」で「人」に選ばれました

 まつやま俳句ポスト、前回の兼題「夏草」では「並選」にやっと入れていただきました。6月28日締め切りの兼題「踊」で、今度は「人」に選んでいただきました。

   輪に一人キレ良き踊太り肉(ふとりじし)    桂

 今回の投句者は1274名、合計6199句。「人」に選ばれている句は483ありました。

 季語の「踊」は盆踊りのことで、亡くなった人を思い出し悼む、盆踊り本来の意味合いが込められているようです。わたしの句にはそういうニュアンスはまったくありませんが。
 盆踊りって、子どもの頃の遠い思い出です。最近は近くの小学校で開かれている盆踊りの参加者が増えて来ているのだとか。今年は今日と明日が開催日。今夜、行ってみようかな。

 「夏草」「踊」と投句して来ましたが、その次の兼題は「稗(ひえ)」。作ったことも作っているのを見たこともなく、一度や二度は食べたことがあるはずですが味をよく覚えていないし、形状すらはっきり知りません。なので、作れませんでした。

 その次の兼題は「無月」。中秋の名月の夜、雲が覆って月が見えない状態を指すんだそうです。
 こんな言葉があることも知らなかった! なんとか一句でも詠めないものかと、苦戦中です。



初めて見た「大塔宮曦袂」

 文楽夏休み公演の第2部で見たもう一つの演目は「大塔宮曦袂(おおとうのみや あさひのたもと」です。大作ですが、今回はそのうち「六波羅館の段」と「身替り音頭の段」が上演されました。
 この演目は長く上演が途絶えていたのを、昨年、東京公演で復活上演されたという話を耳にしていました。なので、タイトルは覚えていましたが、見るのは初めてでした。

 「身替り音頭の段」が見どころです。幼い子どもたちが10人ほど、浴衣かな? お揃いの夏の着物を着て、頭に飾り灯籠を乗せ、大きな輪になり、盆踊りの歌(よく聞くと宗教的な悲しい意味合いの歌でした)に合わせて緩やかに踊ります。その様子が幻想的で美しい。しかも、緊張感をはらんでいるのです。

 というのは、この中に若君が入っており、老年の武士が若君の命を狙っているからです。若君を殺させまいとする夫婦は身代わりとして、我が子の鶴千代を紛れ込ませていて、武士に鶴千代を殺すよう仕掛けます。

 子どもの人形のうち、役割のある人形は三人遣いで、それ以外は一人遣いです。ゆっくりと回りながら踊っている人形をよく見ると、三人遣いの人形が三体いる! 

 若君と鶴千代、もう一人はいったい誰なのでしょうか。
 ネタバレになってしまいますので、これ以上は書きません。ただ、この演目でも最後の場面では泣いてしまったことを記すに止めます。

 ウィキペディアによると、享保8年(1723)、竹本座で初演。作者は初代竹田出雲と松田和吉の合作で、近松門左衛門が添削したそうです。
 竹田出雲は竹本義太夫(「義太夫節」の始祖。近松と協力して人形浄瑠璃を隆盛させた人物)の後継者で、「大塔宮曦袂」は最初の作品なんですって。 
 「太平記」を題材とし、後醍醐天皇の皇子、大塔宮護良親王の事績を脚色しています。大きく扱われているのは六波羅の老武士、斎藤太郎左衛門です。

 ウィキにはストーリー全体のあらましが書かれています。ずいぶん長大な作品で、登場人物の性格や考え方も入り組んでいます。その中でも「身替り音頭の段」が飛び抜けてドラマチックで詩的情緒もあり、見ていても美しいので、人気が高いらしいです。
 今回のチラシには山村流の家元、山村友五郎が振付を担当したと記されていました。

 「身替り音頭」の「中」は小住太夫、「奥」は千歳太夫が語りました。小住太夫は若手なのにどんどん頭角を表しているようです。声の質が良く、声量豊かな太夫さんです。千歳さんは、前はあまり好きな太夫さんではなかったのですが、最近は好感が持てるようになって来ました。

 今回の公演から、これまで1階にあった「文楽茶寮」というレストランや2階ロビーの売店がなくなってしまいました。1階の抹茶と和菓子を提供するコーナーも閉まっていました。
 経営的に引き合わないのでしょうか。飲み物の自販機しか置いていないのは寂しいです。

 終演後、ロビーで先日の大雨で被災した方々への救援募金を集めていました。何人もの技芸員さんが並ぶ中、和生さんがお姫様の人形を持って募金箱のそばに立っておられたので、募金をした後、人形の手と握手させてもらい、ツーショットの写真まで撮っていただきました!
 募金をしてトクをした気分になりました。

 

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