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2019年3月21日 (木)

地震に備える

 最近、大地震に注意を促す情報が目につきます。必ず来ると言われている中南海地震などなど。その前触れのような現象が何度も起きているので、専門家が注意を喚起しているようです。
 この次に起きる地震は、今までの地震とは比べものにならないほど、広域で発生するので、ライフラインが復旧するまでには何日も(何十日も?)かかるらしいです。救援物資もなかなか届かないでしょう。
 第一は命を守ること。次には地震後を生き抜くことです。家の中の安全対策、外出中に地震にあったときの心構え。そして水(飲料水以外にも必要。非力な女性には小さめサイズのポリタンクがおすすめ)やエネルギー源(カセットコンロとボンベ)、食品の備蓄が欠かせません。
 少なくとも1週間分の備蓄が必要と言われていますが、これって結構な量になります。そこで「ローリングストック」という方法、つまり順番に使ってはまた購入して備蓄するという方法が勧められています。
 テレビでも防災関連の番組がよく放送されていて、さまざまな情報が紹介されています。でも、中にはNGな情報も混ざっているようです。
 たとえばツナ缶の中央に穴をあけ、ティッシュペーパーで作ったこよりを差し込み、火を付けると、停電時に明かりになるという話。大きな余震が来たり、熊本のように二度目の本震が来たら、火事になってしまいかねません。炎を出すような停電対策は危険です(もちろんロウソクもダメ)。
 と、岡部梨恵子さんという方のブログで読みました。この人のブログhttp://okabekataduke.info、役立つ情報がたくさん載っています。中にはよくわからない記事も混じってはいますが。
 岡部さんが作った「防災ハンドブック」や「ポリ袋調理 レシピ集」(高密度ポリエチレンの袋とカセットコンロで暖かい料理を簡単に作る方法)は、無料でダウンロードできます。
 右側にある「ブログのカテゴリー」から「防災グッツ、災害食の備蓄について」を選び、2018.11.28の記事、2018.10.12の記事を見つけてください。

2019年3月14日 (木)

骨密度が3%増えた!

 今朝、整形外科で半年に一度の骨密度の検査を受けたら、前回(半年前)に比べて一挙に3%も増え、90%になっていました。これは同年齢の人の平均値と比べた数値なので、いわば相対評価。でも、絶対評価のカルシウム量もしっかり増えていたのです。やった!

 2016年の秋に骨粗鬆症と診断されたときの数値は85%でした。その後、処方されたビタミンDを毎日飲み、筋トレと骨トレに励み、食べ物にも気をつけてきて、毎年1%ずつ増えてきました。
 普通なら減っていく年齢ですから、わずかでも増えるのはとてもうれしいことで、そこから先日の「わづかに増えし骨密度」という俳句が生まれたりしました。

 ところが、今回は半年前に比べて3%もアップ! この半年の間に、それ以前と比べて変わった生活習慣といえば、一つはたびたびのハイキング。屋外で紫外線を浴びて長い距離を歩くようになったことです。
 昨年10月下旬から12月上旬までは週に一度のペースで出かけていました。年が明けてから頻度は減りましたが、2月に3回、3月もすでに1回行っています。11月頃はお天気が良すぎて、紫外線を浴び過ぎかも? と思ったことさえありました。

 初めは歩くことが目的だったので町歩きにも行っていましたが、やはり断然、山歩きのほうが気持ちよくて楽しい。
 お天気さえ良ければ、今月はあと2回、山歩きに出かけるつもりです。

 もう一つは、ゆるい糖質制限を始めたこと。この頃はますますゆるくなってきて、根菜類を食べたり、果物を食べる量を増やしたりしています。
 でも、糖質制限を始める前に比べると、たんぱく質の摂取量は確実に増えています。体調はずっと良いので、たぶん、以前はたんぱく質のとり方が少なすぎたのではないかと思います。

 AGEが問題だとか、野菜を先に食べるよりたんぱく質を先に食べたほうがいいとか、どの食品がいいとか、食べ物についての情報は氾濫していて、何が本当なのかよくわかりません。私はゆるい糖質制限食を半年続けてきて、今のところ自分の体に合っているようなので、しばらく継続してみることにします。

 

 

2019年3月13日 (水)

中山観音駅から中山山頂、7.7km

 昨日、そらまめさん、Hさんと3人でハイキングに行きました。阪急電車宝塚線を中山観音駅で降りて、中山寺の境内を登って行きます。

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 梅園がありますが、観梅は後の楽しみに残して10時半ごろ境内を奥へ抜け、山道に入りました。途中、滝がいくつも見られます。


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 樹木はまだ冬の木立のように見えますが、小さな新芽が芽吹いていました。澄んだ空気、野鳥のさえずりに心が洗われます。
 沢渡りのポイントが多数あり、トゥエンティクロスよりもスリリングでした。1カ所ずつはわずかな距離ながら急傾斜の岩登りぽい場所を次々と登って、足を滑らせたら谷に落ちそうな狭い道を歩いたりもして、天宮塚(てんぐうつか)に着きました。

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 素晴らしい眺望です。写真ではよくわからないかな。

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 ここから山頂までが傾斜のきつい道でした。でも、足が慣れてきていたからか、息が上がることもなく、12時20分、山頂に到着です。標高478m。
 この写真を撮ろうとしてしゃがみこんだ途端、尻餅をついてしまいました。かっこわるーい。ザックが重いので、バランスが崩れたんです。

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 あまり広くないスペースですが、お弁当を食べるのには十分でした。

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 下りは別ルートを通って、中山寺奥之院へ。

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 ここからまだまだ歩きにくい山道が続きます。足が疲れてきました。


 夫婦岩(めおといわ)。いくつも岩があるのでわかりにくいけど、一番大きい二つがそれらしい。

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 なぜかお地蔵さんがあちこちに見られる道でした。

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 3時ごろ、スタート地点の中山寺に戻り、梅をゆっくり楽しみました。いくつも種類があって、とてもきれい。

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 登り、下りとも各2時間くらい。山歩きの距離は7.7kmです。たったそれだけ? と思うけど、今の私にはちょうど良かった。
 「不安定な空模様で雷雨が降るかも」という予報でしたが、ほんのいっときパラついただけで、おおむね晴れでした。



 

2019年3月12日 (火)

「春の素謡と仕舞の会」(京都観世会館)

 素謡は能を一曲全部、囃子方抜きで語るもの。仕舞は見どころを地謡付きで(囃子方抜きで)シテが一人で紋付袴姿で舞うものです。
 前は「素謡と仕舞の会」に行こうなんて思いもしなかったのに、大槻能楽堂の素謡「屋島」以来、素謡という上演形式がすっかり気に入り、「もっと聴きたい」と思うようになりました。
 一方、仕舞は以前から見ていたものの、よくわかりませんでした。ところがこちらもこの頃はだんだん楽しめるようになってきたのです。

 プログラムと主な出演者は次のとおりです(地謡のお名前は省きました)。

  素謡 田村  シテ 味方 玄  ワキ 林 宗一郎

  仕舞 白楽天   河村和重
      放下僧 小歌  浅井通昭
      蝉丸     鷲尾世志子
      昭君     浦田保親

  素謡 三山(みつやま)  シテ 青木道喜  ワキ 河村晴道  ツレ 味方 團

  仕舞 難波     橋本忠樹
      屋島     吉田篤史
      采女キリ   橋本 (手偏に廣)三郎
      隅田川     大江又三郎
      鞍馬天狗  河村浩太郎

  素謡 景清 シテ 梅若 実 ワキ 片山九郎右衛門 ツレ 浦部幸裕 トモ 田茂井廣道

  仕舞 邯鄲(かんたん)  松井美樹
      箙(えびら)      大江広祐
      東北クセ       深野新次郎
      船弁慶キリ      梅田嘉宏

  素謡  海士(あま)  シテ 越賀隆之  ツレ 片山伸吾  子方 深野和奏

 まず素謡について。
 「田村」の味方玄さんと林宗一郎さんはどちらも素晴らしい声の持ち主です。曲の性質なのか、やや低めの朗々とした声。聞き惚れました。
 「景清」のシテは梅若実さんです。最初、私はプログラムを読み間違えて、仕舞をなさると思っていて、この前のTTホール公演のあと、あまり日にちがたっていないので「大丈夫?」と気になっていました。
 素謡では声は以前と変わらず(たぶん、ですが)、一安心しました。でも、座るときと立ち上がる時は若い方が介助して、それでもかなり手間取っていましたから、足はやはり良くないようです。

 「海人」は曲そのものがドラマチックな上に、シテの越賀隆之さんの表現力が豊かなので、主人公の女性の苦しみや我が子を思う切ない気持ちがぐいぐいと伝わってきました。子方の深野和奏さんは高くしっかりした声でとても上手なので驚きました。

 仕舞について。
 「蝉丸」の鷲尾世志子さんは小柄な女性でしたが力強く見応えのある舞いぶり。
 「屋島」! この曲、好きだなあと改めて思いました。吉田篤史さんの舞は勇壮でした。
 「采女」がこの日、一番良かったです。橋本さんは金地に白で淡く霞がたなびいているような絵柄の扇を手にして舞います。それが猿沢池の上に浮かぶ月に見えて、ゾクゾクしてしまいました。

 「隅田川」は1月に「翁」を舞った大江又三郎さんです。この曲は悲しすぎるのでずっと敬遠してきたのですが、この仕舞を見てから、ぜひ能で拝見したいと思うようになりました。それくらい情感豊かで美しかったのです。
 「邯鄲」の松井美樹さんはほっそりした女性。初めは体格で損をしているように見えましたが、上手で、所作の一つ一つが決まっており、体格も気にならなくなりました。
 「船弁慶」。この曲も今まで面白さがよくわからず、見たいと思いませんでした。梅田嘉弘さんの舞は知盛の亡霊が目に浮かぶよう。「隅田川」と同様、この曲も改めて全体を見てみたいという気持ちになりました。

 11時に開演し、20分の休憩を二度挟んで、終わったのは4時ごろ。とても楽しい時間を過ごしました。
 「素謡と仕舞の会」って地味な気がするのですが、見所(観客席)は8割方埋まっていました。謡本を手にして鑑賞している人が多かったので、きっと謡を習っている人が多数を占めたのでしょう。自分が師事している先生の舞台を見に来ていたのかもしれません。
 京都では謡を習っている人口がまだかなりいるようです。ただ、ほとんどが高齢者なので、先行きが気になります。


 

2019年3月 7日 (木)

俳句ゼミ、春の句会

 一昨年の秋から受講している初心者向け俳句ゼミ、今日は3カ月に一度の句会でした。参加者は先生を含めて14名。私が受講し始めてから一番人数の多い句会になりました。

 今回、3句のうち1句は「雛祭」またはその関連の季語を使った句を詠むことが課題でした。といっても、そこは初心者向けですから、「できればそうしてね」という程度の、ゆるーい決まりです。

 私は次の3句を投句しました。

    初孫の乳の匂ひや雛祭

    狭き戸を出でし棺や雪柳

    啓蟄やわづかに増えし骨密度

 受講生が順番に佳作2句と特選1句を発表して行き、ほかの人たちの句がつぎつぎと選ばれる中で、私の句はちっともお声がかからず。ようやく「初孫の」に佳作一人、「狭き戸を」に佳作一人、「啓蟄や」に佳作二人という寂しさ。すっかりしょげてしまいました。

 最後に講師の先生が佳作3句と特選3句を発表されました。そして、「初孫の」が佳作に、「啓蟄や」が特選に選ばれたのです。うれしい〜! 3句のうち2句まで選んでいただけるなんて、思ってもみませんでした。

 とりわけ「啓蟄や」は自分では気に入っていたものの、先生はとらないだろうなあと何となく想像していました。それが特選とは! 意外でしたし、こういう句もOKなんだと思うと、これからの句作の励みになりました。

 一方、私が特選に選んだのは
 

    萌黄色桃色和菓子店に春

 この句は先生の作でした。私のほかに、一人が特選、二人が佳作にとっていました。
 佳作には

    春ショール巻きつつ次の約束へ

 これも先生の句でした。私のほかに二人が佳作としていました。

 残る一句はさんざん迷った挙句、

    過疎の里嫗(おうな)の集ふ雛祭

 にしました。これは今回初めて句会に参加された80代くらいの男性の句でした。私のほかには誰もとっていませんでした。

 今回、投句した句は、どれもかなり早い時期にできていたもので、初めて気持ちにゆとりを持って句会に臨むことができました。
 こんなこともあるんですね! めったにないことかもしれませんが。



    

「翁」「高砂」観能の日の着物

 

「翁」と「高砂」を拝見した日は、着物を着て行きました。

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 梅田の阪神百貨店にまだ「千總(ちそう)」の売場があった頃、一目惚れして買った小紋です。明るいグレーのちりめん。飛び柄の文様は色紙で、色紙の中は道長取りになっています。

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 帯は黒地に貝紫を使った袋帯。ずいぶん前に購入したのに、使うのはまだ二度目です。写真では派手な色が目につきますが、実物はもっと地の黒が強く見えます。
 帯締めと帯揚げは春らしい明るい色目のものにしました。

 暖かくなってきたので、しばらくは着物を着て出かけるのに絶好のシーズンです。

 

2019年3月 5日 (火)

能「翁」「高砂」(クールジャパン大阪TTホール)

 3月1日(金)、クールジャパンパーク大阪のTTホールで開場記念公演の祝賀能が上演されました。演目は能「翁」と舞囃子「高砂」でした。

 このホールは環状線の大阪城公園駅と森ノ宮駅の中間くらいの場所に新しくできたもので、私は初めて行きました。一度に3つのホールができ、その一つらしいです。
 大阪城公園駅から歩いて、その外観を間近に見たとき、失礼ながら「お金をかけていない」「その場しのぎ」「掘っ建て小屋」といった形容が頭に浮かびました。一緒に行った友人は「工場みたい」と評していました。こんなホールで能を舞う能楽師さんたちが気の毒に思えました。


 開演前の舞台はこんな感じです。

Dsc_1687

 老松を描いた鏡板が見られないのは寂しいですが、能専門の会場ではないので仕方ありません。座席の座り心地はまあまあです。ただ、能楽堂のような濃密な空気感は感じられず、ここで舞う能楽師さんたちをまた気の毒に思いました。

 演目は二つです。
 まず「翁」。「談山式 日吉之式」という見たことのない小書が付いています。主な出演者は次のとおりでした。

   翁     梅若実玄祥(以下、梅若実さんと記します)
   三番叟  野村萬斎
   千歳    梅若猶義
   面箱    中村修一

   笛     杉 市和
   小鼓 頭取 大倉源次郎
       脇鼓 吉阪一郎
       脇鼓 大倉伶士郎(源次郎さんのお孫さんのようでした)
   大鼓   谷口正壽

 梅若実さんの「翁」が見られる! と、期待しながら舞台を見つめました。すると、驚くようなことが次々と起こりました。
 まず、橋掛りから登場する梅若実さんの足元がおぼつかなく、拝見していて「大丈夫?」と心配になるほど弱々しかったことです。以前は丸々としていたお顔がすっかり痩せて、別人のような風貌です。体格も前よりずっと細く見えました。

 翁は(正確には「翁」を舞う太夫は)正先に座って深々と礼をする…と思っていたのに、梅若実さんは立ったままで礼をしました。その後、笛方のそばに座る…と思ったら、後見が持ち出した葛桶(かづらおけ)に座りました。やはり足が悪いのかな? と想像しました。

 千歳の露払いの後、一番びっくりしたのは「翁」の面をつけないで、直面(ひためん)のままで翁舞をされたことでした。
 翁を演じる太夫は翁の面「白式尉」を着けることで神になり、翁舞を舞うのだと思っていましたから、これにはしんそこ驚いてしまいました。

 しかも、その舞いぶりは足元ばかりでなく上体もふらふらしていて、今までに拝見してきた梅若実さんとは別人のようでした。どんなに高齢の能楽師でも体幹はぴしっと定まっているもので、それができなくなれば舞台に立つのをやめるのではないかと思います。
 三番叟の「揉の段」、面箱とのやりとり、「鈴の段」は今まで見てきた「翁」と同じでした。

 「談山式 日吉之式」という小書が付くと、こんな風に面を着けずに舞うのかもしれません。痩せて老人の陰影のあるお顔になられた梅若実さんは、以前の生命力が溢れるようなお顔よりは翁を直面で舞うのにふさわしかったとは言えます。
 でも、私はやっぱり面を着けて舞う「翁」がいいなあ。直面の翁には神格が感じられません。
 いつも「翁」を見終えた後はお祓いをしていただいたような清々しさを味わうのに、この日はそれが感じられませんでした。残念でしたし、梅若実さんの体調が気になりました。

 一昨年と去年、大槻能楽堂で素晴らしい「翁」を拝見して、そのレベルの「翁」を当たり前のように思っていましたが、どうやらそういうわけではないようです。演者の方々の技量(日頃の修練の賜物です)、その日の心身両面のコンディションやお互いの気持ちがそろってはじめて成立するものなのでした。
 そのことに気づくことができたのは、収穫だったと思います。まさに「一期一会」なのですね。

 続いて舞囃子「高砂」です。主な出演者は次のとおりです。

   舞    片山九郎右衛門

   笛    杉  市和
   小鼓   吉阪一郎
   大鼓   谷口正壽
   太鼓   井上敬介

 舞囃子は、装束を着けずに、地謡とお囃子で見どころの部分を舞います。私はこの曲の謡はおおかた知っているのですが、舞を拝見するのは初めてでした。
 
 こちらは「八段之舞」という小書が付いていました。この小書が付くと、シテが拍子を踏むたびに緩やかな舞と急テンポの舞を切り替えながら繰り返すと下調べで知っていたので、そこに注目して拝見しました。
 シテと囃子方との呼吸が見事に合っていて、心が浮き立ちました。九郎右衛門さんが心身のエネルギーを集中して舞っていることが感じられました。

 その舞いぶりはとても力強いものでした。「高砂」には、もっとゆったりしたイメージを抱いていたので、これも少し予想外でした。
 本来、空間を強力に浄めるはずの「翁」でそれが十分に行われなかったので、その分まで補うために、より力を込めて舞ったのかな、という気がしました。
 九郎右衛門さんの舞を拝見するのはまだ二度目で、来てよかったと思いました。

 今日、能の見巧者である方のブログをのぞいてみたら、この公演の翌日、神戸の湊川神社で梅若実さんの「羽衣」を見た感想が書いてありました。やはり足も体もふらついている状態で、普段の力強さが見られず、囃子方や地謡の方々が息を呑んで梅若実さんの所作を見守っておられたそうです。
 昨年、大病を患って入院されたらしいのですが、その後回復してお元気になられたとネットで読んだのですけれど…。
 1日、2日の公演をなんとかやり遂げられた後、どうなったのか、気がかりです。

 この公演、チケット代がS席11,000円、A席9,000円と高かったので、見るのを諦めていました。ところが思いがけない方から良い席のチケットを無料で譲っていただけたのです。感謝しています。




  

2019年2月28日 (木)

能「烏帽子折」(京都観世会館)

 「烏帽子折(えぼしおり)」のあらすじです。

 京都で貴重な品々を買い込んだ商人の吉次(ワキ)・吉六(ワキツレ)兄弟は東に向かって旅立つ。そこへ一人の少年(子方)が来て、旅の道連れにしてほしいと頼む。この少年、実は鞍馬山を飛び出した牛若で、追われる身だった。

 近江の鏡の宿に着き、一行は宿をとる。追っ手が迫っていることを知った牛若は、稚児姿だったのを元服して髪を切り、烏帽子をつけることで敵の目を欺くことにする。
 牛若は烏帽子屋を訪れ、左折の烏帽子を注文する。左折は源氏独特のもの。烏帽子屋の主人(前シテ)は平家全盛の世なのに、と訝りつつも注文どおりに仕上げる。

 烏帽子を受け取った牛若は礼にと、刀を差し出す。その刀があまりにも立派なので、主人は妻を呼んで見せる。すると妻は涙を流す。
 この妻は実は源義朝の家来の妹で、その昔、幼い牛若にこの刀を持たせた当人だった。主人は刀を牛若に返す。牛若は夫婦と別れを惜しみながら、吉次たちと旅を続ける。


 赤坂宿に着く。この辺りは悪い盗賊集団が幅を利かせている。宿をとったものの、宿の主人から今夜にも夜襲がありそうだという情報が入り、吉次と吉六は出立しようとする。牛若は二人を制止して、自分が盗賊たちの相手をすると話す。

 夜更け、まず手下の3人組(狂言方)がやって来て、松明を手に押し入るが、牛若に松明を払い落され、命からがら逃げ出す。
 盗賊の本隊7人と、首領の熊坂長範(後シテ)が来襲し、牛若と斬り合って次々と倒される。最後に熊坂長範が牛若に向かうが結局、切り倒される。

・・・・・・・・・・・・・・・以上です・・・・・・・・・・・・・・

 登場人物が多いので、舞台の上がとてもにぎやかです。とりわけ後半、盗賊来襲の場面が盛り上がります。先発隊の3人は初めからこわごわで、押し入ってからの振る舞いや牛若にあっさり負けてしまう様子が滑稽で笑えます。

 本隊はさすがに屈強そうな男たち。熊坂長範をしんがりに8人が橋掛りにずらりと並ぶのが壮観です。
 一人ずつ牛若と斬り組みを見せ、ある人は立っている姿勢から床に仰向けに上半身全体を打ち付けるようにしてどん! と倒れます(「仏倒れ」というらしい)。別の人は飛び込むようにして前転し、去っていきます。どちらも、牛若に打ち負かされたことを表す動きです。

 熊坂長範は装束も大きくて、怪物のように見えました。牛若との斬り組みは迫力満点です。最後には橋掛かりの三の松あたりで仏倒れを見せた後、揚幕の向こうへ飛び込みながら前転して去ります。

 登場人物が多いだけに(囃子方、地謡も含めると総勢32人もいたらしいです)、全員の気持ちが一つにまとまらなければとても見ていられない結果になるのだろうと思います。この日はそこがうまく行っていたようで、緊張感と迫力の溢れる舞台でした。見ていてワクワクしました。

 シテは大江信行さん。1月に「翁」を舞われた大江又三郎さんの子息です。
 牛若を演じた子方さんは又三郎さんのお孫さんの大江信之助さん。たぶん信行さんの子息なのでしょう。小学校6年生か中学校1年生くらいの年恰好に見えました。
 信之助さんは、声は物足りないのですが、斬り組みがとても上手でした。一つ一つの姿勢や動きが決まっていてりりしいのです。

 ほかのお客さんが話していたところによると、この役には子方の卒業試験的な意味合いがあるのだとか。信之助さんは見事に合格したようです。

 この日、京都観世会館は補助席が出ている上に2階席まで満席でした。味方玄さんの人気かなあと思っていましたが、途中で帰る人がほとんどいなかったので、「烏帽子折」という曲の人気もあったのでしょう。
 能=幽玄、難しいというイメージを覆す、とても楽しい演目でした。
 

2019年2月26日 (火)

能「弱法師」(普通バージョン、京都観世会館)

 土曜に続いて日曜も観能でした。京都観世会二月例会。プログラムは、

   能   弱法師
    狂言  二九十八
   能   源氏供養
     仕舞   白楽天
           笹之段
           須磨源氏
   能   烏帽子折

でした。

 「弱法師」は先日の大槻能楽堂での公演とは異なり、普通バージョンです(「普通バージョン」というのは私が勝手につけた呼び方で、実際にはこんな言い方はしないだろうと思います)。
 二通りの「弱法師」を見ようと思ってこの公演のチケットを申し込んだのかというと、そういうわけではなかったのです。ただ単純に、大槻文藏さんの舞台が見たい、味方玄(しずか)さんの舞台が見たいという動機で両方のチケットを手に入れて、後になって「あ、どちらも弱法師だ!」と気づいたというわけです。間が抜けていますよね。

 というわけで味方玄さんの「弱法師」(普通バージョン)なのですが、途中で眠くなってしまい、半分くらいしか見ていません。
 「世阿弥自筆本」との違いで気づいたことは、まず、登場人物が少ないことでした。世阿弥自筆本では父親の通俊はアイで、もう一人、しもべ役のアイがいます。ワキは四天王寺の住僧で、同じく住僧のワキツレが二人います。シテにも妻のシテツレがいるので、舞台の上はかなりにぎやかでした。

 今回は、シテ=俊徳丸、ワキ=高安通俊、アイ=通俊の下人と、いたってシンプルでした。舞台上にたくさん人がいることで彼岸中日の四天王寺のにぎわいが想像できたのですが、今回はシテツレさえおらず、俊徳丸の孤独が際立って見えました。
 シテの装束は地味ではありましたが明るい色合いで、若さを表現しているように思いました。
 問題の、シテがしたたかに転ぶ場面、文蔵さんは笛方の少し前あたりで転んでいたように思うのですが、玄さんは舞台のほぼ中央でした。

 改めて不思議に思ったのは、通俊が人目をはばかり、夜遅くなってから自分が父親であることを俊徳丸に名乗ることにして、それまでの間、俊徳丸の哀れな姿を傍観していることです。世間体を気にせず、もっと早く名乗って、高安へ連れて帰ってやれば、俊徳丸は群衆に揉まれて転倒して絶望するようなこともなかったのに、と思うのです。
 こんな父親に家へ連れて帰ってもらって、俊徳丸は本当に幸せになったのかどうか、不安の残る結末でした。

 シテ以外の主な出演者を記しておきます。

  ワキ   小林  努
  アイ    茂山逸平

  大鼓   河村総一郎
  小鼓   曽和鼓堂
  笛     杉  市和

  地頭   武田邦弘

 次の「源氏供養」はほとんど眠ってしまい、後シテの装束が美しかったことしか覚えていません。
 仕舞は、

  白楽天     牧野和夫
  笹之段     浦部幸裕
  須磨源氏  武田邦弘

という顔ぶれ。どの方も私は存じ上げないのですが、「笹之段」(「百万」の一部)の浦部幸裕さんの仕舞がとても密度が高く、キレの良い舞いぶりで感嘆しました。

 おしまいは「烏帽子折」。これがとても面白くて楽しめたのですが、長くなりましたので、稿を改めます。



 

2019年2月25日 (月)

能「屋島」(大槻能楽堂)

 土曜日に大槻能楽堂で「屋島」を見ました。「大槻能楽堂自主公演能」という定例の公演で、去年の早い時期から告知されていました。
 私は大槻能楽堂の友の会に入っているので、早めにチケットを取ることもできたのですが、ごく最近までこの「屋島」という曲にちっとも興味が持てずにいたのです。

 ところが先だって、素謡で「屋島」を聴いて、いっぺんにこの曲が好きになりました。それから慌ててチケットを取ったので、脇正面の後ろの方の席しか残っていませんでした。それでも十分楽しめましたけれども。

 主な出演者は次のとおりです。

    前シテ 漁翁、後シテ 義経   観世清和
    ツレ     漁夫  大槻裕一

    ワキ       旅僧  福王茂十郎
    ワキツレ 旅僧  喜多雅人
    ワキツレ 旅僧  中村宣成

    アイ 屋島の浦人 茂山千三郎

    大鼓     山本哲也
    小鼓    大倉源次郎
    笛      竹市 学

    地頭    大槻文藏

 今回、小書が「大事」「那須之語」と二つ付いていました。「那須之語」はアイが、那須与一が扇の的を射るエピソードを話すというものです。

 「大事」は、当日配られた資料によると、

 観世流で小書「弓流(ゆみながし)」に「素働(しらはたらき)」を加えると、小書名が「大事」になる。

 とのことです。そして、

 「素働」が加わると、(後シテが)抜キ足・流レ足などの所作で、波に揺られてなかなか弓を拾うことができない様子も演じる。(中略)後シテは地謡のうちに幕に入る。

 と書かれていました。
 「抜キ足・流レ足」って、どんな風にするんだろう? 興味しんしんでこの場面を待ち望みました。
 すると、武者姿の清和さんが、なんと爪先立ちになって、舞台の正面から奥へ、脇正面の方を向いて弧を描くように、つつつ…と移動するのです。まるでバレエのよう。こんな動きを見たのは初めてで、驚いてしまいました。これが「抜キ足」なのか、「流レ足」なのかはよくわかりません。
 能には思いがけず斬新な振り付けがあるんですね。

 「弓流し」の様子を再現する場面やその後の修羅道でシテが戦う様子は勇ましいのですが、後ろ姿に哀しみが張り付いて見えました。
 小柄な清和さんは義経を演じるのにぴったりなわけですが、そういうことではなくて、小柄に見えるように演じているのだと感じられました。
 「羽衣」で天人を舞ったときの清和さんは大きく見えていたからです。

 素謡で私が最も感動した最後の部分は、シテが明け行く海を眺めて呆然としたような表情をするのだろうと想像していました。ところが、橋掛かりの一の松あたりで一瞬、海の彼方を見るような様子を見せはしたものの、すぐに平静にもどり、戦闘態勢のまま、揚げ幕に向かって一目散! これにも驚いてしまいました。

 敵と見えていたのは群れいるかもめ、ときの声と聞こえていたのは浦風だったと気づいたとき、修羅の世界で戦い続けている義経は、急いで闇の世界へ引き返していくというわけなのです。その姿そのものが浅ましく、はかなくて哀しいのでした。

 後には朝の光がこの世界を照らし、打ち寄せる波の音や風の声が響くばかり。命を惜しまず名誉を重んじたという出来事さえも、大きな景の中に雲散霧消してしまいます。
 哀しく空しいのに、どこか満たされて幸せなような、不思議な感覚を味わいました。
 この日は満席でした。

 
  
    

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