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2018年1月17日 (水)

シネマ歌舞伎「京鹿子娘五人道成寺」「二人椀久」が上映中です

 シネマ歌舞伎「京鹿子(きょうかのこ)娘五人道成寺」と「二人椀久(ににんわんきゅう)」の二本立てが今、上映中です。どちらも坂東玉三郎が主演する映画で、華麗な舞踊を堪能することができます。

 先週の土曜日から上映が始まっていますから、上映期間はあと十日くらいではないかと思います。

 上映している映画館は限られていますので、シネマ歌舞伎のホームページでご確認ください。

2018年1月16日 (火)

「お正客バトル」

 前の記事で、初釜の日にお正客を引き受けたことを書きました。私の年齢、お茶歴から言うと、先生側(実際には、準備と当日の運営を手伝っているお弟子さんたち)から「お正客を」と頼まれると、断れないのです。

 私はお茶人としては謙遜でなく極めて未熟で、先生や連客(同じ席に同座する方々)に対して不十分な働きしかできません。申し訳ないと思いながらも、辞退すればご迷惑になることがわかっているので、お引き受けするのです。

 一般に、お茶会では一席が始まる前にお正客を決めます。お茶会では(とりわけ濃茶の場合。薄茶でもお客の人数が多い場合)、正客が連客を代表して、亭主と会話し、道具組みに込められた亭主のもてなしの心を汲んで連客に伝えたり、連客の知りたがっていることを代表して亭主に尋ねたりします。
 お茶会の一席が亭主と客との心の通い合ったものになるためには、正客の役割が計り知れず大きいのです。

 大寄せのお茶会(たくさんのお客を招いて開かれるお茶会。薄茶席が多い)では、誰がお正客をするかが大問題になります。
 主催者側の担当者がめぼしいお茶人(多くはベテランのお茶の先生)にお正客をお願いするのですが、ほとんどの場合、辞退されます。

 「とんでもない。ほら、あの方がいらっしゃいますよ」。担当者がその人のところに行くと、また同じセリフが繰り返されます。これが有名な「お正客バトル」。
 私がお正客になりたい、という自己主張のぶつかり合いではなくて、「私などとんでもない。どなたかほかの方に」という謙譲のバトルなのです。

 これを延々と繰り返されたのでは、お茶会はいつまでたっても始まりません。席主も連客も大迷惑です。
 こんなとき、男性はあっさりした方が多いです。「私はお茶のことを何も知らないのですよ」とおっしゃっても、「こちらで全てご説明しますから(恥はかかせません。大丈夫ですよ)」と申し上げると、すんなり引き受けてくださいます。難儀なのはベテランのおばさま、おばあさまたちです。
 いったいどこまで「謙譲の美徳」が染み付いているんでしょうか。女性は前に出てはいけない、一歩下がっているべき、という思い込みが強すぎて、そのことが周りの迷惑になっていることには目が行っていないようです。

 私は担当者が困り果てている様子を何度も目撃しているので、「お正客を」と頼まれたら、内心は「冗談やめてよ」と思いながらでも、引き受けることにしています。不毛な「お正客バトル」は避けたいからです。
 お茶会はみんなが楽しく、心豊かに過ごしたい、貴重なひとときです。

2018年1月15日 (月)

初釜の装い

 7日は茶道の先生宅で初釜が行われました。私が師事しているのは 80代後半の女性の先生ですが、50代の息子さんも先生で、主に若いお弟子さんを教えておられます。両方のお弟子さんを合わせると、40人を超す大所帯です。

 いくら先生のお宅が広いと言っても、そんな大人数が一どきに押し寄せては大変。そこはよく考えて、1時間ごとにお席を区切り、どのお席に誰が入るかを前もって決めておいてくださったので、ゆったりした気分で過ごすことができました。

 先生と息子さんがなさる濃茶席、お弟子さんの一人でこの度「教授」という許状をいただかれた女性が主催される薄茶席。あとは先生がご用意くださった豪華なお弁当を和やかにいただくお席でした。

 私は「11時からのお席にお入りください」と前もってお知らせいただいており、それはいいのですが「お正客をお願いします」と言われてしまいました。お正客って、責任重大なのです。とてもできないと思いながらも、お断りすることもできず、いっぱい恥ずかしい思いをしながらなんとかこなしているのがこの数年の初釜です。

 庭のつくばいが清々しく整えられ、メインのお茶室(濃茶席)の床には結び柳や橙、海老、米俵の飾り物、竹花入に紅白の椿。宝尽し紋のぶりぶり香合。お点前のお道具もお正月を表現するようなめでたいものばかり。

 薄茶席には青い花入に水仙が一輪。古色を帯びた小ぶりの釜と、ハンガリーの白磁の水指(みずさし)が見事に合って、数々用いられた茶碗からは平和を願う席主の心が読み取れました。

 女性も男性も、ほとんどの人が着物を着てくるので、お家の中はとても華やかです。私ももちろん朝から着物を着て出かけてきました。
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「翁」の時と同じ着物で、帯はフォーマル度の高い袋帯です。

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 帯は鎧(よろい)の文様。身を守る意味があるそうです。間に瑞雲がたなびき、瑞雲の中は菊唐草などの吉祥文様で埋められています。
 お太鼓はこちら↓
 袋帯は滅多に使わないので、結び方を忘れてしまいそうになります。朝からあたふたしましたが、どうにか形を整えることができ、ホッとしました。

 


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    つくばいに心清めて初茶席    

    師の点てる濃茶は甘し初茶の湯

    再会を喜ぶ濃茶寒椿

    初釜の茶碗に平和を語りをり

    

2018年1月11日 (木)

「翁」を見た日の着物

  「翁」を見た日の装いです。

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 沈んだピンク色地の付け下げ。実家の母の古い着物です。着た形跡がなく、新品のようでした。しっとりした色合いなので、長く愛用しています。

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 絞りと刺繍で組紐が表現されています。組紐の柄には吉祥の意味があるそうです。

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 有栖川(ありすがわ)文様の名古屋帯。
 デフォルメした鹿を並べたこの柄を有栖川文様と言います。格式の高い有職文様で、とりわけ茶道では好まれます。
 名古屋帯でもややフォーマルな感じがするので、重宝な帯です。西陣の帯問屋さんで求めました。

 今年初めての「着物でお出かけ」デーでした。

2018年1月 7日 (日)

能「翁」を見ました

 4日、大槻能楽堂で「翁」を見ました。今年初めての観能です。

 主な出演者は次のとおりでした。
  翁    観世銕之丞(てつのじょう)
  三番叟 野村萬斎
  千歳   観世淳夫
  面箱   野村太一郎

  笛    藤田六郎兵衛
  小鼓 頭取  大倉源次郎
  大鼓   河村  大

 「翁」を見るのは昨年のお正月に続いて
二度目です。細部は覚えていないので、今回も「固唾を飲んで見守る」という気分でした。翁の荘重さ、三番叟の力強さ、千歳の若さ。それぞれの持ち味の相乗効果でめでたさが最大限にまで高まります。

 翁の観世銕之丞は声量豊かなバリトンの声の持ち主です。この曲ではその魅力が遺憾なく発揮され、さながらオペラのようでした。

 三番叟は昨年、野村万作(萬斎のお父さん)で見て、80代半ばとは思えないほどの身のこなしの軽さと、その年齢ならではの重々しさとの程よいバランスに魅了されました。
 萬斎の三番叟は、以前、テレビで見たことがあり、跳躍を繰り返す場面でジャンプの高さに驚いたものです。今回、そのすごい跳躍をじかに見ることができました。
 ほかの部分でもキレが良く、しかも軽くはならないところがさすが親子です。

 翁も三番叟も舞台の中央や左右の端の位置で客席に向かって邪気を払う所作をする場面があり、それを見ていると心身が清められる気がしました。能楽堂の中に清新なパワーが満ちていくように感じられます。
 
去年に引き続き、今年も元気をいただくことができました。「翁」っていいなあ、好きだなあ。

 会場は満席。立ち見客も数名。着物姿の女性が多くて、華やかです。私も着物を着て行きました。その装いについては別に書きます。



2017年12月28日 (木)

文化庁芸術祭賞受賞者にこの方々とこのドラマ 

 文化庁芸術祭賞の受賞者が発表されました。そのリスト中に、私が今までに「いいな!」と思ってきた方や作品を複数、見つけました。

 演劇部門の優秀賞に善竹隆司さん。狂言師です。いつ、どこの舞台で拝見したのか思い出せないのですが、その声の素晴らしさ、滲み出るおかしみに酔いました。まだ若いのに、よほど修練を積んでおられるのでしょう。

 大衆芸能部門の優秀賞に落語家の林家染雀さん。芝居噺が評価されたようです。
林家染丸一門の中でも、師匠の得意分野、芝居噺を受け継いでいるのはこの方です。以前、繁昌亭で高座を何度か聴いて、魅了されました。

 このところ落語はごぶさたしています。染雀さんの受賞記念の会が開かれるなら、久しぶりに繁昌亭に足を運んでみたいです。

 テレビ・ドラマ部門では大賞にNHKの「眩(くらら)〜北斎の娘」。優秀賞の一つに同じくNHK「夏目漱石の妻」。どちらも今年、感動したドラマでした。

 年末になって飛び込んできたうれしいニュースのもう一つは、評論家の渡辺保さんが芸術院会員に選ばれたこと。うっかりしてニュースを見落としていましたが、その前に芸術院賞を受賞されてもいたのです。

 渡辺保さんのお名前とお仕事は、初め、歌舞伎評論の分野で知りました。その後、伝統芸能の幅広い分野をカバーしておられることがわかりました。
 この方、Eテレ「にっぽんの芸能」の「名人列伝」というコーナーで、いつも解説を務めているのです。歌舞伎、文楽、能、日本舞踊、地唄舞、長唄、箏曲など、どのジャンルにも深い見識を持っておられます。

 著書多数。私が読んだのは六世中村歌右衛門を取り上げた『女方の運命』(岩波現代文庫に収録されています)。この本を読んだとき、何十年も歌舞伎を見てきて歌右衛門の舞台も何度も見たのに、私は何もわかっていなかった、と思いました。
 5歳で六世尾上菊五郎の舞台を見て、衝撃を受けたのだとか。義太夫や能も中学生や高校生の頃に初めて見て、虜になったらしいです。その感受性と批評眼の鋭さには敬服するばかりです。

 今年になって読んだのは『昭和の名人 豊竹山城少掾 魂をゆさぶる浄瑠璃』(新潮社)、『能ナビ 誰も教えてくれなかった能の見方』(マガジンハウス)。どちらも面白くて、ぐいぐい引き込まれる内容でした。

 普段から関心を持って見ている人や敬意を抱いている方が大きな賞を受賞されるというのは、うれしいものです。私など何の関係もないのに、幸せな気分になれます。

 この記事でこのブログの今年の更新を締めくくります。

    年の瀬や
体が動くありがたさ

    年の瀬やおせち作りと筋トレと

2017年12月23日 (土)

大掃除

 数日前に懸案の下駄箱掃除を片付け、今日はアルミサッシのレールを掃除。と言っても、DKの南側にある幅2間の掃き出し窓だけです。
 普段からきれいにしていれば、年末の慌ただしい時期に時間を取られなくて済むのに。とわかっていながら、ずっとほったらかしていました。
 すっきりときれいになると清々しくて、掃除への意欲が高まります。

    磨き上げまた欲が出る大掃除

 あと何カ所、きれいにできるかなあ。

 昨夜、映画「ゴッドファーザーpart.2」を見ました。公開時(昔!)に見逃して、数年前にテレビで放送されたのを録画しておいたのです。
 一作目も録画で見て、アル・パチーノがかたぎの若者から父(マーロン・ブランド)の後を継いでマフィアのボスになり、驚くような変貌を見せるところがゾクゾクするくらい印象的でした。

 第二作は、3時間半もの大作。アル・パチーノ演じるところのボスと、亡くなった父親の子ども時代からマフィアのボスになるまでが交互に描かれます。重点は、アル・パチーノに置かれています。

 マフィアのボスの考え方や行動に共感できるところなどないのに、見終わったとき、分厚い文学書を読んだ後のような重い感動に包まれました。大きなスケールで深く人間が描かれているからでしょうか。

 三作目が、まだブルーレイに残っています。年内に見られるかどうか…。

 

2017年12月21日 (木)

能「江口」は着物で

 「江口」を見た日は、着物を着ました。


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 15年くらい前に、お茶の社中の先輩から譲っていただいたお召の着物です。その頃60代だった方の若い頃の着物。しつけ糸がついた新品でした。グレーに見える部分は細い縦縞になっています。
 この着物を着て人に会うと、必ずと言っていいほど「おしゃれやねえ」とほめてもらえます。

 気ぜわしくて、名古屋帯を締めるのがおっくうだったので、半幅帯をカルタ結びにしました。Uチューブで見ながら締めたら、きゅうきゅうに締まって苦しいほど。やり直したら、今度はゆるゆるに。帯締めでごまかしています。

 着物を着るのも今年、これが最後です。来年は何回、着られるかなあ。

能「江口」続き

 主な出演者は次の通りです。

 シテ 友枝昭世
 ワキ 福王茂十郎
 ワキツレ 広谷和夫、福王和幸
 
 大鼓 山本哲也
 小鼓 横山晴明
 笛     杉    市和

 友枝昭世さんの謡は聴いていると胸にじかに飛び込んでくる感じがして、涙ぐみそうになりました。静止している時の佇まいから、この方の心身が舞台空間を支配していることが感じられました。
 後シテの装束は緋色の袴をつけます。遊女というより巫女のように見え、普賢菩薩に変化(へんげ)するという結末をすんなり受け取ることができました。

 川遊びのシーンから後、謡の文言がとても美しいのです。季節の自然が色彩豊かに語られ、すべては移ろうと言います。こうした仏教的無常観、輪廻転生の思想は、四季がはっきりしている
日本だからこそ発達したのかも、と気づきました。

 前回に引き続き超イケメンの福王和幸さんを見ることができたのもラッキーでした。席が脇正面だったので、定座に座っている間、ずっと真向かいにお顔や姿を拝見することができました。

 囃子方では、笛の杉市和さんが素晴らしい。この方が吹く笛はなぜか心に響きます。いつも聞き惚れてしまいます。

 この日は満席で、立ち見客もいました。
 みなさん、素晴らしい舞台で今年の観能納めをされたことでしょう。もちろん私もです。

能「江口」を見ました

 16日(土)、大槻能楽堂で能「江口」を見ました。

 法円坂の交差点から上町通りに入ると、もみじ並木の紅葉が見事です。

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 12月も半ばだというのに、まだ紅葉が見られるのは不思議な気がしました。

 「江口」のあらすじを、当日配られた資料から紹介します。

 摂津天王寺への旅の途中、僧の一行(ワキ・ワキツレ)が江口の里を訪れる。里の者からここは「遊女・江口の君の旧跡」と聞き、昔、西行が宿を貸してくれなかった遊女に向けた歌「世の中を厭うまでこそ難からめ 仮の宿りを惜しむ君かな」を口ずさむ。すると、一人の女(シテ・里女)が現れる。

 「どうして西行の歌だけを詠んで、江口の君の返歌を口ずさまないのか」と里女は僧を咎める。僧と女の交わす言葉の中で、宿を断った江口の君は「僧だというなら、仮の宿に執着なさいますな」「この世への執着を捨てなさい」と和歌にのせたのだという故事が語られる。
 やがて女は、「実は私は江口の君の幽霊」と明かして消え失せる。

   中入

 間狂言が、書写山性空上人が「生身の普賢菩薩を拝みたいと願ったところ、江口の長に会うよう夢のお告げを受けた。そして、江口の遊女が普賢菩薩へ姿を変じたこと」を語る。(『十訓抄』)

 夜になり、僧たちが江口の君を弔っていると、月の澄み渡る川水に、江口の君(後シテ)と侍女たち(ツレ)が川舟に乗り、「遊女の川逍遥」の姿を現わす。
 江口の君は「紅花の春の朝」「朝の霜」と移ろう季節のさま、閨房の睦言、仏法を説きつつ舞を舞う(序の舞)。

 やがて遊女たちが乗っていた舟は白い象に変化し、普賢菩薩に変化した江口の君を乗せ、白雲とともに西の空へ消えていくのだった。


 長くなってしまいましたので、演者、感想については記事を改めます。

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