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2018年1月

2018年1月21日 (日)

初春文楽公演 「良弁杉由来」など

 ここで写真を2枚、アップしておきます。

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 舞台前方の天井に飾られる、毎年恒例の額と鯛です。
 額の文字は、今年は東大寺の方が書かれていました。二部の演目「良弁杉の由来」の主な舞台が東大寺なので、そのゆかりでしょう。
 鯛は、ギョロ目で可愛らしい。

 こちらが織太夫を襲名された咲甫太夫さんです。


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 現在、ただ一人の切場語りである咲太夫さんのお弟子さんです。
 口上でも、咲太夫さんが織太夫さんのことを語る口ぶりには師匠の愛がにじみ出ていました。
 新・織太夫さんはEテレ「日本語であそぼ」にずいぶん長く出演しておられるので、見たことがあるわ! という方も多いかもしれません。

 二部で上演された「良弁杉の由来」は、主役の良弁僧正の人形が、極端に動きが少なくて、遣うのがとても難しそうです。
 初代玉男さんがご健在の頃、ほんのわずかな首(かしら)の角度で良弁の心情が豊かに表現されるさまを見て、圧倒されたのを覚えています。
 初代の弟子、二代玉男さんも健闘なさっていました。

 同じく二部の「新口村」。歌舞伎でよく見る演目です。義太夫は文字久太夫。しっとりと味わい深く語られ、親子の情、夫婦の情がそくそくと伝わってきました。
 この方は住太夫の厳しい指導を長年受けてこられた方で、とてもうまい人なのですが、とりわけこういう世話物浄瑠璃で持ち味を発揮される方だと気づきました。

 最後になってしまいましたが、一部のもう一つの演目、「花競(くらべ)四季寿」では豊竹睦太夫さんが声の質、声量ともに良かったです。これから注目していきたい若手です。

2018年1月20日 (土)

初春文楽 呂太夫が語る「俊寛」の深さ

 「平家女護島 鬼界が島の段」は通称「俊寛」。平家物語に材をとった能の曲「俊寛」をもとに、近松門左衛門が書いた作品です。初演の翌年に歌舞伎にも取り入れられています。

 『歌舞伎ハンドブック』(三省堂)から、あらすじを紹介します。(適宜、改行しました。)

 九州の先の絶海の孤島に、俊寛、平康頼、少将成経の三人が流罪になっている。成経は隣島の海女、千鳥と恋仲である。

 そこへ赦免船が到着する。平清盛の家臣瀬尾太郎が、中宮(清盛の娘徳子が高倉天皇の皇后となった)の安産祈願のため、康頼と成経が赦免された旨を告げる。

 名を落とされた俊寛は嘆くが、もう一人の使者丹左衛門が登場し、平重盛と教経の配慮で俊寛は赦免されたと告げる。

 三人と千鳥が乗船しようとすると、瀬尾は千鳥の乗船を断る。残される千鳥の悲嘆。船から抜け出した俊寛は、千鳥のために瀬尾と争い、清盛の憎しみの強いこと、妻の東屋が清盛の側女にならなかったので処刑されたことなどを聞かされ、絶望して瀬尾を殺す。
 その罪を受けて島にとどまり、代わりに千鳥を乗せてくれと嘆願し、丹左衛門は承知する。

 船は岸を離れ遠ざかっていく。見送る俊寛は凡夫心(欲望や執着などの煩悩にとらわれる心)を断ち切って独り残る覚悟を決めたはずだが、煩悩をこらえきれずに島の巌頭から声を限りに叫び、船を見送るのだった。

・・・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・・

 この演目を豊竹呂太夫が一人で語り、鶴澤清介が三味線を弾きました。
 呂太夫は私が素人弟子として義太夫を習っている師匠です。でも、これから書くことは、いわゆる「身内びいき」では決してありません。

 私はこれまで、この演目を文楽でも歌舞伎でも何度も見てきました。師匠が語るのを聴くのは初めてなので、どんな風に語られるのだろうと注目していました。
 すると、話が進むうちに、思いがけないことが起こりました。このドラマ「俊寛」が宗教劇として立ち現れてきたのです。

 師匠はクリスチャンなので、おそらく師匠ならではの解釈をされたのでしょう。そのことが見ていてぐいぐいと心に伝わってくるのです。
 妻の死を知らされた時、俊寛は絶望します。しかし、すぐ後で、「死ねば来世で再会できる」という希望を抱いたのでしょう。この時代、「夫婦は二世の契り」とされ、死後に生まれ変わった世界でも夫婦の縁が続くと信じられていたのです。

 若い二人の愛を成就させるために人を殺すという究極の選択をして、ただ独り島に残った俊寛は、壮絶な孤独の末に即身成仏したのではないだろうか。もともと、仏教者としてさほど優れた人物ではなかった俊寛が、与えられた苦難を自らの選択で乗り越えていくことによって、真の宗教者になったに違いない。
 そんなことを考えました。師匠の語りから感じ取ったのです。

 呂太夫師匠の深い思いと芸が、古典の作品である「俊寛」に新しい命を吹き込みました。その現場に立ち会えたことが、この上なく幸福に感じられました。

 これからも呂太夫師匠は古典をより普遍的なものとして(現代人に通じるばかりでなく、国境を越えてどんな人の心をも打つ作品として)提示していかれるのではないか。そんな気がしました。
 ふと、「天命」という言葉が浮かびました。この方には天命がある。それに気付き、それを全うしていこうとなさっている。そう思いました。師匠の前にあるのは前人未到のいばらの道に違いないのです。
 師匠のこれからの歩みをしっかりと聴いて、見て、微力ながら応援していきたいです。

      天命を持つ人の芸初芝居




 

初春文楽「摂州合邦辻」

 上演中の初春文楽公演を一部、二部ともに見ました。今回の公演は八代目竹本綱太夫五十回忌追善と豊竹咲甫(さきほ)太夫改め六代目竹本織太夫襲名披露の公演です。

 その「口上」は一部で行われました。正面に
八代目竹本綱太夫のモノクロ写真。私はこの方を存じ上げません。豊竹咲太夫のお父さんなのだそうです。舞台背景は龍を描いた墨絵。簡素で力強い印象です。

 舞台上には咲太夫と新・織太夫の二人だけが座っていました。口上を述べるのは咲太夫だけで、織太夫は終始、無言です。咲太夫の口上は真心が溢れていて、胸を打つものでした。

 もともと、文楽では襲名披露の口上はごく簡素に行われていたのです。このごろは歌舞伎の影響か、きらびやかでものものしい口上が増えています。今回は文楽本来の質素で心のこもったものだったので、好感が持てました。

 「口上」に続いて、追善と襲名の披露狂言、「摂州合邦辻(がっぽうがつじ)」の「合邦住家の段」が上演されました。

 演者の顔ぶれは次の通りです。

   中  竹本南都太夫、三味線・鶴澤清馗(せいき)
   切  豊竹咲太夫、三味線・鶴澤清治
   後  新・竹本織太夫、三味線・鶴澤燕三(えんざ)

 人形はヒロインの玉手御前を桐竹勘十郎、その父を吉田和生、ほかの方々でした。

 咲甫太夫改め織太夫は祖父が高名な三味線弾きの鶴澤道八(故人)。人間国宝の清治は伯父、
清馗は弟なのだそうです。

 話のあらすじははしょりますが、とてもドラマチックな内容です。ヒロインの玉手御前が理知的、行動的でしかも情に厚く、実にかっこいい。こんな女性像は文楽のほかの作品には存在しません。

 そして、新・織太夫さんの語りの凄まじいことと言ったら! 予想をはるかに超える大迫力でした。
 豊かな声量と広い声域、声質の良さ、巧みな表現力。どんなに大声を張り上げても心地よく聴いていられるリズム感の良さ。素晴らしいです。

 襲名すると、それまでも実力のあった方がさらに何倍もの力を発揮する姿を文楽でも歌舞伎でも繰り返し見てきましたが、この日の織太夫さんはまさにそのとおりでした。

 ほぼ満員の会場はすっかり興奮して、この披露公演は大成功でした。
私自身、見終わった後は織太夫さんの凄さにただただ圧倒されていました。

 ところが、終演後、時間が経つにつれて、思うことが変わってきたのです。
 確かに織太夫さんの語りは素晴らしかったのですが、にもかかわらず、今回の公演で最も注目すべきだったのは「口上」の前に上演された「平家女護島(にょごのしま) 鬼界が島の段」の豊竹呂太夫の語りだったのではないかと。

 続きは別の記事に書きます。

2018年1月19日 (金)

能「二人静」を見ました

 1月8日(月・祝)の午後、大津市伝統芸能会館で能「二人静」を見ました。主な出演者は次のとおりです。

 シテ    女、静御前の霊  片山九郎右衛門
 シテツレ  菜摘女        味方  玄(しずか)
 ワキ     神職                原    大

 大鼓   河村   大
 小鼓   吉阪 一郎
 笛     森田  保美


 以下、チラシからあらすじを転載します(一部、表記を変え、適宜改行しています)。

 まだ雪の残る早春の吉野・勝手明神。正月七日の今日は神事のため、神前に供える若菜を摘みに菜摘川の野辺へ出た娘は、どこからともなく現れた女に呼び止められます。

 女の頼むところによると、罪業深きこの身ゆえ社家の人々に一日経(大勢での写経)の供養をお願いしたいとのこと。もしこのことづてを疑われるようなら、その時は私があなたに取り憑き名乗って詳しく話そうと告げて、かき消すように失せてしまいました。

 驚いた娘は戻って神職に事の経緯を伝えます。自らの体験を疑ううち、憑かれたようになる娘。その名を神職に問われ、徐々に静御前であることを仄めかし、身の上を語り始めました。
 静であれば隠れなき舞の上手、神職から弔いと引き換えに舞を所望された娘は、宝蔵に納められていた舞の装束を言い当て、それを付けます。

 いつしか娘と重なるように現れた静とともに、吉野山での義経の苦難を語り、頼朝の前で義経を想って舞った思い出の舞を時の歌「しづやしづ、しづの苧環繰り返し」に乗せて舞い始めます。

 やがて恋の諦念になお懐旧の情を吐露しつつ、山桜を雪のように吹き散らせる松風に、「静が跡を弔ひ給へ」と合掌するのでした。


・・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・

 静御前の霊に取り憑かれた菜摘女は神職が蔵から取り出した装束に舞台の奥で着替え(物着)、舞います。
 そこへ当の静御前の霊が登場して、連れ舞いをするのです。二人の装束はほぼ同じ。舞の動きも見事にシンクロしています。

 一度、イベントで体験させてもらったことがあるのでわかるのですが、能面をつけると、能楽師の視界は極端に狭いのです。シテとツレにはお互いの動きはおそらくほとんど見えていません。
 それなのに二人の動きが見事に関連付けられて見えるのは、双方が強い気配を放ち、互いに相手の気配を正確に受け取って動いているからでしょう。
 二人はすぐそばにいるとは限らず、あいだが5メートルほど離れている場面もあります。そんなときも、この気配のキャッチボールは正確に行われていました。


 舞台上で二人が舞うとき、静の霊は少しだけ菜摘女より後ろに下がっています。この位置関係から、静の霊が菜摘女を支配していることが感じられました。
 かと思うと、霊は橋掛かりに下がって座り、菜摘女が舞台で一人で舞うのを見ています。こうなると、もはや菜摘女は静の霊の思念が映し出した幻のように思えてきました。
 けれど、静の霊そのものも幻なのです。現(うつつ)と幻と、その境界があいまいになり、何が現実なのかわからなくなってしまいました。

 二人の舞は終始美しく、装束も素晴らしい。幻想的な世界に引き込まれ、息もつかずに見つめ続けて、いつの間にか終演のときを迎えてしまいました。
 素晴らしい舞台を見せていただきました。

 大津市伝統芸能会館はまだ新しい施設で、こぢんまりした見やすい能楽堂です。座席もゆったりして疲れません。この日は満席でした。
 便利な最寄駅はJR湖西線の大津京駅。駅前からバスが出ていないのが残念です。タクシーに乗ると5分ほど。気候がよければ歩くのに良い距離です。

 実は昨年もこの会館で見たい能の公演が行われたのですが、場所が遠いので断念したのでした。
 行ってみると、京都駅から大津京駅まではわずか2駅、10分程度。思ったほど遠くはありません。今年はこの能楽堂にまた足を運ぶつもりです。


 


2018年1月17日 (水)

シネマ歌舞伎「京鹿子娘五人道成寺」「二人椀久」が上映中です

 シネマ歌舞伎「京鹿子(きょうかのこ)娘五人道成寺」と「二人椀久(ににんわんきゅう)」の二本立てが今、上映中です。どちらも坂東玉三郎が主演する映画で、華麗な舞踊を堪能することができます。

 先週の土曜日から上映が始まっていますから、上映期間はあと十日くらいではないかと思います。

 上映している映画館は限られていますので、シネマ歌舞伎のホームページでご確認ください。

2018年1月16日 (火)

「お正客バトル」

 前の記事で、初釜の日にお正客を引き受けたことを書きました。私の年齢、お茶歴から言うと、先生側(実際には、準備と当日の運営を手伝っているお弟子さんたち)から「お正客を」と頼まれると、断れないのです。

 私はお茶人としては謙遜でなく極めて未熟で、先生や連客(同じ席に同座する方々)に対して不十分な働きしかできません。申し訳ないと思いながらも、辞退すればご迷惑になることがわかっているので、お引き受けするのです。

 一般に、お茶会では一席が始まる前にお正客を決めます。お茶会では(とりわけ濃茶の場合。薄茶でもお客の人数が多い場合)、正客が連客を代表して、亭主と会話し、道具組みに込められた亭主のもてなしの心を汲んで連客に伝えたり、連客の知りたがっていることを代表して亭主に尋ねたりします。
 お茶会の一席が亭主と客との心の通い合ったものになるためには、正客の役割が計り知れず大きいのです。

 大寄せのお茶会(たくさんのお客を招いて開かれるお茶会。薄茶席が多い)では、誰がお正客をするかが大問題になります。
 主催者側の担当者がめぼしいお茶人(多くはベテランのお茶の先生)にお正客をお願いするのですが、ほとんどの場合、辞退されます。

 「とんでもない。ほら、あの方がいらっしゃいますよ」。担当者がその人のところに行くと、また同じセリフが繰り返されます。これが有名な「お正客バトル」。
 私がお正客になりたい、という自己主張のぶつかり合いではなくて、「私などとんでもない。どなたかほかの方に」という謙譲のバトルなのです。

 これを延々と繰り返されたのでは、お茶会はいつまでたっても始まりません。席主も連客も大迷惑です。
 こんなとき、男性はあっさりした方が多いです。「私はお茶のことを何も知らないのですよ」とおっしゃっても、「こちらで全てご説明しますから(恥はかかせません。大丈夫ですよ)」と申し上げると、すんなり引き受けてくださいます。難儀なのはベテランのおばさま、おばあさまたちです。
 いったいどこまで「謙譲の美徳」が染み付いているんでしょうか。女性は前に出てはいけない、一歩下がっているべき、という思い込みが強すぎて、そのことが周りの迷惑になっていることには目が行っていないようです。

 私は担当者が困り果てている様子を何度も目撃しているので、「お正客を」と頼まれたら、内心は「冗談やめてよ」と思いながらでも、引き受けることにしています。不毛な「お正客バトル」は避けたいからです。
 お茶会はみんなが楽しく、心豊かに過ごしたい、貴重なひとときです。

2018年1月15日 (月)

初釜の装い

 7日は茶道の先生宅で初釜が行われました。私が師事しているのは 80代後半の女性の先生ですが、50代の息子さんも先生で、主に若いお弟子さんを教えておられます。両方のお弟子さんを合わせると、40人を超す大所帯です。

 いくら先生のお宅が広いと言っても、そんな大人数が一どきに押し寄せては大変。そこはよく考えて、1時間ごとにお席を区切り、どのお席に誰が入るかを前もって決めておいてくださったので、ゆったりした気分で過ごすことができました。

 先生と息子さんがなさる濃茶席、お弟子さんの一人でこの度「教授」という許状をいただかれた女性が主催される薄茶席。あとは先生がご用意くださった豪華なお弁当を和やかにいただくお席でした。

 私は「11時からのお席にお入りください」と前もってお知らせいただいており、それはいいのですが「お正客をお願いします」と言われてしまいました。お正客って、責任重大なのです。とてもできないと思いながらも、お断りすることもできず、いっぱい恥ずかしい思いをしながらなんとかこなしているのがこの数年の初釜です。

 庭のつくばいが清々しく整えられ、メインのお茶室(濃茶席)の床には「青松多寿色」の軸。結び柳や橙、海老、米俵の飾り物、竹花入に紅白の椿。宝尽し紋のぶりぶり香合。お点前のお道具も浜辺の松、雲と鶴などお正月を表現するようなめでたいものばかりです。

 薄茶席には青い花入に水仙が一輪。古色を帯びた小ぶりの釜と、ハンガリーの白磁の水指(みずさし)が見事に合って、数々用いられた茶碗からは平和を願う席主の心が読み取れました。

 女性も男性も、ほとんどの人が着物を着てくるので、お家の中はとても華やかです。私ももちろん朝から着物を着て出かけてきました。
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「翁」の時と同じ着物で、帯はフォーマル度の高い袋帯です。

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 帯は鎧(よろい)の文様。身を守る意味があるそうです。間に瑞雲がたなびき、瑞雲の中は菊唐草などの吉祥文様で埋められています。
 お太鼓はこちら↓
 袋帯は滅多に使わないので、結び方を忘れてしまいそうになります。朝からあたふたしましたが、どうにか形を整えることができ、ホッとしました。

 


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    つくばいに心清めて初茶席    

    師の点てる濃茶は甘し初茶の湯

    再会を喜ぶ濃茶寒椿

    初釜の茶碗に平和を語りをり

    

2018年1月11日 (木)

「翁」を見た日の着物

  「翁」を見た日の装いです。

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 沈んだピンク色地の付け下げ。実家の母の古い着物です。着た形跡がなく、新品のようでした。しっとりした色合いなので、長く愛用しています。

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 絞りと刺繍で組紐が表現されています。組紐の柄には吉祥の意味があるそうです。

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 有栖川(ありすがわ)文様の名古屋帯。
 デフォルメした鹿を並べたこの柄を有栖川文様と言います。格式の高い有職文様で、とりわけ茶道では好まれます。
 名古屋帯でもややフォーマルな感じがするので、重宝な帯です。西陣の帯問屋さんで求めました。

 今年初めての「着物でお出かけ」デーでした。

2018年1月 7日 (日)

能「翁」を見ました

 4日、大槻能楽堂で「翁」を見ました。今年初めての観能です。

 主な出演者は次のとおりでした。
  翁    観世銕之丞(てつのじょう)
  三番叟 野村萬斎
  千歳   観世淳夫
  面箱   野村太一郎

  笛    藤田六郎兵衛
  小鼓 頭取  大倉源次郎
  大鼓   河村  大

 「翁」を見るのは昨年のお正月に続いて
二度目です。細部は覚えていないので、今回も「固唾を飲んで見守る」という気分でした。翁の荘重さ、三番叟の力強さ、千歳の若さ。それぞれの持ち味の相乗効果でめでたさが最大限にまで高まります。

 翁の観世銕之丞は声量豊かなバリトンの声の持ち主です。この曲ではその魅力が遺憾なく発揮され、さながらオペラのようでした。

 三番叟は昨年、野村万作(萬斎のお父さん)で見て、80代半ばとは思えないほどの身のこなしの軽さと、その年齢ならではの重々しさとの程よいバランスに魅了されました。
 萬斎の三番叟は、以前、テレビで見たことがあり、跳躍を繰り返す場面でジャンプの高さに驚いたものです。今回、そのすごい跳躍をじかに見ることができました。
 ほかの部分でもキレが良く、しかも軽くはならないところがさすが親子です。

 翁も三番叟も舞台の中央や左右の端の位置で客席に向かって邪気を払う所作をする場面があり、それを見ていると心身が清められる気がしました。能楽堂の中に清新なパワーが満ちていくように感じられます。
 
去年に引き続き、今年も元気をいただくことができました。「翁」っていいなあ、好きだなあ。

 会場は満席。立ち見客も数名。着物姿の女性が多くて、華やかです。私も着物を着て行きました。その装いについては別に書きます。



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