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2018年4月

2018年4月29日 (日)

「本朝廿四孝」続き

 「本朝廿四孝」というと、八重垣姫という深窓の令嬢と狐たちが活躍する「十種香の段」「奥庭狐火の段」が知られています。実際、歌舞伎ではこちらのストーリーしか上演されないようです。

 実は「本朝廿四孝」は壮大な物語で、主に二つのストーリーがあり、互いに関連はあるものの、それぞれ独立した作品として上演されることが多いのです。
 今回上演された「勘助住家の段」前後のストーリーは、地味な上に話が込み入っていてわかりづらいからか、文楽でも上演される機会は少ないです。

 私は以前に一度、見たことがあります。そのとき、主人公の兄弟のうち慈悲蔵という性格の良い(ように見えるのに、いきなり我が子を手裏剣で殺してしまう)人物を、亡くなられた吉田文雀さんが遣っておられました。そのとき、慈悲蔵が若くて色気のある魅力たっぷりな男性に見えたのが今も忘れられません。

 終幕前、我が子を夫に殺された女房お種(吉田和生さんが遣っていました)の嘆きが強調されたのは、まだしもの救いなのでしょうか。
 お種の感情に共感しながらも、あまりにも悲しすぎるので自分で心にブレーキをかけてしまい、涙は出ませんでした。
 文楽って、女性の立場から見ると、悲しすぎたり辛すぎたりする作品がかなり多いんですよね。もっとパワフルな女性がヒロインとして活躍する新作もどんどん作って欲しいなと思います。


2018年4月28日 (土)

文楽4月公演「本朝廿四孝」ほかを見ました

 先日、国立文楽劇場で4月公演の昼の部を見てきました。プログラムは次の通りです。

  本朝廿四孝(ほんちょう にじゅうしこう)

     桔梗原の段
     吉田幸助改め五代目吉田玉助襲名披露口上
     景勝下駄の段
     襲名披露狂言 勘助住家の段

  義経千本桜
     道行初音旅


 吉田幸助改め
五代目吉田玉助さんは50代初めくらいの人形遣いさん。このところ目覚ましい活躍をされるようになってきていました。
 お父さんの吉田玉幸さん(故人)も人形遣いで、その舞台姿を今もよく覚えています。強面の方でしたが、息子さんはお父さんに似なかったのか、柔和な印象の顔立ちです。

 襲名披露の口上には、人形遣いさんばかりが前後2列になって13人座りました。吉田簑二郎さんの司会で、吉田玉男さん、吉田和生さん、桐竹勘十郎さんがお祝いの言葉を述べられました。
 人間国宝で最高格の簑助さんは言葉が不自由(脳梗塞の発作の後遺症)なので、一言も話されませんでした。
 
 簡素で心のこもった襲名披露で、よかったのですが、気になったのは裃の色です。目の覚めるようなピンクなのです。春だからといって、こんな色にしなくてもよかったのになあと思いました。
 いわゆる「どピンク」で、あまり美しく感じられなかったのです。そこだけが残念でした。

 襲名披露狂言「
勘助住家の段」で新・吉田玉助さんが横蔵、のちの山本勘助という役の人形を使いました。簑助さん、和生さん、玉男さん、勘十郎さんも出演して、これ以上はないというぐらい、豪華な舞台でした。

 この場面の「前」を豊竹呂太夫が語りました(「後」は呂勢太夫)。人物の行動に謎が多い上に、一見優しそうな男が突然我が子を殺す場面があったりもして、掴みどころがあるようなないような、難しい場面です。

 以前の私ならきっと眠くなってしまっただろうと思うのですが、今回は違いました。呂太夫の語る義太夫にじっと耳を傾けていると、一つの語、一つの音にも深い意味が感じられ、気持ちがぐいぐいと惹きつけられて行くのです。
 我が子を夫に殺された妻の嘆きはお芝居とは思えないほど身に迫ってきました。

 終わってみると、あらすじが込み入っていて、どう考えても納得がいかず、とても不条理なお芝居でした。その不条理さにむしろ現代性があるのかもしれません。

 「道行初音旅」は、舞台正面奥に二段のひな壇を据え、太夫9人と三味線9人が並びました。こんなしつらえは文楽では珍しいものです。口上のときと同じ、ド派手な裃姿でした。

 登場するのは静御前と狐忠信。静御前を豊竹咲大夫、忠信を竹本織太夫が語りました。これも不思議でした。咲大夫は現在、ただ一人の切場語り。本来なら、呂太夫が語った場面を咲大夫が語るべきだったのです。
 大人数で語る場面に切場語りが登場するのはとても珍しいこと。その上、咲大夫の声に力がなく、一人で語る部分を最小限にしていたことが気になりました。
 前回、織太夫の襲名披露公演の時にはそこそこ元気なように見えたのですが、また体調が悪化したのでしょうか。

 派手で華やかな道行で幕が降りたにも関わらず、咲太夫さんの様子が気になって、おめでたい気分に浸りきれないのが残念でした。

2018年4月24日 (火)

スカビオサが咲きました

 秋に苗を植えたスカビオサが咲き始めました(写真はクリックすると拡大します)。

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 和名はマツムシソウ。高原で松虫が鳴く頃に咲くことから、この名前が付けられたのだそうで、秋の季語です。
 もっとも、園芸種として販売されているスカビオサは日本の山野草ではなく、ユーラシアや南アフリカ原産の種類のようです。
 以前から大好きな花なのですが、暑さに弱いので、育てる自信がありませんでした。前に一度、地植えにしてうまくいかなかったことがあります。
 今回は鉢植えにしたので、暑くなったら、なるべく涼しい場所に移動しようと考えています。

 地植えのアヤメも咲き始めました。

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 膨らみ始めた蕾の形が絶妙にきれいです。

 シランは満開間近。

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 キク科のこの植物は、この冬の寒さに傷んでしまったので、いったん根元まで切りました。気温が上がってくると順調に育って、またきれいな花を咲かせてくれています。
 この植物は暑さに強いので、これからどんどん広がります。

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 春の定番、ビオラも花盛りです。

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 狭い庭なのですが、花が好きなので、たくさん植えています。植物の成長ぶりにはいつもパワーをもらっています。

2018年4月16日 (月)

インターネット俳句会で入選!

 「愚陀仏庵インターネット俳句会」というサイトがあり、毎月、俳句を募集しています。メールで、一人3句まで送れます。2月に、肝試し?みたいな気持ちで3句送って、その後すっかり忘れていました。

 久しぶりにそのサイトを覗いたら、2月投句分から選ばれた句が発表されていました。特選10句、秀逸10句、そして入選67句です。

 何気なく読んでいたら、入選句の中に、どこかで読んだことのある句が。誰のだっけ? なんと、私が投句した3句のうちの一つでした。

    二つ三つ芽吹かせて去る女神かな

 どちらかというと妄想系でしょうか。
 全部で87句も選ばれた中の、しかも特選でも秀逸でもなく入選に過ぎないのですが、それでもうれしい! とってもうれしい! 

 この勢いで、どんどん句を作っていこう! と意気込みは十分です。

2018年4月14日 (土)

トゥエンティクロスから森林植物園へ(3度目のハイキング)

 3月の中旬に、3度目のハイキングに行きました。新神戸から布引の滝を通って登り、市ヶ原を経て、トゥエンティクロスへ。六甲森林植物園に到着し、園内で昼ご飯を食べて、帰りは谷上へ下りました。

 このコース、川の流れがとてもきれいでした。木の間隠れに見える川の色はエメラルドグリーンです。
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 「河童橋」だなんて、上高地の真似だということがミエミエの橋があったりしました。
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 トゥエンティクロスというのは、川の浅瀬を渡っていくコースです。そんな場所が20カ所くらい続くので、この名前で親しまれているようです。

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 これがとても楽しい! 童心に帰れます。それに、水辺を歩くのは心地よくて、水の清らかさが体の中にまで染み透ってくるような気持ちになりました。

 トゥエンティクロスのコースが終わってからもまだ何カ所か、沢渡りが続きました。

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 上の2枚の写真はそらまめさんにもらったものです。

 ようやく森林植物園に着きました。
 登山道では、野鳥のさえずりは期待したほどは聞こえず、花もまだまだ。でも、植物園の中で、何種類もの山野草を見ることができました。
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 一番下の花は、名前を忘れてしまいました。もっとたくさんの種類の花が咲いていました。どれも小さくて可愛らしい花でした。

 この日のハイキングでよくわかったのは、「補給」の大切さでした。登り道が続いて疲れてしまった時、Kさんからもらった奄美特産の黒糖とゴマのお菓子、そらまめさんからもらった自家製甘酒。それがどちらもとびきり美味しかった!
 その後は元気もりもりになり、上り坂をいつもよりスピードを上げて登っていくことができました。
 私もドライフルーツなど持っていたのですが、ザックからすぐ取り出せなくて。いつもお世話になってばかりです。

 このハイキングが今から1カ月前のこと。書けずにいた記事のネタを、これでようやく一通り書き上げました。
 ためるとしんどいですねえ。なるべくまめに、その都度書くようにしていきたいです。

夜桜模様の着物で

 「狂言風オペラ」を見に行った日は、久しぶりに着物を着ました。
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 このブログって、なぜか縦長の写真は大きく表示されるんです。わけがわかりません。。。
 着物は黒地に桜尽くし。淡いベージュの袋帯に桜色の帯締め。帯揚げは白地にワインがかった赤の飛び絞りです。
 
 着物の柄はこちら。
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 お太鼓はこちら。

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 桜の柄は、桜前線が近づいてから、せいぜい五分咲きになる頃までしか着られません。満開の時期に着るのは野暮ということになってしまいます。
 なので、この着物、着る時期がとても短く、なかなかタイミングが合いません。着たのは買ってからこの日がようやく2度目でした。

 そんな、ある意味贅沢な着物を身にまとうことには格別な満足感があります。着物自体はリサイクルショップで入手したものなのですけれども。

2018年4月12日 (木)

見事だった狂言風オペラ「フィガロの結婚」

 3月23日に大阪のいずみホールでタイトルのとおりの公演を見ました。私の素人義太夫の師匠、豊竹呂太夫が出演なさるので見ておこうと思ったのですが、期待以上に質の高い、感嘆するような出来栄えの舞台でした。

 写真→公演 ホームページより

 時代と場所は昔の京都。美人の妻がいるにもかかわらず、好色で下女にまで手をだす主人、在原平平(ひらひら)。業平の子孫だというところが笑えます。

 この人物を、文楽の人形が演じます。遣うのは桐竹勘十郎。2014年に上演されたシェークスピア原作の新作「不破留寿之太夫(ふぁるすのたいふ)」の主人公のために作られた首(かしら)に手を入れたそうです。

 この人物が登場する場面で義太夫を語るのが豊竹呂太夫。こうした滑稽味の強い作品や人物を語るのが他のどの太夫さんよりも巧みです。聴いていて、おかしくて仕方がありません。
 三味線は若手の鶴澤友之助さん。有名な「もう飛ぶまいぞ」も三味線で弾きこなし、そのセンスの良さが異なる芸能同士の融和に力を発揮していました。

 舞台で最もよく活躍するのは、下女と下男の2カップルです。この4人は狂言師が演じます。当然、セリフも語ります。
 美人の妻を演じるのは能楽師の赤松禎友さん。能面と装束を付け、美しくて悲しげな女性を存在感たっぷりに見せてくれました。

 音楽を演奏するのはスイスから来た管楽八重奏団、クラングアート・アンサンブルです。時には演技にも参加します。
 洋楽の演奏、狂言師と文楽人形、能楽師の絡み合い。これだけジャンルの異なる人たちが同じ舞台で一つのお芝居を演じて、うまくいくものでしょうか?
 
 私も半信半疑だったのですが、これがなんの違和感もなく見事にかみ合って、個性的でこの上なく楽しい「フィガロの結婚」を作り上げていたのです。こんなことができるんだ! と感動したくらいです。
 ただ一部で、洋楽演奏のボリュームが大きくて狂言師のセリフのやり取りが聞き取りづらい場面があったことだけが残念でした。

 作は片山剛、音楽監修は木村俊光。脚本演出は能の笛方、藤田六郎兵衛。そして芸術監督は大槻文藏さんでした。そうそうたる顔ぶれです。
 会場は満席。こうした試みは今後も是非続けていただきたいです。

おだまきの花が咲いています

 まだ書いていない記事が2つあるのですが、庭の花がきれいなので先にその写真をアップしておきます。

 おだまき(写真はクリックすると拡大します)。
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 楚々とした花ですが、実はたくましい。昨夏の激暑にもこの冬の厳寒にもめげずに、いつものとおり、咲いてくれました。

 なるこゆり。
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 緑がかった花がどんどん白くなっていきます。元気な球根植物です。

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 うつぎ。三分咲きくらいかな。うつぎという名前の植物にはいくつも種類があるらしいです。

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 コデマリ。これから満開の時期を迎えます。

 花でいっぱいになるこの季節、庭に出るのが毎日、楽しみです。

2018年4月 9日 (月)

初心者向け俳句講座、2回目の句会でした

 3月末、初心者向け俳句講座の2回目の句会が開かれました。出席者は先生を含めて5人。ほかに、欠席だけれど句だけで参加した方が一人いました。全部で20の句が集まりました。

 一般の句会とは少しルールが違うかもしれないのですが、この講座の句会では、先生を除く参加者が特選1句と佳作2句を選びます。先生は特選3句を選び、「天・地・人」のランクをつけます。佳作は6句選びます。
 
 結果、先生の特選「天」と、受講生の特選1、佳作2を勝ち取ったのは
 
    陽のあたる坂のどこかに沈丁花

 私も佳作に選びました。Aさんの作品です。

 先生の特選「地」と、受講生の佳作2をもらったのは

    眉ペンのやはらかき朝桃の花

 なんと、私の作った句だったんです! うれしい!
 Aさんから「女性らしい繊細さが感じられる」という評をいただきました。私自身はあんまり女性らしくはないんですけどもね。

 先生の特選「人」をもらい、私も佳作に選んだのは

    白木蓮飛び立つ前の小鳥たち

 これもAさんの作品でした。Aさん、すごい! 先生のほかは私しか選んでいなかったのがなんだかうれしかったです。

 そして、私が特選にしたのは

    春の子よ走って転ぶまた走る

 でした。開けてびっくり、先生の句だったのです。私以外は誰も佳作にすら選んでいませんでした。句の鑑賞眼ができてきたかな? と、これもうれしくてたまりませんでした。

 私が提出した残り2句は佳作一つもいただけず、撃沈。そのうち

    春服でスキップ跳ねる歩道かな

 については、先生から、「スキップ」と「跳ねる」は同じ意味になっているので、「春服がスキップ横断歩道かな」とすると良いのでは? とのアドバイスをいただきました。
 もともと、横断歩道を幼い女の子が明るくなった春の光の下をスキップで渡っていく光景を見て詠んだ句だったのです。「横断歩道」は長すぎると思って「歩道」にしていたのですが、先生のおっしゃるようにすればよかったんですね。

 もう1句は

     愛猫の昔語りや恋の夜

 「猫の恋」という季語から妄想を膨らませて作ったのですが、まったく評価されませんでした。意味がわからなかったでしょうか。

 2度目の句会は1度目に比べると飛躍的な成果を上げることができました。これでますますやる気が湧いてきました。俳句、これからも頑張ります!


能「雲林院」を見ました 続き

 チラシに書かれていたあらすじを以下に転載します(表記は読みやすく変えています)。

 『伊勢物語』の愛読者・蘆屋公光(きんみつ)は、ある夜見た夢に導かれて、都・紫野の雲林院を訪れます。折しも花の盛り。心惹かれて一枝を手折る公光。すると老翁が現れ、それをとがめます。
 古歌を引いて問答した末、公光に『伊勢物語』の秘事伝授を約束し、花の蔭に寝て待つように言うと老翁は夕霞の中へと消えて行きました。

 その夜、木蔭に伏して月を眺める公光の前に現れたのは、貴人姿の在原業平。『伊勢物語』第六段の内容を語り始め、おぼろ夜に降る春雨の中を逃れた追憶のうちに夜遊(やゆう)の舞楽を舞ってみせます。
 やがて夜明けとなり、夜もすがら『伊勢物語』が語られた公光の夢は覚めるのでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・・・・・・・・

 私は前半のほとんどを気持ち良く眠ってしまいました。残念。後半はしっかり見ました。
 後シテは高貴な身分の貴族の装束です。「月やあらぬ 春や昔の春ならぬ 我が身ひとつは もとの身にして」という一声から始まり、高子との逃避行の経緯や様子を語ります。桜散らしの雨が降る夜、芥川を渡り、迷いながら落ちていったこと。謡の詞章は案外短く、シテはゆったりと美しく舞い続けます。
 この季節にぴったりの夜桜、雨、川面に浮かぶ花筏が想像の世界に広がります。シテの装束に織り込まれている桜が、雨に散って衣服に張り付いたもののように見えました。

 味方玄がシテを演じる舞台を見ていつも感じるのは、この人の体を包む濃密な空気感です。まるでそこだけが別世界のように見えます。
 そこから発散されてくるもの(気、でしょうか)が極めて強いので、舞の意味がわかってもわからなくても、ただひたすらじっとシテの姿を見つめ続けてしまいます。

 シテが退場した時はホッと息をつきました。それまでは息を詰めるようにして、見入っていたのです。
 この曲は滅多に上演されない珍しい作品で、味方玄自身も初演だそうです。良いものを見させていただきました。

 この日、大津市伝統芸能会館は駅前からタクシーに乗らなくても徒歩10分ほどの距離だということがわかりました。タクシーだと740円ほどかかるのですが、車の通れない細い道があり、そこを通っていくと近道なのです。

 9月にはこの能楽堂で味方玄の「井筒」を見る予定。今から楽しみです。

能「雲林院」を見ました

 一日に能「雲林院」を見ました。会場は大津市伝統芸能会館です。
 主な出演者は次の通りです。

  シテ 尉(じょう)・在原業平  味方 玄(しずか)
  ワキ 蘆屋公光(あしや きんみつ)  原   大
  ワキツレ 従者  原   陸

  大鼓  河村  大
  小鼓  久田舜一郎
  太鼓  井上敬介
  笛    森田保美

  アイ狂言  茂山忠三郎


 開演に先立って、歌人の林和清さんのお話がありました。テーマは「雲林院とはいかなる場所か」。藤原氏独裁政権下における政治的な敗北者や弱者たちの集まる「わび人の歌会」が行われた場所なのだそうです。紫式部もこの近くで生まれており、ゆかりが深いとのこと。

 いわゆる「色好み」の男たちは、決して手を出してはいけない女性に恋をして
しまう。例えば光源氏の藤壺との恋。藤壺は父帝の妻であり、義理の母親でもあるのです。二重のタブーに遮られた女性に恋い焦がれ、少なくとも2回は思いを遂げている、と林さんは話されました。


 こんなとんでもないスキャンダラスな物語が上流階級の人々の間で大人気を呼び、次々と書き写され、読者を広げていったというのはすごいことですね。最近のマスコミの「不倫バッシング」に比べて、なんとおおらかなんでしょう。ほとんど呆れるばかりです。

 もう一人の「色好み」、在原業平が恋したのは次の帝の后になることが決まっていた藤原高子(たかいこ)です。人目に触れぬよう隠されていたのを業平は見つけ出し、おぶって、高槻の芥川まで逃げます。深窓の令嬢である高子はきっと、ろくに歩いたこともないほど、体力のない人だったのでしょう。

 荒れた蔵で夜明かしをした時、高子は蔵に潜んでいた鬼に食べられてしまいます。これは、異変に気付いた兄たちが二人を追いかけ、高子を奪い返したという意味だそうです。
 「女性の自由な幸せを奪い政治の道具にする藤原氏こそが鬼なのだと、告発しているかのようにも読むことができる」と、林さんのレジュメに書かれていました。
 光源氏は架空の人物ですが、在原業平は実在の人で、高子との逃避行は史実です。

 高子を失ったのち、業平は有名な「東下り」をします。都落ちですね。
 後年、清和天皇の妃になった高子は陽成天皇を生み、強大な権力を手に入れると業平とよりを戻します。数年の恋愛関係ののち、業平は亡くなります。その後、高子は寺院の若い僧侶とスキャンダルを起こし、皇后の座を追われます。
 業平との別れによって、精神のバランスを崩したのかもしれません。

 前置きが長くなってしまいました。あらすじと感想は稿を改めます。
 
  

2018年4月 8日 (日)

中山連山縦走ハイキング(4回目のハイキング)

 木曜日、いつもの皆さんに誘っていただいて、ハイキングに行きました。
 これまで使ってきたザックが夫の古いものだったため、前回、ベルトが肩に食い込んだり腰骨の周辺で擦れたりして、痛い思いをしました。
 それで、私の体に合うザックを購入することに決定! ネットで小柄な女性にはどこのメーカーのどのザックが合うか、調べ尽くして、候補を3つに絞り込み、登山用品専門店の店員さんにも相談して、買ったのがこちらです。

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 荷物を入れていないので、くたっとしていますが…。ミレーというメーカーのサースフェー30+5という商品。日帰りハイキングから山小屋一泊の山歩きにまで対応します。よく入るので、二泊でも大丈夫かもしれません。
 まだ使い慣れていないので、うまく体に合わせられるか、少し不安もありつつ、約30年ぶりに新しいザックを買ったのがうれしくて、ウキウキしました。

 その日は前日までの異常な高温が一段落して、ちょうど良い暖かさ。お天気は快晴です。
 阪急電車宝塚線の山本駅から出発して登っていきました。

 滝がありました。最明寺滝という名前らしいです。

Photo
 水が流れる景色って清々しくて大好きです。

 さらに登っていくと、切り立つ岩場に出ました。しかも、けっこう距離があります。ええー! こんなところを登るの?
 私の前を歩いていた二人がどんどん登っていくし、しんがりのそらまめさんも「大丈夫。難しくないよ」と励ます? 追い立てる? ので、やむなく登ることに。
 「三点保持」と言って、必ず両手と片足でしっかり岩に取り付いていれば、安全に登れるのだそう。こわごわ、へっぴり腰で一歩ずつ登りました。

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 ↑そらまめさんが撮ってくれた写真です。

 やっと岩場を登りきると、あとはアップダウンの道をひたすら歩いていきます。ちょうどコバノミツバツツジが満開。その美しさにはため息が出ます。

 こんな道を歩いて行ったのです(写真はクリックすると拡大します)。

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 紫がかったピンク色。木によって、色が濃かったり少し淡かったりしていました。その濃淡もきれいです。
 残念ながら写真はピンボケです。

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 つぼみもまだたくさん付いていて、赤い色が可愛い。
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 間に休憩を挟みながら歩き続けて、お昼休みをとったのは1時近くだったでしょうか。眺めの良い、少し平らになった場所で昼ご飯を食べました。私たちのほかにも、何組かのグループがいました。

 実はここへ来るまで、ザックのショルダーベルトが左の肩に食い込んで、肩甲骨のあたりまで痛くなっていました。後ろを歩いているそらまめさんが「ザックが右に傾いていますよ」というので、荷物の入れ方が右に偏っていたのかもしれません。

 食事の後、荷物をバランス良く詰め直し、ベルトの長さをあちこちそらまめさんに調整してもらいました。これでこの後はずいぶん楽になりました。

 花を眺め、野鳥のさえずりに耳を傾けながらどんどん歩いて、中山寺の奥の院へ。そこから中山寺の境内へと下り、門前町のお店で食べたソフトクリームの美味しかったこと!
 中山寺の駅から阪急電車に乗って帰途につきました。スマホの歩数計をみると、朝、家を出てから、帰宅するまでの間に28,829歩歩いていました。

 中山連山の最高峰は海抜478mだそうなので、大した距離は登っていないのに、今回のコースは私には今までの中で一番ハードでした。そのせいか、翌日、初めて太ももの前側が筋肉痛になりました。1日で治りましたけども。
 まだまだ鍛え方が足りないんでしょうね。特に、肩周りには筋肉がついておらず、鍛える運動もしてきませんでした。ジムでトレーナーさんに聞いてみると、ダンベルを使った運動が良いとのこと。これから取り組んでいくつもりです。

 何と言っても山歩きは気分爽快! 最高に心地よい時間が過ごせます。体を鍛えて、いつまでも続けたいです。

 
  

2018年4月 7日 (土)

涙ぐんでしまったジャズ・ビブラフォンの演奏

 ずいぶん長い間、更新をサボっていたので、書きたい記事がいくつもたまっています。古い順から書こうと思っていたのですが、考えを改めて、新しい順に書いていくことにします。そのほうが、感動が新鮮なうちに文章にできますから。その代わり、日にちのたちすぎてしまったことは、書けなくなってしまうかもしれません。

 そんなわけで、早速、今日の出来事です。
 西宮市のプレラホールで「酒と桜の日々」というタイトルのジャズコンサートを聴いてきました。もう10年くらい続いているイベントらしいのですが、私が行ったのは今日が初めてです。

 出演は、ゴールデン・シニア・トリオ。ピアノ=大塚善章、ベース=宮本直介、ビブラフォン=鍋島直昶(なおてる)の3人で編成しているグループです。

 このうち、鍋島直昶さんの演奏を私は2010年の12月に神戸のライブハウスで聴いたことがあるのです。ダンディなファッションをまとった老齢の男性。その演奏が素晴らしかったのです。自由自在な手さばき、深く広く響いて心に届く音色。ビブラフォンがお洒落で味わい深い楽器だということを、この時初めて知りました。

 後日、知人から聞いた話によると、鍋島さんはこの時すでに84歳。日本のビブラフォン奏者の第一人者なのでした。「鍋島」という姓やいわくありげな名前が示す通り、鍋島焼という美しい陶磁器を幕府に献上していたことで知られる佐賀・鍋島藩の藩主の末裔なんだそうです。
 その後、なかなか機会がなくて、今日は久しぶりに鍋島さんのビブラフォンを聴く機会に恵まれたのです。
 この「ゴールデン・シニア・トリオ」は、世界最高齢のジャズバンドとして、2015年にギネスブックに登録されています。鍋島さんは当時89歳、大塚さんは81歳、宮本さんは78歳でした。それから3年経っています。現在、3人の年齢は合計256歳だそうです。

 そんな前置きはともかくとして、演奏は最初から最後まで素晴らしいものでした。第一部はAs Long as We Liveから始まり、2曲目のAll of Meからドラムが加わりました。バードランドの子守唄、Stardustなど、名曲が続きます。
 鍋島さんは実は心臓発作で倒れて、2月まで入院しておられたのだそう。そのせいか、演奏が始まってすぐのあたりでは少しおぼつかないというか、素人の私でも「大丈夫かな?」と気になってしまうシーンがありました。

 しかし、いったん乗り始めると、そんな懸念は吹っ飛んでしまいました。鍋島さんの奏でるビブラフォンの音色は深くて大きな広がりを持ち、光のようにも感じられ、宇宙を内包しているようにも思われました。
 何よりも音の響きが優しく温かくて、まっすぐに私の心の奥底にまで届くので、私は何度も涙ぐんでしまいました。大塚さんのピアノも澄んだきれいな音色だし、宮本さんのベースががっちり全体を支えています。なんという名演奏でしょう。
 今まで、ジャズの演奏を聴いてこんなに感動したことはありませんでした。

 7曲で第一部が終わり、休憩を挟んで第二部です。鍋島さんの教え子のビブラフォン奏者が二人(美男美女)が登場しました。舞台の前の方にビブラフォンを3台並べ、その後ろにピアノ、ベース、ドラムが並びます。ビブラフォンを3人で演奏するという構成です。

 曲はThe Moon was Yellow,Carioca(すごい迫力でした),Softly as in a Morning Sunrise(朝日のように爽やかに),bag's Groove.ラストはJust Friendsでした。舞台も客席も全員ノリノリで、アンコールにSunny Side Streetを演奏しておひらきになりました。

 若い二人の演奏者はさすがに力強く、フレッシュな音を聴かせてくれるのですが、鍋島さんの奏でる音はまったく次元が違うのです。もはや技術の問題ではないのでしょう。
 私は心が洗われるような思いがするのと同時に、ジャズのリズムとメロディが楽しくて、客席で体を揺らしながら聴いていました。アンコール曲が終わった時は残念でたまりませんでした。もっと何曲も聴いていたかったです。

 鍋島さんが来年も健在で、またコンサートが開かれることを心から願っています。
 

ハナミズキが咲きました

 庭のハナミズキが咲きました(写真はクリックするとサイズが大きくなります)。
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アップにすると、

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 蕾もまだあります。
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 2015年の2月に植えました。苗木には花が咲いていたのですが、16年の冬も17年の冬も咲かずじまい。
 昨日、ふと見るといくつも花が開いているのでびっくりしました。うれしい!

 同じ時期に植えたロウバイやスダチはぐんぐん大きくなっているのに、ハナミズキは縦にも横にもあまり成長していません。スペースが狭いので、そのほうが助かるのですけれども。

 この花を見ていると、なぜか少女漫画を連想してしまいます。

     少女漫画に耽りし日々や花水木

2018年4月 2日 (月)

すっかりご無沙汰してしまいました

 前の記事更新から2週間も経ってしまいました。なんだかとても忙しくて。

 1月末から始まった義太夫の個人稽古が3月末までに4回。素人弟子として、六代豊竹呂太夫師匠に教わっており、個人稽古は予約制でマンツーマンで教えていただきます。

 この稽古を受けるための一人稽古が大変! 一通り語るのにかかる時間はほんの6分ほどなのですが、詞章と曲節を正確に覚えなくてはなりません。これがとんでもなく難しい。覚えるだけでも容易ではない上に、短いパートに3人の人物が登場するので、それぞれを語り分け、その人物の思いや感情を表現しなくてはならないのです。

 その上、今回私が習っているパート(「絵本太功記 尼崎の段」の一部です)はクライマックス部分で高音が続くのです。高音が出なくて、義太夫を習い始めてからずっと悩んでいる私。思いきり大きな声を出すと、以前よりは高い声が出るようになってきましたが、それでも一苦労。やすやすときれいな高い声を出せる方が羨ましくてたまりません。

 ご近所の方がびっくりしないよう、窓を閉め切って稽古しています。4回予約したうちの4回目がやっと終わったのが、3月26日でした。ひとまずホッとしました。

 もう一つは、長年習っている茶道の行事です。3月30日に尼崎の劇場で行われる「研究会」という催しに出演しなければならず、そのお稽古が飛び飛びで6日間、合計12回ありました。同じ社中の方と5人でする1時間くらいの課目です。これも、記憶力がますますお粗末になってきている私には結構な苦労でした。

 30日のお昼にこれが終わった時は、心底ホッとしました。まるで初心者に教えるような内容のことがらを講師の先生から指導されたりして、相当恥ずかしかったのですけれども、終わってしまえば「まあいいか」で済ませています。
 オバーサンになってから、性格がオバサンになってきたらしいです。

 老人保健施設に入居していた義母が3月末にいったん家に帰り、今月中旬に我が家から近いところにある有料老人ホームに入居することになりました。
 母を見舞ったり、在宅での生活サポートについて(デイサービスやショートステイの利用の仕方など)どうプログラムを組むか、ケアマネさんや理学療法士さん、ヘルパーさんと相談しなければいけないことがたくさんありました。新しく入居するホームとのやりとりも必要です。

 義母の介護は夫が責任者になってくれているので、私は気が楽なのですが、時間の都合がつく限り、同行するようにしています。

 この間、ハイキングに行ったり、夫と近所の梅林へ終わりかけの梅を見に行ったり、川向こうの公園で花見をしたり、姉夫婦と姉の友人と5人で、とびきり美味しい焼肉を食べたりと、楽しい出来事もいくつかあり、それも含めてバタバタと過ごしていました。

 今週あたりからやっと少しずつ落ち着くと思うので、記事を更新していくつもりです。どうぞまた読んでくださいね。

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