無料ブログはココログ

« 2018年5月 | トップページ | 2018年7月 »

2018年6月

2018年6月30日 (土)

能「融(とおる)」を見ました

 先週、京都観世会館で京都観世会六月例会を見ました。プログラムは能「小督(こごう)」、狂言「文山賊」、能「杜若 恋之舞」と盛りだくさん。私が見たかったのは締めくくりの能「融」でした。「白式舞働之伝」という小書が付いていましたが、その部分はよく見ていません。


 以下、チラシのあらすじを転載します(適宜、改行しています)。

  東国の僧が都に上って、六条河原院の跡に着いて休んでいると、田子(注:たご。竿の両はしに小ぶりの桶を吊るしたようなもの)を担った老人がやってくる。
 この辺りの人かと尋ねると、この所の汐汲みだと答える。僧が海辺でもない土地で汐を汲むとはおかしいと言うと、ここは昔、源融公が広大な屋敷を造り、庭内に陸奥の塩釜の景観を移したところであると答える。
 老人は僧の問うままに、融が日毎に難波の浦から塩水を運ばせ、ここで塩を焼かせるという豪奢な風流を楽しんだが相続をする人もなく荒れ果ててしまったことを物語る。
 そして遠江の名所を教え、やがて汀に立ち寄って汐を汲むかと思うと、姿は消え失せる。
  中入

 その夜、僧がそこで仮寝をしていると融公が貴人の姿で現れ、昔を偲んで舞を舞い、夜明けとともに月の都へと帰ってゆく。

・・・・・・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・・・・

 前シテは青灰色の面をつけた老人です。見るからに亡霊のように見えました。
 と、ここでストンと眠りに落ちてしまい、はっと気がつくと後シテが登場していました。
 上下とも純白の装束です。よほど上質の絹なのでしょう、柔らかい光沢を放って実に美しい。面は、なんという名前のものかわかりませんでしたが(こういうところ、大月能楽堂なら入り口で配る資料にちゃんと書いておいてくれます)、表情豊かで魅力的でした。

 栄華を誇った昔を偲ぶというのだから、哀愁の漂うゆるやかな舞かと思っていたのに大違い。若さを表現するような颯爽とした舞です。そのかっこよさと言ったら! 舞台狭しとおおらかでスピード感のある舞を見せ、その勢いのまま、去って行きます。驚きでした。

 あとで「能楽ハンドブック」を読むと、「月を中心に構成された作品で、融の大臣には、仲秋の名月の夜に現れた月の精の面影がある。ワキが僧でありながら読経一つしないのも、ここに理由があるのかもしれない」と記されていました。

 作者は世阿弥。シテは観世銕之丞が演じました。囃子方の中では大鼓の河村大と笛の杉市和が良かったです。

 京都観世会館は、冬は暖房が弱くて寒く、夏は冷房が効きすぎて寒いです。閉館になった大阪能楽会館のような古い建物ならまだしも、比較的新しい建築なのに、観客に優しくないのはなぜでしょう。
 私はマフラーを首に巻き、ショールを膝に乗せ、その上、カイロを両方の太ももの上に貼って鑑賞しました。この防備体制が気持ちよくて眠ってしまったのかもしれないです。

 

2018年6月21日 (木)

ばら園と透析

 6月の句会前、自分の詠んだ句のうち(数だけはたくさんありました)、どれが良いのかがわからず、「誰かに添削してもらえたらなあ」としきりに思いました。添削された句はもはや私の作品とは言えないので、投句出来ないのですけどね。
 しばらく添削を受けたら、推敲のポイントがわかるかも…という考えから、NHK学園の通信講座に興味を持ちました。

 資料を取り寄せると、「俳句おためし添削提出はがき」というのが同封されていました。講座の申し込みをしなくても、とりあえず1句は添削してもらえるらしいのです。
 書いたのは

     ばら園の児(こ)らのさざめき透析す

 という句でした。
 発送した後で、「唐突に透析す、なんて出てきて、意味がわかりませんという添削が返ってくるかなあ」と思っていました。

 実はこの句、さらに手入れをして

     ばら園の風通る部屋透析す

 として、6月の句会に出そうと、直前まで思っていたのです。
 
 5月に伊丹市のバラ公園に行ったときに見た実景が材料です。小学生3クラス分くらいの団体がやってきて(聞いてみると1年生でした)、しばらく広場にじっとしていた後、思い思いに遊び始めました。走り回っている子たちもいます。

 狭いバラ園だと、バラの棘が刺さったりしないか気になりますし、騒々しいのも迷惑です。でもこのバラ公園は広大なので、楽しそうな雰囲気が盛り上がっただけでした。

 ふと見ると、バラ公園に面した道路に4階建くらいのビルがあり、高い位置の壁に大きな文字で「人工透析」と書いてあります。そのすぐ横の窓のある部屋で今も人工透析を受けている人がいるのかなあ、と想像しました。
 こうして詠んだ一句だったのです。

 句会に出す間際になって、自分勝手にひとのことを想像して、ひとり合点な感傷に浸っているだけなんじゃないか? という疑念が湧いてきて、結局この句は出さずじまいでした。

 今日、おためし添削の返事が返ってきました。講評というか、講師の方の読み解きが記され、「児」は乳児や幼児など小さい子をさすことが多いので、「子」で良いのでは? とのこと。添削後は

     ばら園の子らのさざめき透析す

 と、「児」を「子」に変えただけ。「さざめき」の横には小さな赤マルが付いていました。
 その上、私自身が透析を受けているのかなと想像されたようで、丁寧なお見舞いの言葉まで書かれていました。なんだか申し訳ないような気持ちになりました。

 ばら園の子らのさざめき から 透析す へ飛ぶのはアリなんだ!
 一つ、わかったような気がします。
 講師の先生、ありがとうございます!

 (通信講座を受けるかどうかはまだ思案中です。)
 (前の句会で講師の先生の句が1句も選ばれなかったことを「好不調」と書きましたが、受講生の鑑賞力不足かもしれません。先生、失礼なことを書いてごめんなさい。)
 

2018年6月18日 (月)

文楽鑑賞教室で「絵本太功記」を聴く

 先日、国立文楽劇場で行われている文楽鑑賞教室という催しに行きました。初心者にもわかりやすく文楽を紹介するイベントで、毎年今頃の時期に行われています。

 はじめに「寿式三番叟」を上演。私はこの演目が大好きなので、ワクワクしました。能の「翁」からとったものですが、文楽バージョンはとてもリズミカルで楽しいのです。

 続いて「解説 文楽へようこそ」。日にちと時間帯によって、担当する技芸員さんが代わります。私が見た日は、豊竹希(のぞみ)太夫が総合司会と太夫の解説を担当。三味線は鶴澤寛太郎、人形は吉田玉翔でした。
 希太夫は私が素人弟子として師事している豊竹呂太夫師匠のプロのお弟子さんです。少し緊張気味に見受けられましたが、上手な解説でした。

 締めくくりに「絵本太功記」の「夕顔棚の段」と「尼ヶ崎の段」を上演しました。これが私の一番の目的でした。
 というのは、義太夫の稽古で、「尼ヶ崎の段」をずっと習っているからです。師匠がこの段を6〜8分程度に区切り、毎年1パートずつを順に習って、夏の発表会で語っています。
 お弟子さんの中にはもっとほかの演目を選ぶ人も少なからずいますが、私は入門以来、ずっと「尼ヶ崎の段」を教えていただいて来ました。

 義太夫はとても難しい! いつも四苦八苦しています。それで、プロの太夫はどんな風に語るのかを聴いてみたかったのです。 もちろん師匠の語りはCDでいただいているのですが、ほかの太夫さんのも聴きたくなりました。

 これも日にちと時間帯によって代わるのですが、この日、「尼ヶ崎の段」を語ったのは「前」が豊竹呂勢太夫、三味線は鶴澤清友。「後」は竹本津駒太夫と鶴澤藤蔵でした。

 津駒太夫の語りは、初めは割とゆっくり、中盤はテンポよくさらりと進め、終盤で激しく盛り上がりました。凄まじい気迫! 終わった時は「すごーい」と感嘆してしまいました。津駒さん、意外と高音部は苦手なのかな、という感じが少ししましたけども。
 当たり前だけれど、プロはさすがです。聴きに行った甲斐がありました。自分の語りに何をどう取り入れれば良いのかはさっぱりわかりませんが。

 この催し、トップクラスの技芸員が惜しげもなく芸を披露するのに、チケット代は3900円(学生は1300円…団体料金は多分もっと安いはず。友の会の会員は3400円)と格安。なので、人気が高く、チケットはいつも早々に売り切れてしまいます。
 この日の私の席は、中央ではありましたが後ろから3列目でした。後ろから4列目から最前列までは小中学生の集団で埋まっていました。団体鑑賞が多いから、余計にチケットのなくなるのが早いのでしょう。

 後ろから見ていると、熱心に鑑賞している子もおり、居眠りしている子もいます。文楽に興味を抱いた子もいたでしょうか。
 文楽ファンになる子や、技芸員を目指す子がたくさん生まれてほしいな。

2018年6月17日 (日)

西村和子さんの句

 発売中の季刊雑誌「俳句あるふぁ」に「自選200句で読む 西村和子の俳句世界」という特集記事が掲載されています。読んでみると、琴線に触れるというのでしょうか、「あ、いいな!」と思う句がいくつも見つかりました。


    シクラメンうたふごとくに並びをり

    手袋をかつきりはめて旅はじまる

    囀(さえずり)に色あらば今瑠璃色に

    道混んでゐてバス空いてゐて師走

    人去れば枯木囁くかも知れず

    しやぼん玉兄弟髪の色違う

    ごきぶりを見しより疑心兆したる

    桐の花らしき高さに咲きにけり

    あめんぼの輪より雨の輪増えて来し

    子に遅れ歩む楽しさ夏帽子

    明易(やす)や愛憎いづれ罪深き

    大枯木話を聞いてくれさうな

    虫籠に虫ゐる軽さゐぬ軽さ

    紙風船息吹き入れてかへしやる

    どんぐりごま狂はぬもののつまらなさ

    継ぐといふことを尊び初蹴鞠

    二十一世紀の闇へ卒業す

    朽ち橋を渡れと呼ばふ螢かな

    風狂に瘋癲に夏心地よき

    鉾の辻回し祈りを力とし

    ふたり四人そしてひとりの葱刻む

    目に残るとは消ゆること春の雪

    言の葉の非力なれども花便り

    その窓は風を聴く窓緑さす

    生き残るとてもつかの間さくら咲く

    露草や嬰児(ややこ)ながらに目の力

    淋しさを飼ひ慣らせしや邯鄲も

    丸太町下ル小店の蕪蒸

    柚子ひとつ渡す言葉を託すごと

    少年のなぜは我が何故秋深し

    趣味道楽極道を経て翁の忌

    

    

2018年6月16日 (土)

愚陀仏庵ネット俳句会で2度目の入選

 2月に投稿した俳句が入選して大喜びした愚陀仏庵インターネット俳句会、4月に投稿したものも入選しました。3月は投稿しませんでした。

    こんな日は執事が欲しい花疲れ

 やった! 選者さん、選んでくださってありがとう!
 実を言うと、こんな句、作ったっけ? と、すでに記憶が朧です。
 「執事」はテレビドラマの影響。
 見ていた人はわかりますよね?

2018年6月 7日 (木)

3度目の句会で首位に!?

 月に1度の初心者向け俳句講座。今日は私にとって3度目の句会でした。講師の先生を含め8人が参加し、一人は欠席で句だけを提出しました。合計25句です。

 受講生は佳作2と特選1を選びます。先生は佳作5と特選3を選び、今回は特選に「天・地・人」の区別をつけませんでした。

 私が投句した3句のうち、

    荒物屋また一つ消え梅雨に入る

 が、受講生の特選1と佳作2、そのうえ先生の特選をいただきました! わーい!

    芍薬や玻璃の器の大吟醸

 この句は、受講生の佳作2と、先生の佳作をいただきました。

 ほかに人気が高かったのはMさんの次の句です。

    どくだみの古家つつみて白き闇

 受講生の特選2、佳作1、それに先生の佳作をゲットしていました。ただ、この句について先生は「〜て」という表現はつい使ってしまいがちですが、描きすぎてくどくなってしまう。思い切って切った方がいいです、とおっしゃり、「どくだみや古家をつつむ白き闇」と添削されました。なるほど、ぐんと良くなりますね。

 私が投句した残りの1句、

    街路樹の日々に膨らむ薄暑かな

は佳作一つもいただけず、撃沈しました。自分としては真面目に写生したつもりでしたが、平凡でしたね。

 試みに受講生の佳作を1点、特選を2点、先生の佳作を3点、特選を4点として獲得した点数を合計してみると、Mさんの「どくだみの」と私の「荒物屋」がどちらも同じ8点。でも、私の句には先生の特選が入っているので、8点の上、8点の下と分けるなら、私の句が8点の上ということになります。

 受講生別に合計点を出してみると、Yさんと私が首位で同じ13点。が、ここでもYさんには先生の特選がないので、僅差で私が勝った(?)ことになります。
 3度目にしてトップに立った! と大喜びしています。勝ち負けじゃないのに、ちょっと変だよねと思いつつ。

 「荒物屋」の句は、先生も受講生もほぼ同じ世代なので、共感を得たようです。「荒物屋また一つ消え」は実景で(ただし2年ほど前のことですが)、季語は取り合わせました。

 「芍薬や」の句は推敲してかなり変えました。
 先日、熱を出した孫の子守をしたお礼にと、娘が大吟醸の720ml入りを2本、送ってくれたのです。私は大吟醸が大好き。でも高いので、自分では買いません。
 娘に「ありがとう。気を使わないでいいのに。高かったでしょう」とメールすると、高島屋で試飲販売していたので味見して選んだのだとか。1本は割と高いけど、もう片方は意外と安かったのだそうです。高い方は純米酒で、安い方はそうではありませんでした。

 このお酒をガラスのぐい呑みに注いで飲みながら、ちょうど今、庭で咲いている紫陽花を季語にして

    紫陽花や玻璃のグラスの大吟醸

 と詠んだのが最初です。でも考えてみると、玻璃=ガラスで、グラスも元はと言えばガラスのことだったはず。それだと、ガラスが2度重なっています。紫陽花も、大吟醸とは釣り合いが取れない気がして来ました。

 ここで思い出したのが、長年習っている茶道での、お茶事の稽古です。私が師事している先生はたびたびご自宅でお茶事の稽古をしてくださいました(今は高齢で無理になりました)。
 お茶事といえば懐石(料理)が付き物。懐石には必ず日本酒が添えられます。違う種類のお酒が2度、出されるのですが、先生はいつもそのうち1回は大吟醸にしてくださいました。夏のお稽古ではガラスの酒器に入れるので、とても涼しげです。
 長時間の正座に疲れてソファで一休みしていると、庭には芍薬が咲いていたりします。 そんなことを思い出して、句を作り直しました。茶道を習ってきたことが句作に役立ったのは初めてです。

 講師の先生は「芍薬は牡丹と違って花屋さんでも蕾の状態で売られています。それを買って花瓶に活けると、花が開きます。私はお酒を飲まないので大吟醸の味はわかりませんが、上等の日本酒がガラスの器に入っているというところがとても涼しげです」と解釈されました。

 付け加えて、「この句の作者が男性だとすると、少し色っぽい句だとも読めます。立てば芍薬座れば牡丹、と言うように、芍薬は美人を現すこともある。女性と二人、ガラスの器で大吟醸を飲む時間を過ごした後、この句を相手に送ったら、気の利いたラブレターになりますから」ですって。
 私が芍薬に抱いていたイメージは比類なく豪華で品が良く、格の高い花、ということだけで、美人のシンボルだなんてことまではまったく思いが及んでいませんでした。

 今回、先生の3句は受講生が誰一人、佳作にも選ばず、先生は「いつかこんな日が来ると思っていました」と苦笑い。講師をするほどの方でもそのときどきで好不調があるんですね。
 まして私などは…。次回の句会でも今回のような評価が得られるかどうかは不明です。でも、努力は続けます。

2018年6月 1日 (金)

初蛍

 先週、3歳の孫が久しぶりに熱を出したので、京都に住んでいる娘の家へ助っ人に行ってきました。熱はすぐには下がりませんし、娘は何日も続けて仕事を休むわけにいかないので、娘の家で孫の面倒を見たのです。一泊、1日半でした。

 晩御飯を婿も一緒に食べている時、ふと蛍が話題になりました。私が、生まれてからまだ一度も蛍を見たことがない、と話すと、娘夫婦が家のすぐ近くの川に蛍が出ていると言うのです。
 食後、さっそく見にいくことにしました。娘は孫を抱っこしていました。

 幅せいぜい4mくらいの浅い川が流れています。川べりに立って向こう岸を見ると、水の少し上のあたりに3つ4つ、光るものがいます。町中なので、あたりは真っ暗ではないのですが、ちゃんと見えました。
 じっと見ていると、つーとゆっくり動きます。初めて見る蛍です。感激でした。
 この記事のタイトルの「初蛍」は、その年初めて見た蛍という意味ですが、私にとっては二重に「初」でした。

 昨日は月1回の初心者向け俳句講座の日でした。講師の先生が「蛍」を季語とする名句を11句、紹介して、解説してくださいました。「螢」と古い表記で書いたり、「ほうたる」と書いたりもするようです。

 私が一番気に入ったのは、次の句です。

    息づかひ静かな人と蛍の夜      茨木和生

 作者は奈良在住の現在70代の俳人だそう。先生が個人的にもよくご存知で、「鉄腕アトム」のお茶の水博士のような風貌なんですって。この句の繊細で少しロマンチックな詩情。人は外観ではわからないものですね。

 こんな句もありました。とても有名な句らしいのですが、私は初めて知りました。

    じゃんけんで負けて蛍に生まれたの    池田澄子

 話し言葉で平明で、まるでつぶやきのような俳句。びっくりです。俳句って多彩というか、世界が広いのですね。

 先生が「ぜひご自分なりの蛍の句を詠んでみてください」とおっしゃいましたが、まだできません。新鮮な発想をするということ、難しいです。






« 2018年5月 | トップページ | 2018年7月 »