無料ブログはココログ

« 2018年6月 | トップページ | 2018年8月 »

2018年7月

2018年7月24日 (火)

宇多田ヒカル「プロフェッショナル仕事の流儀」が深かった

 月曜の夜、Eテレで放送している「プロフェッショナル 仕事の流儀」。登場人物が知っている人の場合も知らない人の場合も、興味を引かれると録画して見ています。

 7月16日に放送された宇多田ヒカル編を、今日やっと見ました。宇多田ヒカルが音楽を作る過程、その現場に密着した記録です。場所は主にロンドンのスタジオです。

 宇多田ヒカルって、作詞と作曲だけじゃなくて、音楽を演奏するすべての楽器の譜(っていうんでしょうか?)も一人で一から創るんですって。そうして曲が出来上がってから、その曲にぴったり合う歌詞を書くのだそうです。

 曲はどこから生まれるのか? そもそも彼女の音楽はどこから生まれてくるのか? その問いの答えが心に突き刺さるような深さでした。

 録画を消してしまったので、以下、文言は正確ではありません。

 音楽を創る作業は、自分の中にあるもの、そしてまだ気づいていないものを掘り出し、向き合うこと。
 時には見たくない感情や、抑えてきたもの、気づかないふりをしてきたものもある。いわば地獄の蓋を開けるような作業。でも、そこからしか自分の音楽は生まれない。

 それは最初からはっきりした形をとって現れるわけではないので、無数の試行錯誤を繰り返して、「これかな?」「こっちの方が近いかな?」と探りながら掘り当てて行く。楽器を演奏してくれるアーティストたちに助けられて道が開けることもたびたびある。

 この仕事が好きとか、楽しい、ということはない。どちらかといえば苦しい。でも、これをやらないともっと苦しいことがわかっているから、これからもずっと続けて行くと思う。

 ごく大雑把ですが、こんな風に語っていました。
 聞いていてゾクゾクしてしまいました。
 創り出す作業って、やっぱりそうなんだと、納得が行きました。
 宇多田ヒカルの最新アルバム、買ってこようかな。 



2018年7月 9日 (月)

「敦盛」そのまた続き

 ワキの熊谷次郎直実(源氏方)が出家して僧になったのは、わずか16歳の敦盛を殺してしまったという悔いが引き金になっています。その背景には、敦盛と同い年の息子をこの戦いで失った悲しみが潜んでいるのです。

 戦争ですから、直実はたくさんの平家方の武士を殺したのでしょう。そのことがまず気持ちの中に沈殿していて、そこへ、自分の可愛い息子が戦死した。そして次にはその息子と同い年の敦盛を殺す羽目になるのです。

 これはおそらく平家物語の記述だろうと思うのですが(確かめていなくてごめんなさい)、直実は相手がまだ少年だと気づいた時、殺すのをためらうのです。敦盛が自ら名乗るのを聞けば、死んだ息子と同い年! 
 なんとか落ちのびさせようとするのですが、味方の軍勢が押し寄せてきていて、どうしてもそれができません。

 心ない者の手にかかるよりは、と決心して、ついに敦盛を斬り殺すのです。
 こんないきさつがあって、その後、直実はとうとう武士の身分を捨て、何もかも捨てて出家します。

 歌舞伎の「熊谷陣屋」はもっと劇的です。直実が殺したのは実は自分の息子で、敦盛の命は助けた、というストーリーになっているのです。つまり、敦盛の命を助けるために彼の身代わりとして我が子を自ら手にかけたのです。そうするように命じたのは義経です。

 このお芝居の終盤、花道の七三で僧形の直実が剃った頭をつるりと撫でながら、
  「十六年はひと昔。夢だ、夢だ」
と語るセリフにはいつも泣かされます。当代の吉右衛門丈の当たり役です。
 歌舞伎の作者の想像力(創造力)には凄まじいものがありますね。

和ろうそく能「敦盛」を見ました 続き

 能「敦盛」は全部を上演すると1時間半ほどかかる曲です。ここでは時間の制限があるので、半能、つまり後シテの部分だけが上演されました(その中でも、省略された部分があったかもしれません)。


 西宮能楽堂では半能の形での上演が多いです。ここで解説付きで半能を観てとっかかりをつかみ、いずれほかの機会に全部を観ればより深く味わうことができる、ということだろうと私は理解しています。

 和ろうそくが灯され、照明は消されました。普段は経験することのないような暗さです。囃子方と地謡が登場すると、衣擦れの音でしょうか、着物や袴がすれ合うサラサラという音が大きく聞こえます。普段の能舞台ではほとんど意識しない音です。

 ワキが登場します。先にも書きましたように、敦盛を討った熊谷直実が出家して蓮生と名乗った姿です。
 名乗りの後、ワキ座へ進むとき、足袋が床をする音が響きました。脇座でターンして舞台中心に向いて座るときには足元に強い圧力がかかるのでしょう、キュッキュッという音が大きく聞こえて、少々驚きました。視覚を制限されると、途端に、聴覚が鋭くなるようです。

 後シテの敦盛が登場します。貴族の若者の出で立ち。豪華な装束です。演じるのは梅若基徳さん。この方は体が大きいので、16歳の少年にはちょっと不向きだなあと感じてしまいました。

 いつもの上演では向かって右の壁にプロジェクターで謡の詞章が表示されるのですが、この日はさすがにそれはありませんでした。そこまで予想しておらず、詞章の下調べをしてこなかったのを少し悔いました。
 でも、敦盛と熊谷直実をめぐる話は大幅に脚色されて歌舞伎の「熊谷陣屋」でたびたび見ています。聞き取れる言葉を拾って、なんとか理解しようと努めました。

 ところが、お囃子の威勢が良すぎて、シテの謡も地謡も十分聞き取れない部分が多かったです。ここはもう少し音量のバランスを考えて欲しいものです。

 蓮生は敦盛の供養のために須磨を訪れます。その夜、蓮生の前に敦盛の霊が現れ、生前の復讐をしようとします。蓮生は念仏の功徳の前に因縁など存在しないと告げ、敦盛は懺悔として生前の様子を物語ります。
 やがて再び妄執の心を起こした敦盛は蓮生に斬りかかりますが、一心に弔う蓮生の姿を見て回心し、「あと弔うてたべ」と告げて消えていきます(当日配られたパンフレットより。一部書き換えています)。

 そうでなくても面をつけると視界は極端に狭くなるのに、和ろうそくのほのかな灯りだけで舞うとは、すごいことです。しかもかなりテンポの速い舞なのです。
 敦盛から伝わってくるのは憎しみや悲しみといった生の人間の感情ではなく、生者とも死者とも分かち難いものの存在感でした。
 戦さなどするよりも、大好きな笛を吹いていたかった16歳の少年。彼がまとっている空気が風のように感じられ
ました。

 殺した側の人間が、殺された人間の亡霊の恨みを鎮め、弔う。なんという発想の大転換でしょう。
 世阿弥の作です。現代人に十分通じる作品だと思います。

 次回は8月4日(土)。引き続き「和ろうそく能」で、半能「夕顔」が上演されます。

和ろうそく能「敦盛」を見ました

Photo_2

 土曜の夜、西宮能楽堂で能「敦盛」を見ました。正確に記しますと、「和ろうそく能」〜陰翳礼讃十六歳の最期〜半能『敦盛』」です。

 会場に入ると、舞台を囲むようにして5カ所に、燭台に据えた和ろうそくが準備されていました。火はまだ灯されておらず、蛍光灯の照明です。
 通常、この能楽堂での開演は昼間の2時なのですが、今回と次回は夜の7時なのです。
 プログラムはまず、梅若基徳さんによる解説から始まりました。ちょうど七夕の日でしたので、七夕の風習についてのお話から始まり、能で源氏と平家を演じる時の扇の違い、装束の違い、面の違いについて語られました。

 さらに、信長が好んだことで有名な
「人生五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」
という詞章について。
 能「敦盛」の謡の一部だと思っている人が多いのですが、実は当時流行していた幸若(こうわか)舞の「敦盛」なのだそうです。
 しかも「人生」ではなく、「人間(じんかん)」。
 天界には六つの層があり、その一番下が「下天」なのだとか。その「下天」でさえ、人の世の50年は下天の1日にしか当たらないのだそうです。それほどまでに、人の世の時の移ろいは早く、虚しいものだという意味なのです。
 「人生五十年」という言葉は、当時の寿命がおよそ50年くらいだったから、と誤解されていますが、寿命の話ではないのだそうです。


 次にワークショップです。
 能楽師の上野朝彦さんが「敦盛」のクライマックス部分の謡を観客をリードして稽古してくださいます。そして、その部分を実際に舞って見せます。
 シテの敦盛は、敦盛自身を演じるのはもちろんですが、自分を殺そうとして斬りかかる熊谷直実も演じるんです! のちに出家して蓮生(れんしょう)と名乗っている僧がワキを演じていて、ワキ座にいるのに!
 こんな風に視点が自在に変わるところが能の面白いところでもあり、わかりにくいところでもある、とおっしゃっていました。
 このお話を聞いていなかったら、後で拝見した敦盛の舞は意味不明に終わってしまっただろうと思います。

 続いて、櫨(はぜ)という植物百パーセントの和ろうそくを作り続けている会社の方が和ろうそくについて、説明をされました。
 パラフィン(石油を原料とするもの)を混ぜればいくらでも安く作れるが、炎の安定性、美しさ、安全性、自然への優しさなど、どの点をとっても櫨だけで作った和ろうそくには叶わないとのこと。実際に、2種類の和ろうそくを灯して、その違いを見せてくださり、その差が一目瞭然でわかりました。
 ここでやっと能が始まります。
 長くなってしまいましたので、次の記事に改めます。
 

2018年7月 4日 (水)

ペチュニア

 毎年、プランターにペチュニアを植えるのですが、今年は少し変わったのを選びました(写真はクリックすると拡大します)。

Photo
Photo_2
 上は紫系(写真ではわかりにくいかもしれません)、下はピンク系です。
どちらも花は小ぶり(直径は3cm足らず)で、白い縁取りが特徴です。
 ペチュニアは暑さに強く、真夏も元気に咲き続けてくれる花です。このちょっと変わったペチュニアたちも元気に夏を乗り切ってくれるとうれしいなあ。




« 2018年6月 | トップページ | 2018年8月 »