「俳句あるふぁ」の「予選通過句」に選ばれました
「俳句あるふぁ」は毎日新聞出版が発行する季刊の俳句雑誌です(以前は月刊だったらしいです)。投句用のはがきがついていて、「あるふぁ俳壇」に2句を投稿することができます。夏号を買ったとき、「ものは試し」と、送ってみました。
数日前、発売中の秋号を書店で立ち読みしたら、私の句が「予選通過句」の中に入っていました!
選者が4人いて、投句された全ての句を対象に、選句します。予選通過句というのは、「入選」「佳作」の候補として4人の選者が選んだ句です。
選者ごとに「入選」が10句、「佳作」が30句選ばれます。同じ句を複数の選者が「入選」や「佳作」に選んでいるケースも見られます。
「予選通過句」は都道府県別に並んでいて、3句しかない県があったり、100句以上並んでいる県があったりしています。
私の住んでいる県のところを見ていて、自分の俳名を見つけました。やった! その上に句が載っています。
せいせいと靴陰干しに夏燕 桂
一瞬、「こんな句、詠んだっけ?」と思ってしまいました。忘れるのが早い私にはよくあることです。思い出せば、梅雨で何日も雨が降り続いた後、やっと晴れた日に詠んだ句でした。
「入選」でも「佳作」でもなく、「予選通過句」に入っただけなのですが、俳句歴1年未満で初投稿の私には飛び上がるほどうれしい結果でした。
記事はまだ一部しか読んでいませんが、「『平成』と俳句」という長谷川櫂さん、宮坂静生さん、対馬康子さんによる鼎談が興味深いです。
「戦後の七十年間は本当に稀有な時代で、改めて我々が日本の歴史とつながるような、そういう死生観を持たざるを得ない時代が来たということを感じますね」(宮坂さん)。
「『現代の無常観』と言ってもいいと思うんです。『方丈記』に書いてある通りのことをまざまざと意識してしまう」(長谷川さん)
「『徒然草』などの無常観、中世の無常観みたいなものがね、すごく身近に感じる」(宮坂さん)
「俳句は最短の短詩型であるがゆえに、生と死は紙一重だというような危機的状況を表現できる文学ではないか、という高野ムツオさんの指摘を実感しますね」(宮坂さん)
「そもそも文芸とか俳句とかいうのは、基本的に死生観を表すものですし」(対馬さん)
このようなやり取りに深くうなづいてしまいました。私も似たようなことを思っていて(俳句についてではなく、時代について)、1年ほど前に「方丈記」を読んだとき、ここに書かれていることは現代にそのまま地続きだという感想を持ちました。
俳句でもそうした内容を詠みたいと思うのですが、初心者には難し過ぎると、これまで手をつけてきませんでした。
先日の句会に投句した句、
その朝も常と変はらぬ蝉しぐれ
の「その朝」は、台風一過の朝であり、大きな災害が訪れた日の朝でもあり、広島に原爆が落とされた8月6日の朝でもありました。でも、そこまで伝えるのは難しいです。
それにしても、一番詠みたい句を避けて通っていてはいけないと気づかされた記事でした。
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