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カテゴリー「能・狂言」の記事

2019年4月30日 (火)

「古演出による 葵上」さらにつづき

 休憩の後、公演が始まりました。

 後見が正先に病床に臥す葵上を表す小袖を置きます。ここは通常のバージョンと同じです。次に照日の巫女、続いて朝臣が現れるのが通常ですが、今回はまず朝臣が登場しました。そして名ノリで自分は朱雀院に仕える臣下であること、葵上に物の怪が取り憑いて容態が悪く、貴僧高僧の祈りも一向に効き目がないと語り、照日の巫女を呼び出して葵上に取り憑いている物の怪の正体を明かさせようと思うと告げます。照日の巫女は弓のつるを鳴らして霊を呼び出すことのできる超能力者です。

 朝臣に呼び出された照日の巫女は

「天清浄(しょうじょう)地清浄。内外清浄六根清浄。寄り人は。今ぞ寄り来る長濱の。葦毛の駒に。手綱ゆり懸け」と謡います。

 この間に、後見が破(や)れ車を表す作り物を持ち出し、橋掛かりの一の松あたりに置きます。…だったと思うのですが、どのタイミングだったか、実は記憶があいまいです。もっと前だったかもしれません。大きな作り物なので、シテとツレが舞台へ出てくるのに邪魔にならないだろうかと思ったことを覚えています。

 照日の巫女のことばに応えるように、シテと3人の青女房が登場します。シテは黒地の腰巻、白地縫箔の壺折姿。青女房の装束は唐織です。「青」とは、若いという意味のようです。シテはそのまま作り物の中に入り、青女房は橋掛かりに並びます。一番前にいる人物はリーダー格のようで、装束の色がほかの二人とは違って、白×銀色っぽい色調です。ほかの二人(青女房2と3と呼ぶことにします)の装束は紅が入った色合いです。

 御息所「三つの車に法(のり)の道。火宅の門をや。出でぬらん。」

 青女房「夕顔の。宿の破れ車。遣る方なきこそ。悲しけれ」

 青女房「浮世は牛の小車の。浮世は牛の小車の廻るや報いなるらん」

 御息所「およそ輪廻は車の輪の如く。六趣四生を出でやらず。人間(じんかん)の不定(ふじょう)芭蕉泡沫の世の習ひ。昨日の花は今日の夢と。驚かぬこそ愚かなれ。身の憂きに人の恨みのなほ添ひて。忘れもやらぬ我が思ひ。せめてや暫し慰むと。梓の弓に怨霊の。これまで現れ出でたるなり」

 六条御息所の生霊に取り殺されたもう一人の女性、夕顔の名前や、仏教的な言葉が散りばめられた美しい詞章です。

 このあと橋掛かりから舞台へ進んできたように思うのですが、はっきり覚えていません。

 巫女に何者かと問われて、シテは「これは六条の御息所の怨霊なり」と名乗ります。皇太子妃だった頃の華やかな日々を回顧し、今は衰えて朝顔の日影待つ間の有様だと嘆きます。

 詞章の美しい独白ののち、恨みの心が高まって「今は打たでは叶ひ候まじ」と言う御息所に、リーダー格の青女房は「あら浅ましや。六条の。御息所ほどの御身にて。後妻打(うわなりうち)の御ふるまひ。いかでさる事の候べき。ただ思し召し止り給へ」と押しとどめようとしますが、御息所は聞かず、扇で葵上を打ちます。

 すると、青女房の2と3が「この上はとて立ち寄りて。われらも後にて苦を見する」と、それぞれに葵上を打ちます。さっきは制止していたリーダー格の青女房までが加わり、御息所もまた打ちます。御息所「今の恨みはありし報い」青女房「瞋恚(しんい)の炎は」御息所「身を焦がす」青女房「思ひ知らずや」御息所「思ひ知れ」と、壮絶です。まさに集団暴行です。

 この後、御息所は破れ車に葵上を乗せて連れ去ろうとするのですができず、唐織をさっと頭からかづいて足早に退場します。3人のツレも退場します。ここは、通常はシテは舞台奥、後見のそばに下がり、物着(舞台上での着替え)をするらしいです。

 朝臣が下人を呼び、横川の小聖を招かせます。この人物は山伏の姿をしており、数珠を揉みながら真言を唱えると、般若の面をつけ、白地に鱗文様の摺箔(小袖)、緋色の長袴姿で打ち杖を手にした後シテ(御息所の怨霊)が登場します。小聖と怨霊の対決場面は高速のお囃子と激しい所作で盛り上がる見どころです。

 怨霊はついに調伏され、成仏して去って行きます。

 私としては小聖に怨霊への憐れみがかいま見えるといいなと思ったのですが、そのような気配は全く感じられませんでした。恋にとらわれて怨霊と化すような愚かな女に憐れみなど必要ないと考えているように見えました。

 不思議なのは、成仏した怨霊はどこへ去ったのか? という点です。御息所本人は生きていて、魂が抜け出して来ているのに、その魂が成仏してしまったら御息所はもぬけの殻にならないのでしょうか。

 それはさておき。

 普通に上演されている「葵上」は二度、見たことがあります。今回は「古演出」というところに興味を抱いて見ました。登場人物が多く、破れ車の作り物まで出るので、わかりやすいというのが感想です。世阿弥バージョンは削れるところは全て削って、より詩的な表現に仕上げたのだということもわかりました。

 「葵上」の六条御息所について、「嫉妬に狂って生霊になり、葵上を殺そうとするとは恐ろしい」「業の深い女だ」といった評価がされるようですが、私はそうは思いません。その行動の底に沈んだ深い哀しみに心を揺さぶられてしまうのです。「業が深い」というなら、(「業」という仏教的なことばの深い意味はわからないのですが)光源氏ほど業の深い人物はいないわけで、六条御息所はそんな光源氏の常に自分本位な思考と行動に人生を踏みにじられたのだとしか思えないのです。

 後シテの般若の面にも、恐ろしさより悲哀が感じられます。女に、というより男女を問わず人間に、こんな形相になってしまうほどの悲惨な苦しみや哀しみを味わわせてはいけないのだと思います。

 2年前の秋、大槻裕一さんのシテで「葵上」を見たところ、六条御息所の哀しみがよく表現されていて、この若い能楽師さんに好感を持ちました。今回の舞台ではなぜかそれが感じられませんでした。これも世阿弥改作版と古演出版の違いなのかもしれません。 

 私は六条御息所が好きで、光源氏という人物のことはちっとも好きになれません。「源氏物語」に出てくる女性たちは藤壺も葵上も六条御息所も紫の上も、みんな光源氏の犠牲者だと考えています。

 もっとも、「源氏物語」を原作どころか現代語訳でさえ初めのほうしか読んだことがないので、単純な思い込みにすぎないのかもしれません。

 

 

 

2019年4月29日 (月)

「古演出による 葵上」つづき

 上演に先立って、梅内美華子さんの解説がありました。詳しくて行き届いた解説でした。

 印象に残った部分を記しておきます。

 ・六条御息所はなぜ生霊となったか。光源氏への恋慕、光源氏が自分から離れて行く悲しみ、それゆえの(「車争い」をきっかけにして激しくなった)葵上への恨みや嫉妬の感情。前皇太子妃という格式の高い立場にあることから、そのような感情をあらわにすることははしたないという自制心が働き、感情は出口を塞がれて心の中に積もっていった。それがついには本人の意識を離れ、生霊と化して葵上を襲うに至った。

 ・「源氏物語」の「葵」を典拠としている。古典文学に生霊が登場する作品は少なくないが、生霊の側からの描写が見られる作品は珍しい。

 ・「源氏物語」の葵上は左大臣の娘。左大臣家は藤原家をモデルにしている。六条御息所は天皇家とのつながりが深い人物。葵上と六条御息所の対立、六条御息所の敗退は藤原家と天皇家の政治的葛藤を下地にしている。

 ・世阿弥が属していた大和申楽(さるがく)にはもともと「葵上」という作品はなかった。世阿弥が尊敬していた近江申楽の犬王道阿弥が「葵上」を演じるのを見て、世阿弥は感銘を受け、手直しをして大和申楽に取り入れた。現在、一般に上演されている「葵上」は世阿弥の改作したもの。

 ・元の作品では六条御息所の侍女がツレとして登場していたし、六条御息所が賀茂祭の折の「車争い」で味わった屈辱の象徴である牛車の作り物が出ていた。世阿弥が記した「申楽談義」にそのことが書かれている。

・昭和57年(1982年)、「橋の会」の実験能「葵上」で浅見真州さんがシテを演じた。昭和59年(1984年)、法政大学能楽研究所による試演会で原型が復元された。浅見真州さんはこの時も復元に携わった。いわばパイオニアである。当時から浅見さんは「侍女は3人くらいいたのでは」と考えていたが、試演では能楽師が揃わず実現しなかった。今回はそれが実現した。大槻能楽堂では初演である。

 ・六条御息所(の生霊)は葵上を打ち据える(「枕の段」。前半のクライマックス)。これを「うわなり打ち」といい、中世の民間習俗だった。先妻が後妻の、あるいは正妻が愛人の家に行き、家を打ち壊すなどの危害を加えた。そのような形で感情を発散させたのだと思われる。

・六条御息所は葵上を破れ車に乗せて連れ去ろうとする。この部分は原典(「源氏物語」)にはない。六条御息所の生霊が冥界から来たような、地獄へ連れ去ろうとするようなイメージだ。

 ・地謡が六条御息所の気持ちを語る部分、「人の恨みの深くして。憂き音に泣かせ給ふとも。生きてこの世にましまさば。水暗き澤邊(さわべ)の蛍の影よりも光君とぞ契らん。」は特に有名。和泉式部が夫から疎んじられるようになった時に詠んだ歌「もの思へば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂かとぞみる」を踏まえている。

 次の記事へ続きます。

2019年4月28日 (日)

能「古演出による 葵上」

 昨日、大槻能楽堂で能「葵上」を見ました。「古演出による」という小書が付いています。出演者は次のとおりです。

   前シテ 六条御息所の生霊、後シテ 六条御息所の怨霊  浅見真州(まさくに)

   ツレ  青女房   浅見慈一、竹富康之、大槻裕一

   ワキ  横川小聖  福王茂十郎

   ワキツレ 朝臣   喜多 雅人

   アイ  善竹隆司

   大鼓  辻 芳昭

   小鼓  林吉兵衛

   太鼓  中田弘美

   笛   貞光義明

   後見  齊藤信隆、大槻文藏

   地謡  寺澤拓海、水田雄唔、齊藤信輔、寺澤幸祐

       山本正人、上野雄三、赤松禎友、山本博通

 

 会場で配られた資料から、あらすじを転載します。

 左大臣の娘、光源氏の北の方(正妻)である葵上が物の怪に取り付かれ病に臥せっている。医者にかかっても、加持祈祷をしても一向によくならず、朱雀院(光源氏の異母兄)に仕える朝臣が、梓弓の音で死霊や生霊を呼び寄せる呪能者の照日巫女に命じ、物の怪の正体を占わせた。

 すると六条御息所の生霊が破れ車に乗って現れ、光源氏の愛を失った悲しみと恨みを晴らすようにして葵上を枕元で責めさいなみ、幽界へ連れ去ろうとする。(中入)

 左大臣家は急ぎ下人を使い横川小聖という行者を呼び寄せる。横川小聖が怨霊を追い払おうと祈祷を始めると、鬼の姿になった六条御息所が現れ激しく争う。

 六条御息所はついに法力に祈り伏せられ、ふと我に返って気づいた浅ましい我が姿を恥じ、最後は心を和らげ成仏するのだった。

 上演に先立って、梅内美華子さんの解説がありました。長くなりましたので、次の記事に書くことにします。

    

      

2019年4月 3日 (水)

有斐斎弘道館で謡のお稽古

 去年に引き続き、今年も京都の有斐斎弘道館で謡を習い始めました。月1回、日曜日の夜7時から1時間のクラスです。

 講師は林宗一郎さん。観世流シテ方能楽師の家柄、林家の若きご当主です。舞台で拝見するとほっそりして見えるのですが、間近で接すると引き締まった筋肉がしっかりついていることがわかります。そうでなければ能楽師の仕事は務まらないのでしょう。昨年は「国栖(くず)」の一部を習いました。今年は「三井寺(みいでら)」。世阿弥作の狂女物です。

 なぜわざわざ京都まで習いに行くかというと、私のニーズにぴったりの内容だからです。まず、気楽に学べること。20人ほどの生徒がいっときに教えてもらう形式です。申し込みは1回ごとにすればよく、出欠をとるというようなこともしません。林先生自身が「覚えるに越したことはありませんが、それよりも謡の美しさを味わっていただくことを目的にしています」とおっしゃっていて、「覚えなければ」という切羽詰まった気持ちにならないですむのもありがたい。義太夫を習っていて、毎年、ほんの6〜7分の語りを覚えるのに四苦八苦しているのに、そのうえ謡まで覚えるなんてとてもできそうにないからです。

 謡のさまざまな約束事について知りたい。声を出してうたってみたい。その気持ちは強いものの、「覚えたい」とまでは思っていない私。どこの能楽堂でも、またたいていのカルチャーセンターでも、謡の教室は開かれていますが、どれも覚えることを目標にしていて、私の希望には合わないのです。

 3月のお稽古では、先生がこんな話をされました。

 ・英語などの多くの言語が子音中心にできているのに対して、日本語は母音が中心の言葉です。謡は母音でうたいます。母音を大切にすることを心がけてください。

 ・日頃から、ゆっくり話すようにしましょう。ゆっくり話すようになれば、ものごとをじっくり考えるようになるはずです。今はそのことがひどく軽んじられている気がします。

 ・西洋の音楽ではのどで作った声を上へ上げて頭に響かせます。謡では声をおなかのほうへ下ろします。天に響かせる声と地に響かせる声の違いです。日本人は農耕民族なので、声を地に響かせるようになったのだろうと思います。映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見た後、テレビでクイーンのコンサートの録画を放送していたので見ましたら、フレディ・マーキュリーは声をおなかに落としていました。あちらのボーカリストには珍しい例です。

 奥深いお話が次々と飛び出すので、興味しんしんで聞き入りました。

 

 

 

2019年3月12日 (火)

「春の素謡と仕舞の会」(京都観世会館)

 素謡は能を一曲全部、囃子方抜きで語るもの。仕舞は見どころを地謡付きで(囃子方抜きで)シテが一人で紋付袴姿で舞うものです。
 前は「素謡と仕舞の会」に行こうなんて思いもしなかったのに、大槻能楽堂の素謡「屋島」以来、素謡という上演形式がすっかり気に入り、「もっと聴きたい」と思うようになりました。
 一方、仕舞は以前から見ていたものの、よくわかりませんでした。ところがこちらもこの頃はだんだん楽しめるようになってきたのです。

 プログラムと主な出演者は次のとおりです(地謡のお名前は省きました)。

  素謡 田村  シテ 味方 玄  ワキ 林 宗一郎

  仕舞 白楽天   河村和重
      放下僧 小歌  浅井通昭
      蝉丸     鷲尾世志子
      昭君     浦田保親

  素謡 三山(みつやま)  シテ 青木道喜  ワキ 河村晴道  ツレ 味方 團

  仕舞 難波     橋本忠樹
      屋島     吉田篤史
      采女キリ   橋本 (手偏に廣)三郎
      隅田川     大江又三郎
      鞍馬天狗  河村浩太郎

  素謡 景清 シテ 梅若 実 ワキ 片山九郎右衛門 ツレ 浦部幸裕 トモ 田茂井廣道

  仕舞 邯鄲(かんたん)  松井美樹
      箙(えびら)      大江広祐
      東北クセ       深野新次郎
      船弁慶キリ      梅田嘉宏

  素謡  海士(あま)  シテ 越賀隆之  ツレ 片山伸吾  子方 深野和奏

 まず素謡について。
 「田村」の味方玄さんと林宗一郎さんはどちらも素晴らしい声の持ち主です。曲の性質なのか、やや低めの朗々とした声。聞き惚れました。
 「景清」のシテは梅若実さんです。最初、私はプログラムを読み間違えて、仕舞をなさると思っていて、この前のTTホール公演のあと、あまり日にちがたっていないので「大丈夫?」と気になっていました。
 素謡では声は以前と変わらず(たぶん、ですが)、一安心しました。でも、座るときと立ち上がる時は若い方が介助して、それでもかなり手間取っていましたから、足はやはり良くないようです。

 「海人」は曲そのものがドラマチックな上に、シテの越賀隆之さんの表現力が豊かなので、主人公の女性の苦しみや我が子を思う切ない気持ちがぐいぐいと伝わってきました。子方の深野和奏さんは高くしっかりした声でとても上手なので驚きました。

 仕舞について。
 「蝉丸」の鷲尾世志子さんは小柄な女性でしたが力強く見応えのある舞いぶり。
 「屋島」! この曲、好きだなあと改めて思いました。吉田篤史さんの舞は勇壮でした。
 「采女」がこの日、一番良かったです。橋本さんは金地に白で淡く霞がたなびいているような絵柄の扇を手にして舞います。それが猿沢池の上に浮かぶ月に見えて、ゾクゾクしてしまいました。

 「隅田川」は1月に「翁」を舞った大江又三郎さんです。この曲は悲しすぎるのでずっと敬遠してきたのですが、この仕舞を見てから、ぜひ能で拝見したいと思うようになりました。それくらい情感豊かで美しかったのです。
 「邯鄲」の松井美樹さんはほっそりした女性。初めは体格で損をしているように見えましたが、上手で、所作の一つ一つが決まっており、体格も気にならなくなりました。
 「船弁慶」。この曲も今まで面白さがよくわからず、見たいと思いませんでした。梅田嘉弘さんの舞は知盛の亡霊が目に浮かぶよう。「隅田川」と同様、この曲も改めて全体を見てみたいという気持ちになりました。

 11時に開演し、20分の休憩を二度挟んで、終わったのは4時ごろ。とても楽しい時間を過ごしました。
 「素謡と仕舞の会」って地味な気がするのですが、見所(観客席)は8割方埋まっていました。謡本を手にして鑑賞している人が多かったので、きっと謡を習っている人が多数を占めたのでしょう。自分が師事している先生の舞台を見に来ていたのかもしれません。
 京都では謡を習っている人口がまだかなりいるようです。ただ、ほとんどが高齢者なので、先行きが気になります。


 

2019年3月 5日 (火)

能「翁」「高砂」(クールジャパン大阪TTホール)

 3月1日(金)、クールジャパンパーク大阪のTTホールで開場記念公演の祝賀能が上演されました。演目は能「翁」と舞囃子「高砂」でした。

 このホールは環状線の大阪城公園駅と森ノ宮駅の中間くらいの場所に新しくできたもので、私は初めて行きました。一度に3つのホールができ、その一つらしいです。
 大阪城公園駅から歩いて、その外観を間近に見たとき、失礼ながら「お金をかけていない」「その場しのぎ」「掘っ建て小屋」といった形容が頭に浮かびました。一緒に行った友人は「工場みたい」と評していました。こんなホールで能を舞う能楽師さんたちが気の毒に思えました。


 開演前の舞台はこんな感じです。

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 老松を描いた鏡板が見られないのは寂しいですが、能専門の会場ではないので仕方ありません。座席の座り心地はまあまあです。ただ、能楽堂のような濃密な空気感は感じられず、ここで舞う能楽師さんたちをまた気の毒に思いました。

 演目は二つです。
 まず「翁」。「談山式 日吉之式」という見たことのない小書が付いています。主な出演者は次のとおりでした。

   翁     梅若実玄祥(以下、梅若実さんと記します)
   三番叟  野村萬斎
   千歳    梅若猶義
   面箱    中村修一

   笛     杉 市和
   小鼓 頭取 大倉源次郎
       脇鼓 吉阪一郎
       脇鼓 大倉伶士郎(源次郎さんのお孫さんのようでした)
   大鼓   谷口正壽

 梅若実さんの「翁」が見られる! と、期待しながら舞台を見つめました。すると、驚くようなことが次々と起こりました。
 まず、橋掛りから登場する梅若実さんの足元がおぼつかなく、拝見していて「大丈夫?」と心配になるほど弱々しかったことです。以前は丸々としていたお顔がすっかり痩せて、別人のような風貌です。体格も前よりずっと細く見えました。

 翁は(正確には「翁」を舞う太夫は)正先に座って深々と礼をする…と思っていたのに、梅若実さんは立ったままで礼をしました。その後、笛方のそばに座る…と思ったら、後見が持ち出した葛桶(かづらおけ)に座りました。やはり足が悪いのかな? と想像しました。

 千歳の露払いの後、一番びっくりしたのは「翁」の面をつけないで、直面(ひためん)のままで翁舞をされたことでした。
 翁を演じる太夫は翁の面「白式尉」を着けることで神になり、翁舞を舞うのだと思っていましたから、これにはしんそこ驚いてしまいました。

 しかも、その舞いぶりは足元ばかりでなく上体もふらふらしていて、今までに拝見してきた梅若実さんとは別人のようでした。どんなに高齢の能楽師でも体幹はぴしっと定まっているもので、それができなくなれば舞台に立つのをやめるのではないかと思います。
 三番叟の「揉の段」、面箱とのやりとり、「鈴の段」は今まで見てきた「翁」と同じでした。

 「談山式 日吉之式」という小書が付くと、こんな風に面を着けずに舞うのかもしれません。痩せて老人の陰影のあるお顔になられた梅若実さんは、以前の生命力が溢れるようなお顔よりは翁を直面で舞うのにふさわしかったとは言えます。
 でも、私はやっぱり面を着けて舞う「翁」がいいなあ。直面の翁には神格が感じられません。
 いつも「翁」を見終えた後はお祓いをしていただいたような清々しさを味わうのに、この日はそれが感じられませんでした。残念でしたし、梅若実さんの体調が気になりました。

 一昨年と去年、大槻能楽堂で素晴らしい「翁」を拝見して、そのレベルの「翁」を当たり前のように思っていましたが、どうやらそういうわけではないようです。演者の方々の技量(日頃の修練の賜物です)、その日の心身両面のコンディションやお互いの気持ちがそろってはじめて成立するものなのでした。
 そのことに気づくことができたのは、収穫だったと思います。まさに「一期一会」なのですね。

 続いて舞囃子「高砂」です。主な出演者は次のとおりです。

   舞    片山九郎右衛門

   笛    杉  市和
   小鼓   吉阪一郎
   大鼓   谷口正壽
   太鼓   井上敬介

 舞囃子は、装束を着けずに、地謡とお囃子で見どころの部分を舞います。私はこの曲の謡はおおかた知っているのですが、舞を拝見するのは初めてでした。
 
 こちらは「八段之舞」という小書が付いていました。この小書が付くと、シテが拍子を踏むたびに緩やかな舞と急テンポの舞を切り替えながら繰り返すと下調べで知っていたので、そこに注目して拝見しました。
 シテと囃子方との呼吸が見事に合っていて、心が浮き立ちました。九郎右衛門さんが心身のエネルギーを集中して舞っていることが感じられました。

 その舞いぶりはとても力強いものでした。「高砂」には、もっとゆったりしたイメージを抱いていたので、これも少し予想外でした。
 本来、空間を強力に浄めるはずの「翁」でそれが十分に行われなかったので、その分まで補うために、より力を込めて舞ったのかな、という気がしました。
 九郎右衛門さんの舞を拝見するのはまだ二度目で、来てよかったと思いました。

 今日、能の見巧者である方のブログをのぞいてみたら、この公演の翌日、神戸の湊川神社で梅若実さんの「羽衣」を見た感想が書いてありました。やはり足も体もふらついている状態で、普段の力強さが見られず、囃子方や地謡の方々が息を呑んで梅若実さんの所作を見守っておられたそうです。
 昨年、大病を患って入院されたらしいのですが、その後回復してお元気になられたとネットで読んだのですけれど…。
 1日、2日の公演をなんとかやり遂げられた後、どうなったのか、気がかりです。

 この公演、チケット代がS席11,000円、A席9,000円と高かったので、見るのを諦めていました。ところが思いがけない方から良い席のチケットを無料で譲っていただけたのです。感謝しています。




  

2019年2月28日 (木)

能「烏帽子折」(京都観世会館)

 「烏帽子折(えぼしおり)」のあらすじです。

 京都で貴重な品々を買い込んだ商人の吉次(ワキ)・吉六(ワキツレ)兄弟は東に向かって旅立つ。そこへ一人の少年(子方)が来て、旅の道連れにしてほしいと頼む。この少年、実は鞍馬山を飛び出した牛若で、追われる身だった。

 近江の鏡の宿に着き、一行は宿をとる。追っ手が迫っていることを知った牛若は、稚児姿だったのを元服して髪を切り、烏帽子をつけることで敵の目を欺くことにする。
 牛若は烏帽子屋を訪れ、左折の烏帽子を注文する。左折は源氏独特のもの。烏帽子屋の主人(前シテ)は平家全盛の世なのに、と訝りつつも注文どおりに仕上げる。

 烏帽子を受け取った牛若は礼にと、刀を差し出す。その刀があまりにも立派なので、主人は妻を呼んで見せる。すると妻は涙を流す。
 この妻は実は源義朝の家来の妹で、その昔、幼い牛若にこの刀を持たせた当人だった。主人は刀を牛若に返す。牛若は夫婦と別れを惜しみながら、吉次たちと旅を続ける。


 赤坂宿に着く。この辺りは悪い盗賊集団が幅を利かせている。宿をとったものの、宿の主人から今夜にも夜襲がありそうだという情報が入り、吉次と吉六は出立しようとする。牛若は二人を制止して、自分が盗賊たちの相手をすると話す。

 夜更け、まず手下の3人組(狂言方)がやって来て、松明を手に押し入るが、牛若に松明を払い落され、命からがら逃げ出す。
 盗賊の本隊7人と、首領の熊坂長範(後シテ)が来襲し、牛若と斬り合って次々と倒される。最後に熊坂長範が牛若に向かうが結局、切り倒される。

・・・・・・・・・・・・・・・以上です・・・・・・・・・・・・・・

 登場人物が多いので、舞台の上がとてもにぎやかです。とりわけ後半、盗賊来襲の場面が盛り上がります。先発隊の3人は初めからこわごわで、押し入ってからの振る舞いや牛若にあっさり負けてしまう様子が滑稽で笑えます。

 本隊はさすがに屈強そうな男たち。熊坂長範をしんがりに8人が橋掛りにずらりと並ぶのが壮観です。
 一人ずつ牛若と斬り組みを見せ、ある人は立っている姿勢から床に仰向けに上半身全体を打ち付けるようにしてどん! と倒れます(「仏倒れ」というらしい)。別の人は飛び込むようにして前転し、去っていきます。どちらも、牛若に打ち負かされたことを表す動きです。

 熊坂長範は装束も大きくて、怪物のように見えました。牛若との斬り組みは迫力満点です。最後には橋掛かりの三の松あたりで仏倒れを見せた後、揚幕の向こうへ飛び込みながら前転して去ります。

 登場人物が多いだけに(囃子方、地謡も含めると総勢32人もいたらしいです)、全員の気持ちが一つにまとまらなければとても見ていられない結果になるのだろうと思います。この日はそこがうまく行っていたようで、緊張感と迫力の溢れる舞台でした。見ていてワクワクしました。

 シテは大江信行さん。1月に「翁」を舞われた大江又三郎さんの子息です。
 牛若を演じた子方さんは又三郎さんのお孫さんの大江信之助さん。たぶん信行さんの子息なのでしょう。小学校6年生か中学校1年生くらいの年恰好に見えました。
 信之助さんは、声は物足りないのですが、斬り組みがとても上手でした。一つ一つの姿勢や動きが決まっていてりりしいのです。

 ほかのお客さんが話していたところによると、この役には子方の卒業試験的な意味合いがあるのだとか。信之助さんは見事に合格したようです。

 この日、京都観世会館は補助席が出ている上に2階席まで満席でした。味方玄さんの人気かなあと思っていましたが、途中で帰る人がほとんどいなかったので、「烏帽子折」という曲の人気もあったのでしょう。
 能=幽玄、難しいというイメージを覆す、とても楽しい演目でした。
 

2019年2月26日 (火)

能「弱法師」(普通バージョン、京都観世会館)

 土曜に続いて日曜も観能でした。京都観世会二月例会。プログラムは、

   能   弱法師
    狂言  二九十八
   能   源氏供養
     仕舞   白楽天
           笹之段
           須磨源氏
   能   烏帽子折

でした。

 「弱法師」は先日の大槻能楽堂での公演とは異なり、普通バージョンです(「普通バージョン」というのは私が勝手につけた呼び方で、実際にはこんな言い方はしないだろうと思います)。
 二通りの「弱法師」を見ようと思ってこの公演のチケットを申し込んだのかというと、そういうわけではなかったのです。ただ単純に、大槻文藏さんの舞台が見たい、味方玄(しずか)さんの舞台が見たいという動機で両方のチケットを手に入れて、後になって「あ、どちらも弱法師だ!」と気づいたというわけです。間が抜けていますよね。

 というわけで味方玄さんの「弱法師」(普通バージョン)なのですが、途中で眠くなってしまい、半分くらいしか見ていません。
 「世阿弥自筆本」との違いで気づいたことは、まず、登場人物が少ないことでした。世阿弥自筆本では父親の通俊はアイで、もう一人、しもべ役のアイがいます。ワキは四天王寺の住僧で、同じく住僧のワキツレが二人います。シテにも妻のシテツレがいるので、舞台の上はかなりにぎやかでした。

 今回は、シテ=俊徳丸、ワキ=高安通俊、アイ=通俊の下人と、いたってシンプルでした。舞台上にたくさん人がいることで彼岸中日の四天王寺のにぎわいが想像できたのですが、今回はシテツレさえおらず、俊徳丸の孤独が際立って見えました。
 シテの装束は地味ではありましたが明るい色合いで、若さを表現しているように思いました。
 問題の、シテがしたたかに転ぶ場面、文蔵さんは笛方の少し前あたりで転んでいたように思うのですが、玄さんは舞台のほぼ中央でした。

 改めて不思議に思ったのは、通俊が人目をはばかり、夜遅くなってから自分が父親であることを俊徳丸に名乗ることにして、それまでの間、俊徳丸の哀れな姿を傍観していることです。世間体を気にせず、もっと早く名乗って、高安へ連れて帰ってやれば、俊徳丸は群衆に揉まれて転倒して絶望するようなこともなかったのに、と思うのです。
 こんな父親に家へ連れて帰ってもらって、俊徳丸は本当に幸せになったのかどうか、不安の残る結末でした。

 シテ以外の主な出演者を記しておきます。

  ワキ   小林  努
  アイ    茂山逸平

  大鼓   河村総一郎
  小鼓   曽和鼓堂
  笛     杉  市和

  地頭   武田邦弘

 次の「源氏供養」はほとんど眠ってしまい、後シテの装束が美しかったことしか覚えていません。
 仕舞は、

  白楽天     牧野和夫
  笹之段     浦部幸裕
  須磨源氏  武田邦弘

という顔ぶれ。どの方も私は存じ上げないのですが、「笹之段」(「百万」の一部)の浦部幸裕さんの仕舞がとても密度が高く、キレの良い舞いぶりで感嘆しました。

 おしまいは「烏帽子折」。これがとても面白くて楽しめたのですが、長くなりましたので、稿を改めます。



 

2019年2月25日 (月)

能「屋島」(大槻能楽堂)

 土曜日に大槻能楽堂で「屋島」を見ました。「大槻能楽堂自主公演能」という定例の公演で、去年の早い時期から告知されていました。
 私は大槻能楽堂の友の会に入っているので、早めにチケットを取ることもできたのですが、ごく最近までこの「屋島」という曲にちっとも興味が持てずにいたのです。

 ところが先だって、素謡で「屋島」を聴いて、いっぺんにこの曲が好きになりました。それから慌ててチケットを取ったので、脇正面の後ろの方の席しか残っていませんでした。それでも十分楽しめましたけれども。

 主な出演者は次のとおりです。

    前シテ 漁翁、後シテ 義経   観世清和
    ツレ     漁夫  大槻裕一

    ワキ       旅僧  福王茂十郎
    ワキツレ 旅僧  喜多雅人
    ワキツレ 旅僧  中村宣成

    アイ 屋島の浦人 茂山千三郎

    大鼓     山本哲也
    小鼓    大倉源次郎
    笛      竹市 学

    地頭    大槻文藏

 今回、小書が「大事」「那須之語」と二つ付いていました。「那須之語」はアイが、那須与一が扇の的を射るエピソードを話すというものです。

 「大事」は、当日配られた資料によると、

 観世流で小書「弓流(ゆみながし)」に「素働(しらはたらき)」を加えると、小書名が「大事」になる。

 とのことです。そして、

 「素働」が加わると、(後シテが)抜キ足・流レ足などの所作で、波に揺られてなかなか弓を拾うことができない様子も演じる。(中略)後シテは地謡のうちに幕に入る。

 と書かれていました。
 「抜キ足・流レ足」って、どんな風にするんだろう? 興味しんしんでこの場面を待ち望みました。
 すると、武者姿の清和さんが、なんと爪先立ちになって、舞台の正面から奥へ、脇正面の方を向いて弧を描くように、つつつ…と移動するのです。まるでバレエのよう。こんな動きを見たのは初めてで、驚いてしまいました。これが「抜キ足」なのか、「流レ足」なのかはよくわかりません。
 能には思いがけず斬新な振り付けがあるんですね。

 「弓流し」の様子を再現する場面やその後の修羅道でシテが戦う様子は勇ましいのですが、後ろ姿に哀しみが張り付いて見えました。
 小柄な清和さんは義経を演じるのにぴったりなわけですが、そういうことではなくて、小柄に見えるように演じているのだと感じられました。
 「羽衣」で天人を舞ったときの清和さんは大きく見えていたからです。

 素謡で私が最も感動した最後の部分は、シテが明け行く海を眺めて呆然としたような表情をするのだろうと想像していました。ところが、橋掛かりの一の松あたりで一瞬、海の彼方を見るような様子を見せはしたものの、すぐに平静にもどり、戦闘態勢のまま、揚げ幕に向かって一目散! これにも驚いてしまいました。

 敵と見えていたのは群れいるかもめ、ときの声と聞こえていたのは浦風だったと気づいたとき、修羅の世界で戦い続けている義経は、急いで闇の世界へ引き返していくというわけなのです。その姿そのものが浅ましく、はかなくて哀しいのでした。

 後には朝の光がこの世界を照らし、打ち寄せる波の音や風の声が響くばかり。命を惜しまず名誉を重んじたという出来事さえも、大きな景の中に雲散霧消してしまいます。
 哀しく空しいのに、どこか満たされて幸せなような、不思議な感覚を味わいました。
 この日は満席でした。

 
  
    

2019年2月15日 (金)

俊徳丸伝説

 「弱法師」に出てくる「俊徳丸」という人物は古い説話の主人公です。ウィキペディアには、

 河内国高安の長者の息子で、継母の呪いによって失明し落魄するが、恋仲にあった娘・乙姫の助けで四天王寺の観音に祈願することによって病が癒える。
 この題材をもとに謡曲の「弱法師」、説経節「しんとく丸」、人形浄瑠璃や歌舞伎の「摂州合邦辻」などが生まれた。

 と記されています。

 「弱法師」(世阿弥自筆本)では、終わりのほうで通俊がシテに名前を尋ね、シテが「俊徳丸」と答えます。ここで私は「ああ、この曲は俊徳丸の話だったんだ」と思いました。そして、ここまで俊徳丸の名前を伏せていたところに作者の意図を感じました。
 でも、昔の観客は冒頭、通俊が「子どもがいたが、ある人の讒言で追放した」と語るくだりで「俊徳丸の話だ」と気づいたのかもしれません。

 蜷川幸雄が演出した藤原竜也のデビュー作「身毒丸」は、寺山修司が岸田理生とともに俊徳丸伝説をもとにして脚本を書いたものです。寺山が主宰する「天井桟敷」で上演されていました。
 95年に蜷川幸雄がこの作品を初演出。このとき主人公を演じたのは武田真治で、共演は白石加代子でした。
 2年後にオーディションが行われ、演劇経験のない藤原竜也が抜擢されました(白石加代子は続投)。この舞台がロンドン公演(当時、藤原竜也は15歳)で絶賛され、98年に日本でも上演されたのでした。
 
 人形浄瑠璃と歌舞伎の「摂州合邦辻」の主人公は俊徳丸の継母、玉手御前です。若くて美貌のこの女性は継子の俊徳丸に恋をした上に、許嫁から奪うために毒を飲ませて失明させ、らい病(ハンセン病)にします。
 玉手御前が俊徳丸を陥れた本当の理由は別にありました。衝撃の真相がクライマックスで明かされます。俊徳丸伝説からよくこんなストーリーを創り出したものだと感心してしまいます。
 玉手御前は、文楽でも歌舞伎でも、ほかの作品には見られない強固な意思と行動力の持ち主で、とても魅力的です。


 大阪府の八尾市には今も高安という地域が見られ、隣の東大阪市には俊徳町という町名が残っています。近鉄電車には高安、俊徳道という名前の駅があります。
 関西に住んでいると、古典の作品の中で知っている地名と出会うことが多いのがうれしいです。




 

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