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カテゴリー「能・狂言」の記事

2018年7月 9日 (月)

「敦盛」そのまた続き

 ワキの熊谷次郎直実(源氏方)が出家して僧になったのは、わずか16歳の敦盛を殺してしまったという悔いが引き金になっています。その背景には、敦盛と同い年の息子をこの戦いで失った悲しみが潜んでいるのです。

 戦争ですから、直実はたくさんの平家方の武士を殺したのでしょう。そのことがまず気持ちの中に沈殿していて、そこへ、自分の可愛い息子が戦死した。そして次にはその息子と同い年の敦盛を殺す羽目になるのです。

 これはおそらく平家物語の記述だろうと思うのですが(確かめていなくてごめんなさい)、直実は相手がまだ少年だと気づいた時、殺すのをためらうのです。敦盛が自ら名乗るのを聞けば、死んだ息子と同い年! 
 なんとか落ちのびさせようとするのですが、味方の軍勢が押し寄せてきていて、どうしてもそれができません。

 心ない者の手にかかるよりは、と決心して、ついに敦盛を斬り殺すのです。
 こんないきさつがあって、その後、直実はとうとう武士の身分を捨て、何もかも捨てて出家します。

 歌舞伎の「熊谷陣屋」はもっと劇的です。直実が殺したのは実は自分の息子で、敦盛の命は助けた、というストーリーになっているのです。つまり、敦盛の命を助けるために彼の身代わりとして我が子を自ら手にかけたのです。そうするように命じたのは義経です。

 このお芝居の終盤、花道の七三で僧形の直実が剃った頭をつるりと撫でながら、
  「十六年はひと昔。夢だ、夢だ」
と語るセリフにはいつも泣かされます。当代の吉右衛門丈の当たり役です。
 歌舞伎の作者の想像力(創造力)には凄まじいものがありますね。

和ろうそく能「敦盛」を見ました 続き

 能「敦盛」は全部を上演すると1時間半ほどかかる曲です。ここでは時間の制限があるので、半能、つまり後シテの部分だけが上演されました(その中でも、省略された部分があったかもしれません)。


 西宮能楽堂では半能の形での上演が多いです。ここで解説付きで半能を観てとっかかりをつかみ、いずれほかの機会に全部を観ればより深く味わうことができる、ということだろうと私は理解しています。

 和ろうそくが灯され、照明は消されました。普段は経験することのないような暗さです。囃子方と地謡が登場すると、衣擦れの音でしょうか、着物や袴がすれ合うサラサラという音が大きく聞こえます。普段の能舞台ではほとんど意識しない音です。

 ワキが登場します。先にも書きましたように、敦盛を討った熊谷直実が出家して蓮生と名乗った姿です。
 名乗りの後、ワキ座へ進むとき、足袋が床をする音が響きました。脇座でターンして舞台中心に向いて座るときには足元に強い圧力がかかるのでしょう、キュッキュッという音が大きく聞こえて、少々驚きました。視覚を制限されると、途端に、聴覚が鋭くなるようです。

 後シテの敦盛が登場します。貴族の若者の出で立ち。豪華な装束です。演じるのは梅若基徳さん。この方は体が大きいので、16歳の少年にはちょっと不向きだなあと感じてしまいました。

 いつもの上演では向かって右の壁にプロジェクターで謡の詞章が表示されるのですが、この日はさすがにそれはありませんでした。そこまで予想しておらず、詞章の下調べをしてこなかったのを少し悔いました。
 でも、敦盛と熊谷直実をめぐる話は大幅に脚色されて歌舞伎の「熊谷陣屋」でたびたび見ています。聞き取れる言葉を拾って、なんとか理解しようと努めました。

 ところが、お囃子の威勢が良すぎて、シテの謡も地謡も十分聞き取れない部分が多かったです。ここはもう少し音量のバランスを考えて欲しいものです。

 蓮生は敦盛の供養のために須磨を訪れます。その夜、蓮生の前に敦盛の霊が現れ、生前の復讐をしようとします。蓮生は念仏の功徳の前に因縁など存在しないと告げ、敦盛は懺悔として生前の様子を物語ります。
 やがて再び妄執の心を起こした敦盛は蓮生に斬りかかりますが、一心に弔う蓮生の姿を見て回心し、「あと弔うてたべ」と告げて消えていきます(当日配られたパンフレットより。一部書き換えています)。

 そうでなくても面をつけると視界は極端に狭くなるのに、和ろうそくのほのかな灯りだけで舞うとは、すごいことです。しかもかなりテンポの速い舞なのです。
 敦盛から伝わってくるのは憎しみや悲しみといった生の人間の感情ではなく、生者とも死者とも分かち難いものの存在感でした。
 戦さなどするよりも、大好きな笛を吹いていたかった16歳の少年。彼がまとっている空気が風のように感じられ
ました。

 殺した側の人間が、殺された人間の亡霊の恨みを鎮め、弔う。なんという発想の大転換でしょう。
 世阿弥の作です。現代人に十分通じる作品だと思います。

 次回は8月4日(土)。引き続き「和ろうそく能」で、半能「夕顔」が上演されます。

和ろうそく能「敦盛」を見ました

Photo_2

 土曜の夜、西宮能楽堂で能「敦盛」を見ました。正確に記しますと、「和ろうそく能」〜陰翳礼讃十六歳の最期〜半能『敦盛』」です。

 会場に入ると、舞台を囲むようにして5カ所に、燭台に据えた和ろうそくが準備されていました。火はまだ灯されておらず、蛍光灯の照明です。
 通常、この能楽堂での開演は昼間の2時なのですが、今回と次回は夜の7時なのです。
 プログラムはまず、梅若基徳さんによる解説から始まりました。ちょうど七夕の日でしたので、七夕の風習についてのお話から始まり、能で源氏と平家を演じる時の扇の違い、装束の違い、面の違いについて語られました。

 さらに、信長が好んだことで有名な
「人生五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」
という詞章について。
 能「敦盛」の謡の一部だと思っている人が多いのですが、実は当時流行していた幸若(こうわか)舞の「敦盛」なのだそうです。
 しかも「人生」ではなく、「人間(じんかん)」。
 天界には六つの層があり、その一番下が「下天」なのだとか。その「下天」でさえ、人の世の50年は下天の1日にしか当たらないのだそうです。それほどまでに、人の世の時の移ろいは早く、虚しいものだという意味なのです。
 「人生五十年」という言葉は、当時の寿命がおよそ50年くらいだったから、と誤解されていますが、寿命の話ではないのだそうです。


 次にワークショップです。
 能楽師の上野朝彦さんが「敦盛」のクライマックス部分の謡を観客をリードして稽古してくださいます。そして、その部分を実際に舞って見せます。
 シテの敦盛は、敦盛自身を演じるのはもちろんですが、自分を殺そうとして斬りかかる熊谷直実も演じるんです! のちに出家して蓮生(れんしょう)と名乗っている僧がワキを演じていて、ワキ座にいるのに!
 こんな風に視点が自在に変わるところが能の面白いところでもあり、わかりにくいところでもある、とおっしゃっていました。
 このお話を聞いていなかったら、後で拝見した敦盛の舞は意味不明に終わってしまっただろうと思います。

 続いて、櫨(はぜ)という植物百パーセントの和ろうそくを作り続けている会社の方が和ろうそくについて、説明をされました。
 パラフィン(石油を原料とするもの)を混ぜればいくらでも安く作れるが、炎の安定性、美しさ、安全性、自然への優しさなど、どの点をとっても櫨だけで作った和ろうそくには叶わないとのこと。実際に、2種類の和ろうそくを灯して、その違いを見せてくださり、その差が一目瞭然でわかりました。
 ここでやっと能が始まります。
 長くなってしまいましたので、次の記事に改めます。
 

2018年6月30日 (土)

能「融(とおる)」を見ました

 先週、京都観世会館で京都観世会六月例会を見ました。プログラムは能「小督(こごう)」、狂言「文山賊」、能「杜若 恋之舞」と盛りだくさん。私が見たかったのは締めくくりの能「融」でした。「白式舞働之伝」という小書が付いていましたが、その部分はよく見ていません。


 以下、チラシのあらすじを転載します(適宜、改行しています)。

  東国の僧が都に上って、六条河原院の跡に着いて休んでいると、田子(注:たご。竿の両はしに小ぶりの桶を吊るしたようなもの)を担った老人がやってくる。
 この辺りの人かと尋ねると、この所の汐汲みだと答える。僧が海辺でもない土地で汐を汲むとはおかしいと言うと、ここは昔、源融公が広大な屋敷を造り、庭内に陸奥の塩釜の景観を移したところであると答える。
 老人は僧の問うままに、融が日毎に難波の浦から塩水を運ばせ、ここで塩を焼かせるという豪奢な風流を楽しんだが相続をする人もなく荒れ果ててしまったことを物語る。
 そして遠江の名所を教え、やがて汀に立ち寄って汐を汲むかと思うと、姿は消え失せる。
  中入

 その夜、僧がそこで仮寝をしていると融公が貴人の姿で現れ、昔を偲んで舞を舞い、夜明けとともに月の都へと帰ってゆく。

・・・・・・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・・・・

 前シテは青灰色の面をつけた老人です。見るからに亡霊のように見えました。
 と、ここでストンと眠りに落ちてしまい、はっと気がつくと後シテが登場していました。
 上下とも純白の装束です。よほど上質の絹なのでしょう、柔らかい光沢を放って実に美しい。面は、なんという名前のものかわかりませんでしたが(こういうところ、大月能楽堂なら入り口で配る資料にちゃんと書いておいてくれます)、表情豊かで魅力的でした。

 栄華を誇った昔を偲ぶというのだから、哀愁の漂うゆるやかな舞かと思っていたのに大違い。若さを表現するような颯爽とした舞です。そのかっこよさと言ったら! 舞台狭しとおおらかでスピード感のある舞を見せ、その勢いのまま、去って行きます。驚きでした。

 あとで「能楽ハンドブック」を読むと、「月を中心に構成された作品で、融の大臣には、仲秋の名月の夜に現れた月の精の面影がある。ワキが僧でありながら読経一つしないのも、ここに理由があるのかもしれない」と記されていました。

 作者は世阿弥。シテは観世銕之丞が演じました。囃子方の中では大鼓の河村大と笛の杉市和が良かったです。

 京都観世会館は、冬は暖房が弱くて寒く、夏は冷房が効きすぎて寒いです。閉館になった大阪能楽会館のような古い建物ならまだしも、比較的新しい建築なのに、観客に優しくないのはなぜでしょう。
 私はマフラーを首に巻き、ショールを膝に乗せ、その上、カイロを両方の太ももの上に貼って鑑賞しました。この防備体制が気持ちよくて眠ってしまったのかもしれないです。

 

2018年5月 7日 (月)

西宮能楽堂で半能「田村」

 子どもの日に初めて西宮能楽堂に行きました。昨年12月に完成したばかりの施設です。
 清々しい白木の造り。

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 向かって右側の壁に文字がプロジェクターで映し出されています。上演中はここに謡の詞章が表示されました。
 「能楽堂にも文楽劇場のような詞章を表示する電光掲示板があればいいのに」と前から思っていましたが、従来の能楽堂には似つかわしくないなあという気持ちもありました。ここではそれが違和感なく実現していました!
 
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 外光を取り入れているので、今までの能楽堂のイメージを一新するほど、内部は明るいです。
 客席は80ほど。満席でした。

 この能楽堂では能を初心者にもわかりやすく楽しんでもらうことを第一の目標にしているようです。プログラムにもその意図が現れています。

  解説      梅若基徳

  囃子ワークショップ「指揮者がいない日本の楽器」

  「田村」 謡のワークショップ     梅若基徳

  マンガ紙芝居              絵・渡辺睦子

 梅若さん(この方が中心になってこの能楽堂を運営しているようです)は、「端午」の意味、尚武と菖蒲の結びつき、なぜ男の子の節句になったのか、なぜ柏餅を食べたり鯉のぼりを上げたりするのかなど、わかりやすくお話をされました。
 柏餅、柏手など、なぜ柏が珍重されるのかというと、新芽が出るまで古い葉が落ちないからだそうです。家が衰えない、親子のつながりが続いていくめでたいものとされたようです。

 また、坂上田村麻呂は渡来人、つまり朝鮮半島から渡ってきた人なのだそうです。大陸の文化を積極的に取り入れ(それを消化して日本独自の文化を築き上げるのですが)、外国人を招き入れて手厚くもてなし、適材適所に配置して能力を発揮してもらっていたのです。
 能楽のそもそものルーツとされる秦河勝も渡来人でした。

 お囃子のワークショップは、笛、小鼓、大鼓の奏者の方々(若い人ばかりでした)がそれぞれ、楽器の特徴を説明しました。
 笛は唯一の旋律楽器ですが強く吹くことが求められるので、打楽器的な演奏です、という説明が印象的でした。
 ちなみに、同じ音が鳴る笛というものは二つとないのだそうです。

 3つの楽器の中では大鼓が主導しているのだそうです。
 中国の陰陽思想が反映していて、小鼓は陰、大鼓は陽だというのも初めて聞いた話でした。小鼓は馬のお腹の柔らかい皮を使い、大鼓は背中やお尻の硬い皮を用いるのだそうです。

 用い方が真逆(小鼓は乾燥を嫌い、常に湿気を与えて、紐を締めたり緩めたりして音程を変えて打ちます。大鼓は湿気を嫌い、炭火で乾燥させて、紐を強く締め上げた状態で打ちます)なので、小鼓の皮は100年以上保ちますが、大鼓は半年くらいで破れてくるとのことでした。

 謡のワークショップでは、梅若基徳さんがリードして、「田村」のサビというのでしょうか、一番華々しい部分をお客さん全員で謡いました。その後、梅若さんは舞台でその部分を舞い、舞の動作を説明しました。
 シテは田村麻呂を演じるだけではなく、敵方の動きも演じるんですね! 説明を聞きながら舞を拝見すると、とてもわかりやすくて興味深かったです。
 マンガ紙芝居は現代的な感覚の絵でユーモラスにストーリーを解説していました。


 この後、半能「田村」が上演されました。

 「田村」とは、先にも書いた坂上田村麻呂のこと。東国の僧が清水寺で桜を楽しみ、創建の縁起物語を聞きます。夜、桜の木陰で経を読んでいると武将姿の田村麻呂の霊が現れます。
 鈴鹿山の賊を討伐するため軍を進めたが、数の上で敵方ははるかに優っていました。そのとき千手観世音が出現し、千の手に弓をつがえて矢を射たので、敵をことごとく滅ぼすことができました。

 「屋島」「箙(えびら)」とともに「勝修羅」と分類される作品で、いわゆる「修羅能」とは全く異なった明るくて陽の気に満ちた曲です。

 演者は次の通りです。
  坂上田村麻呂  梅若雄一郎(基徳さんの子息)
  旅僧        福王知登

  大鼓        山本寿弥
  小鼓        上田敦史
  笛          貞光智宣

  後見        梅若基徳
             梅若猶義

  地謡        笠田祐樹、上田大介、今村哲朗

 
 ほとんどが若い方ばかり。シテの出のとき、何か中心が定まりきっていないような、形にわずかな乱れがあるような印象を受けました。舞も、ときどき形が決まっていないように感じられるところがありました。
 でも、それ以外は素晴らしかったです。どの演者からも若い人ならではの力強くて堂々として明るい気が伝わってきて、見ていてもスカッとした良い気分になれました。

 この能楽堂では来年3月まで、月に一度の催しが決まっています。この日の体験ですっかり気に入り、自由席なら3000円と、チケットも安いので、しばらく通ってみるつもりです。

2018年4月 9日 (月)

能「雲林院」を見ました 続き

 チラシに書かれていたあらすじを以下に転載します(表記は読みやすく変えています)。

 『伊勢物語』の愛読者・蘆屋公光(きんみつ)は、ある夜見た夢に導かれて、都・紫野の雲林院を訪れます。折しも花の盛り。心惹かれて一枝を手折る公光。すると老翁が現れ、それをとがめます。
 古歌を引いて問答した末、公光に『伊勢物語』の秘事伝授を約束し、花の蔭に寝て待つように言うと老翁は夕霞の中へと消えて行きました。

 その夜、木蔭に伏して月を眺める公光の前に現れたのは、貴人姿の在原業平。『伊勢物語』第六段の内容を語り始め、おぼろ夜に降る春雨の中を逃れた追憶のうちに夜遊(やゆう)の舞楽を舞ってみせます。
 やがて夜明けとなり、夜もすがら『伊勢物語』が語られた公光の夢は覚めるのでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・・・・・・・・

 私は前半のほとんどを気持ち良く眠ってしまいました。残念。後半はしっかり見ました。
 後シテは高貴な身分の貴族の装束です。「月やあらぬ 春や昔の春ならぬ 我が身ひとつは もとの身にして」という一声から始まり、高子との逃避行の経緯や様子を語ります。桜散らしの雨が降る夜、芥川を渡り、迷いながら落ちていったこと。謡の詞章は案外短く、シテはゆったりと美しく舞い続けます。
 この季節にぴったりの夜桜、雨、川面に浮かぶ花筏が想像の世界に広がります。シテの装束に織り込まれている桜が、雨に散って衣服に張り付いたもののように見えました。

 味方玄がシテを演じる舞台を見ていつも感じるのは、この人の体を包む濃密な空気感です。まるでそこだけが別世界のように見えます。
 そこから発散されてくるもの(気、でしょうか)が極めて強いので、舞の意味がわかってもわからなくても、ただひたすらじっとシテの姿を見つめ続けてしまいます。

 シテが退場した時はホッと息をつきました。それまでは息を詰めるようにして、見入っていたのです。
 この曲は滅多に上演されない珍しい作品で、味方玄自身も初演だそうです。良いものを見させていただきました。

 この日、大津市伝統芸能会館は駅前からタクシーに乗らなくても徒歩10分ほどの距離だということがわかりました。タクシーだと740円ほどかかるのですが、車の通れない細い道があり、そこを通っていくと近道なのです。

 9月にはこの能楽堂で味方玄の「井筒」を見る予定。今から楽しみです。

能「雲林院」を見ました

 一日に能「雲林院」を見ました。会場は大津市伝統芸能会館です。
 主な出演者は次の通りです。

  シテ 尉(じょう)・在原業平  味方 玄(しずか)
  ワキ 蘆屋公光(あしや きんみつ)  原   大
  ワキツレ 従者  原   陸

  大鼓  河村  大
  小鼓  久田舜一郎
  太鼓  井上敬介
  笛    森田保美

  アイ狂言  茂山忠三郎


 開演に先立って、歌人の林和清さんのお話がありました。テーマは「雲林院とはいかなる場所か」。藤原氏独裁政権下における政治的な敗北者や弱者たちの集まる「わび人の歌会」が行われた場所なのだそうです。紫式部もこの近くで生まれており、ゆかりが深いとのこと。

 いわゆる「色好み」の男たちは、決して手を出してはいけない女性に恋をして
しまう。例えば光源氏の藤壺との恋。藤壺は父帝の妻であり、義理の母親でもあるのです。二重のタブーに遮られた女性に恋い焦がれ、少なくとも2回は思いを遂げている、と林さんは話されました。


 こんなとんでもないスキャンダラスな物語が上流階級の人々の間で大人気を呼び、次々と書き写され、読者を広げていったというのはすごいことですね。最近のマスコミの「不倫バッシング」に比べて、なんとおおらかなんでしょう。ほとんど呆れるばかりです。

 もう一人の「色好み」、在原業平が恋したのは次の帝の后になることが決まっていた藤原高子(たかいこ)です。人目に触れぬよう隠されていたのを業平は見つけ出し、おぶって、高槻の芥川まで逃げます。深窓の令嬢である高子はきっと、ろくに歩いたこともないほど、体力のない人だったのでしょう。

 荒れた蔵で夜明かしをした時、高子は蔵に潜んでいた鬼に食べられてしまいます。これは、異変に気付いた兄たちが二人を追いかけ、高子を奪い返したという意味だそうです。
 「女性の自由な幸せを奪い政治の道具にする藤原氏こそが鬼なのだと、告発しているかのようにも読むことができる」と、林さんのレジュメに書かれていました。
 光源氏は架空の人物ですが、在原業平は実在の人で、高子との逃避行は史実です。

 高子を失ったのち、業平は有名な「東下り」をします。都落ちですね。
 後年、清和天皇の妃になった高子は陽成天皇を生み、強大な権力を手に入れると業平とよりを戻します。数年の恋愛関係ののち、業平は亡くなります。その後、高子は寺院の若い僧侶とスキャンダルを起こし、皇后の座を追われます。
 業平との別れによって、精神のバランスを崩したのかもしれません。

 前置きが長くなってしまいました。あらすじと感想は稿を改めます。
 
  

2018年3月 8日 (木)

笛の杉市和さんが芸術選奨文部大臣賞を受賞

 朝刊に、今年の芸術選奨の受賞者が発表されていました。その中に、「杉市和(能楽師)」というお名前を見つけ、朝からうれしくてたまりません。

 杉市和さんは囃子方で笛を担当されています。この方の吹き鳴らす笛の音は、心の奥底にまで響いてくるのです。魂に触れる、とでも言えばいいのかもしれません。どうかすると涙ぐんでしまうような、不思議な音色です。

 私は笛の技術的なことなどは少しもわからないのですが、初めて聴いたときから杉さんの笛のとりこになりました。
 昨年12月21日に書いた記事「能『江口』続き」でも触れています。

 芸術選奨は幾つかのジャンルに分けて、「文部大臣賞」と「新人賞」の受賞者が選ばれます。杉さんは演劇部門の大臣賞でした。

 ほかに、映画部門の新人賞に菅田将暉くん。選ばれた理由は「あ丶荒野」ほかの演技。放送部門では脚本家の坂元裕二さんが大臣賞。「カルテット」の脚本が受賞の理由。同じく放送部門の新人賞はドラマディレクターの加藤拓さん。「眩(くらら)〜北斎の娘」が受賞理由に挙げられていました。

 この次、杉さんの笛を聴けるのはいつかなあ。楽しみです。

2018年2月24日 (土)

「宗一郎 能あそび」

 京都の有斐斎弘道館で「宗一郎 能あそび」というイベントに参加してきました。林宗一郎さんは観世流の能楽師で、39歳の実力派。この方がツレを務めて観世清和さんと舞った「松風」の美しさが脳裏から消えません。

 「宗一郎 能あそび」は五年前から始まったシリーズです。毎年、テーマを設定して、6回程度開かれます。以前、お囃子が取り上げられた時に参加したことがあります。ゲストが大倉源次郎さんで、実に興味深い内容でした。

 今年は能の作者を一人ずつ順に取り上げていくようです。ゲストはなし。昨日、私が参加したのは1回目で、観阿弥でした。
 宗一郎さんが観阿弥の出自、曲の特徴などをレクチャーされます。観阿弥の作品の一部を宗一郎さんの指導で参加者が声を揃えて謡ったりもしました。

 最後の30分余りを使って、宗一郎さんが観阿弥の作品「自然居士(じねんこじ)」を初めから最後まで通して謡われました。これが素晴らしかったです。
 私は今まで、能の謡には独特の抑揚があるけれど、それは型に沿ったもので、謡で感情表現がされることはないものと誤解していました。だから、詞章が聞き取れないと意味がわからず、何も理解できないという結果になってしまいがちだったのです。

 ところが宗一郎さんの謡を聞いていると、抑揚や声の調子によってシテの感情が表現されていることがたやすく理解できたのです。これには感動しました。実にわかりやすい。
 「能は難しいものではありません」とよく言われる言葉が、お題目ではなく、本当にそうなんだと納得がいきました。

 謡い終えた後の宗一郎さんのお話によると、実際に舞台で上演する時の3倍くらいの速度で謡ったのだそう。そこにもわかりやすく感じられたポイントがあったのかもしれません。
 松岡心平という研究者によると、室町時代に能が盛んに上演されていた頃、謡のスピードは現在の3倍くらいだったのだそうです。すごく速かったんですね。
 初めて観阿弥(そして世阿弥)の舞台を見た足利義満が感動して、以後、彼らの一座を贔屓にしたというのも、今の3倍のスピードだったと考えた方が、納得できる気がします。

 観阿弥の作品の特徴に、禅問答、芸尽くし、クセ舞というのがあるそうです。このうち禅問答については、「自然居士」でも自然居士と人買い商人とのやりとりの場面で行われます。人買い商人から少女を取り戻そうとする自然居士と、抵抗する商人との間に緊迫した言葉の応酬がなされるのです。

 このシーンが「禅問答」に当たるらしいです。でも、聞いていると自然居士の繰り出す言葉が機知に富んでとても面白く、漫才のような話芸のルーツを見るような思いがしました。能って、ひょっとすると、知られている以上にもっと多くの芸能の源泉だったのかもしれないなあと考えました。

 次回は4月20日(金)の夜、取り上げるのは世阿弥です。6時半〜8時という時間帯なので、帰宅が10時過ぎになってしまうのが少し困るのです。でもやっぱり興味を惹かれるので、参加するつもりです。

 帰りの地下鉄で見た光景から一句。

    桃の枝提げて電車へ会社員

 ついでに、今日読んだ句から二句。

    愛猫の昔語りや恋の夜

    二つ三つ芽吹かせて去る女神かな
 


2018年2月12日 (月)

能「一角仙人」

 「一角仙人」のあらすじを当日のチラシから転載します(適宜、表記を変え、改行しています)。

  インド波羅那(はらな)国の傍らに、鹿の胎内より生まれ額に一本の角が生えている一角仙人という名の仙人がいました。

 ある時仙人は龍神を神通力で岩屋の内へ封じ込めてしまいます。すると雨が降らなくなり、困った帝は絶世の美人、旋陀夫人(せんだぶにん)を旅人に仕立て、偶然を装い仙境に送り込みます。

 はじめは追い返そうとする仙人でしたが、旋陀夫人の色香に迷い、酒を勧められ、旋陀夫人の舞に心奪われ舞い始めます。
 やがて酔いが回り仙人はそのまま眠ってしまいます。旋陀夫人は喜んで都に帰っていきます。

 すると神通力が解け、岩屋が鳴動し龍神たちが姿を現します。仙人は驚き騒ぎ剣を手に立ち向かいます。龍神たちが必死で応戦しますと仙人は力尽きてしまいます。龍神たちは喜び勇み雷電を天地に轟かせ大雨を降らせ、白波に乗り竜宮へ帰って行きます。

・・・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・・・

 前もってこのあらすじを読んだとき、歌舞伎の「鳴神」と同じ話だとわかりました。もちろん能が先行して、のちに歌舞伎化されたのです。
 「鳴神」は何度か見たことがあるので、比較しながら見ることができ、楽しめました。

 まず最初に作り物が三つも運び込まれることに驚きました。舞台の正面に一畳台。その上にやたらと大きな青い鐘のような形をしたものが置かれます。最後に引き回し幕で覆われた山がワキ座のあたりに置かれます。

 ワキ(帝の家来)が旋陀夫人を伴って登場し、庵を見つけます。庵からシテ(一角仙人)が現れます。黒っぽい地味な装束です。後見がワキ座の山の引き回し幕を下ろし、中からシテの登場となるのです。シテがワキ座に置かれた作り物から出てくるなんて、意外でした。

 旋陀夫人が美しく舞うと、一角仙人もつられるようにして舞い始めます。仙人は舞ったことがないので、旋陀夫人の真似をするようにして、少し遅れて、ややぎごちなく舞います。その様子がちょっと滑稽です。

 旋陀夫人はあっさりと退場してしまい、かと思うと正面の作り物がガバッと半分に割れて(桃太郎の桃みたいに)、二人の龍神が飛び出します。赤頭(あかがしら。歌舞伎の「連獅子」のような赤くて長い毛の被り物)に龍戴(りゅうだい。龍をかたどった飾りを頭に乗せる)。金をふんだんに使った豪華な装束です。

 仙人は老人で、しかも旋陀夫人によってパワーを失っているのに対して、龍神たちは若者のようで、元気いっぱい。激しい動きを見せます。斬り合いを繰り広げますが、案の定、仙人は負けてしまい、退場します。
 龍神たちが退場し、最後の一人が橋掛かりの幕のきわで留拍子を踏みます。

 わかりやすく、視覚的にも楽しめる曲でした。それにしても一角仙人、弱すぎ!
 歌舞伎では一角仙人は鳴神上人、旋陀夫人は雲絶間(くものたえま)姫という名前です。舞台奥の滝に龍神が閉じ込められているという設定で、雲絶間姫は鳴神上人が酒に酔って眠り込んだ隙に、滝に張り渡された結界のしめ飾りを切り落とします。
 すると龍神が解放されて空へ飛んでいくのですが、そのことは光と音で表現されます。
 能よりも雲絶間姫のしどころが多く、華やかさが盛り上がるのが特徴かもしれません。

 湊川神社の能楽堂へは久しぶりに行きました。能舞台の広さは一定だと思うのに、なぜか広く見えます。天井が高くて、暖房が効きにくいのか、足元が冷えました。スタッフの女性がひざ掛けを配っていたので、それを借りました。
 午後の公演だったので着物を着ようかなと考えていたのですが、ひどく寒く、少し風邪気味だったので断念しました。
 

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