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カテゴリー「能・狂言」の記事

2019年2月15日 (金)

俊徳丸伝説

 「弱法師」に出てくる「俊徳丸」という人物は古い説話の主人公です。ウィキペディアには、

 河内国高安の長者の息子で、継母の呪いによって失明し落魄するが、恋仲にあった娘・乙姫の助けで四天王寺の観音に祈願することによって病が癒える。
 この題材をもとに謡曲の「弱法師」、説経節「しんとく丸」、人形浄瑠璃や歌舞伎の「摂州合邦辻」などが生まれた。

 と記されています。

 「弱法師」(世阿弥自筆本)では、終わりのほうで通俊がシテに名前を尋ね、シテが「俊徳丸」と答えます。ここで私は「ああ、この曲は俊徳丸の話だったんだ」と思いました。そして、ここまで俊徳丸の名前を伏せていたところに作者の意図を感じました。
 でも、昔の観客は冒頭、通俊が「子どもがいたが、ある人の讒言で追放した」と語るくだりで「俊徳丸の話だ」と気づいたのかもしれません。

 蜷川幸雄が演出した藤原竜也のデビュー作「身毒丸」は、寺山修司が岸田理生とともに俊徳丸伝説をもとにして脚本を書いたものです。寺山が主宰する「天井桟敷」で上演されていました。
 95年に蜷川幸雄がこの作品を初演出。このとき主人公を演じたのは武田真治で、共演は白石加代子でした。
 2年後にオーディションが行われ、演劇経験のない藤原竜也が抜擢されました(白石加代子は継投)。この舞台がロンドン公演で絶賛され、98年に日本でも上演されたのでした。
 
 人形浄瑠璃と歌舞伎の「摂州合邦辻」の主人公は俊徳丸の継母、玉手御前です。若くて美貌のこの女性は継子の俊徳丸に恋をした上に、許嫁から奪うために毒を飲ませて失明させ、らい病(ハンセン病)にします。
 玉手御前が俊徳丸を陥れた本当の理由は別にありました。衝撃の真相がクライマックスで明かされます。俊徳丸伝説からよくこんなストーリーを創り出したものだと感心してしまいます。
 玉手御前は、文楽でも歌舞伎でも、ほかの作品には見られない強固な意思と行動力の持ち主で、とても魅力的です。


 大阪府の八尾市には今も高安という地域があり、隣の東大阪市には俊徳町という町名が残っています。近鉄電車には高安、俊徳道という名前の駅があります。
 関西に住んでいると、古典の作品の中で知っている地名と出会うことが多いのがうれしいです。




 

2019年2月13日 (水)

能「弱法師」(大槻能楽堂)

 素謡「屋島」に続いて能「弱法師(よろぼし)」が上演されました。主な出演者は次のとおりです。

    シテ      大槻文藏
    ツレ      武富康之
    ワキ     福王茂十郎
    ワキツレ  是川正彦
    同      喜多雅人


    大鼓    山本哲也
    小鼓    清水晧祐
    笛      赤井啓三

    間(アイ) 茂山七五三
    同     茂山千三郎

    地頭(地謡のリーダー)  観世清和


 あらすじを紹介します。

 河内国高安の里の通俊(みちとし、ワキ)は、人の讒言によって一子を追い出した。何年かたってその子を不憫に思い、四天王寺に詣で、7日間の施行を行う。
 その中日がちょうど彼岸の中日に重なった。この日、四天王寺は日想観を拝もうとして人々が押し寄せる。
 そこに盲目の乞食(シテ)が妻(ツレ)とともに四天王寺の石の鳥居に立ち寄る。よろよろとよろめき歩くところから弱法師とあだ名された乞食である。
 これを見た通俊は言葉を交わし、この弱法師が身なりに似ず雅情豊かな若者だとわかる。
 よくよく見ると、追い出した我が子である。悲嘆のあまりに盲目になったのだ。不憫だとは思ったが人目もあり、夜に入って父と名乗り高安へ連れて帰ることにする。
 日想観の時刻になり、シテは記憶に残るさまざまな美しい情景を思い浮かべるうち、本当に目が見えたような境地に至る。ところが折しも群衆が押し寄せ、シテは人にぶつかってころんでしまう。人々は笑い、シテは半狂乱になる。
 そのとき、
通俊が「あなたは何という名前ですか」と声をかける。シテは「高安の里の俊徳丸」と答える。まぎれもなく通俊の一子であった。俊徳丸は恥ずかしがって逃げようとするが、通俊は追いつき、俊徳丸の手を取って高安に帰っていく。

 今回の上演は「世阿弥自筆本による」という注釈がついており、普通に上演される「弱法師」とは少し違っていたようです。たとえば、普通バージョンでは弱法師は少年で、妻は登場しません。
 もっとも、こんな違いは後で調べてわかったのでした。

 シテが登場する場面は、ツレが前を歩き、シテは左手をその肩に乗せ、右手で細い杖をついています。
シテの装束は、若い人物なのにとても地味でした。ボロをまとっている様子を表現しているのでしょう。
 シテが目が見えたと錯覚するほどはっきりと思い浮かべるのは住吉、淡路島、須磨明石、難波の浦、長良の橋など。室町時代には実際に四天王寺から見えただろうと思われる遥かな景色です。見ている私の心にも春の夕暮れの光に満ちた美しいイメージが浮かびました。

 あらかじめあらすじを調べていたのですが、シテが群衆に押されてころぶという場面は、おそらく抽象的に表現するのだろうと思っていました。能では必ずしもリアルな演技はしないからです。
 ところが文藏さんは尻餅をつくようにしてかなり激しく転びました。このシーンは衝撃的でした。直前で美しいイメージを描いてすがすがしい気分に浸っていただけに落差が激しく、弱法師の受けた心の痛手、ショックが強く伝わってきました。

 要約すると、父親から追放されて視覚障害者になり乞食として放浪していた主人公が仏教の教えにより救いを得たように思ったが、その直後、人にぶつかってころび、盲目という現実、苦悩のどん底に突き落とされる。そのとき父親が現れて救いの手を差し伸べ、元の平安な暮らしに戻ることができた。
 というお話なのですが、この後、この主人公は幸せになったのでしょうか。気になるところです。

 地謡の清和さんを見ていると、顔の筋肉をしっかり使って感情を込めて謡っています。これにも驚きました。地謡は目を閉じて瞑想するような体で謡う人が多いので、そういうものだと思い込んでいたからです。
 清和さんにリードされた地謡はとても力強く、後半をしっかり盛り上げていました。

 この日、見所(けんじょ。観客席)は多く見積もっても6割程度の入り。大槻文藏さんがシテを勤める能があり、観世清和さんがその地頭を担当しただけでなく、この後、仕舞「西行桜」も舞ったというのに、なんというもったいないことでしょう。お客のほとんどが高齢者というのも寂しかったです。

 大槻能楽堂は建物が老朽化してきているので、今年、大規模な改修工事が行われます。完成後はイヤホンガイドも導入されるとか。今よりもっと幅広い層の観客が能を見るようになってほしいと切に願っています。

追記:「日想観」とは、「観無量寿経」にみえる観法の一つで、西方に沈む夕日を見て、浄土を想念すること。(「能を読む3  元雅と禅竹 夢と死とエロス」角川学芸出版より) 






 

2019年2月11日 (月)

「弓流し」とは+景清、阿古屋

 義経の亡霊が語る「弓流し」の話とは? 以下、謡の詞章から説明します(私の意訳です)。

 屋島の戦いでは源氏方は陸におり、平家方は海に船を浮かべていました。そのさなか、義経は弓を取り落としてしまいます。
 弓は波に流されて平家方の船に近づき、平家の武士たちは熊手でそれを引き寄せようとします。義経は騎乗のまま敵船に近づき、熊手を切り払って弓を取り戻し、陸へ引き返します。

 その一部始終を見ていた義経の腹心の部下は「たとえその弓が黄金でできていようとも、あなたの命には代えられません。なんという情けないことをなさるのですか」と嘆きます。
 すると、義経はこう語ります。
 自分は体格が小柄で腕力も強くはない。弓も体格や力に合うものを使っている。その弓が平家の武士に取られて、「義経は小兵だ」と言われては自分の名誉にかかわる。武士の名前は末の世まで残るものなのだ。自分は弓を惜しんだのではなく、命も惜しまず、名を惜しんだのだ。

 これを聞いて、当の部下ばかりかほかの人々も感動するのでした。

 (このエピソードは「平家物語」巻一一に記されています。)

 以下は蛇足です。

 「悪七兵衛景清」の「悪」というのは、悪いという意味ではなく、強いという意味です。
 歌舞伎と文楽で人気の演目「阿古屋」のヒロイン、阿古屋は五条坂の遊郭の傾城(けいせい。格の高い遊女)で、景清の恋人でした。
 平家没落後も景清は生き残り、姿をくらまします。源氏方は阿古屋を捕え、景清の行方を知っているはずだと追及します。阿古屋は知らないと突っぱねます。
 
 力づくの拷問にかけようとする人物を遮って粋な「拷問」に当たったのが畠山重忠という人間味溢れる武士です。阿古屋に琴、三味線、胡弓の3種類の楽器を次々に演奏させ、音色に乱れがあれば嘘をついている証拠だと、演奏に耳を傾けます(位の高い遊女は諸芸に秀でているので、これらの楽器の演奏はお手のものなのです)。
 阿古屋は景清への思いを込めて楽器を演奏し、一切乱れを見せなかったことから、重忠は阿古屋を無罪放免するというお話です。

 この阿古屋、とんでもない重量の傾城の扮装で演技をしながら3つの楽器(とりわけ胡弓が難しいそうです)を弾きこなさなければならないところから、歌舞伎では屈指の難役とされ、かつては六代目中村歌右衛門、その後は歌右衛門から教えを受けた坂東玉三郎、それぞれの時代にただ一人の女方が演じてきたのです。
 ごく最近、玉三郎が二人の若手俳優(中村梅枝と中村児太郎)にこの役を伝授したことが話題になっていました。

 文楽では桐竹勘十郎さんが阿古屋の人形を遣っています。この人形はほかの人形と違い、手の指が関節ごとに動くように作られています。実際には楽器は床で演奏されるのですが、まるで人形が楽器を奏でているようなリアルな動きをするところが圧巻です。勘十郎さんと左遣いの息がぴったり合っていて、両手が滑らかに動きます。何度見ても素晴らしい舞台です。

 床の演奏は、阿古屋がそのとき使う楽器をソロで演奏するのではなく、三味線が2台つきます。琴、三味線、胡弓をそれぞれ一つだけ奏でたのでは演劇の効果としては弱過ぎるからでしょう。
 三味線2台の迫力ある演奏によって、この場面は盛り上がり、阿古屋の気持ちを表現する音色と相まって深い感動を残してくれます。




2019年2月10日 (日)

素謡「屋島」(大槻能楽堂)

 昨日、大槻能楽堂で大阪観世会定期能を見ました。大槻文藏さんがシテを務める「弱法師(よろぼし)」を見るのが主な目的でした。
 開演後、最初の曲は「屋島」の「素謡」でした。これがとても面白かったので、まずここから書くことにします。

 「素謡」という上演形式を鑑賞するのは初めてなので、どんな風にするのかを知りませんでした。
 切戸から男性が7人、登場し、目付柱の方向に向かって2列に並んで座ります。1列目は3人、2列目は4人です。

 前列向かって右端の方が謡い始めました。発声が明瞭でとても聞き取りやすい。「これは都方より出でたる僧にて候」などの言葉からワキだとわかりました。
 続いて1列目中央の方と向かって左端の方が謡います。その内容から中央の方がシテ、左端の方はツレとわかりました。後列の4人は地謡でした。

 つまり「素謡」というのはお囃子と舞を省いて謡だけで演奏する方法だったのでした。このやり方で「屋島」をどこまでやるのかと思ったら、一曲通して上演されました。50分くらいかかりましたが少しも退屈しませんでした。

 というのは、ワキばかりでなくシテ、ツレ、地謡の謡う詞章も聞き取りやすく、9割近く理解できたり、理解できなくてもおおよその想像がついたりしたからです。楽器の音がないと、謡はこんなにも聞き取りやすいのかと驚きました。
 詞章と謡の雰囲気から、描かれている場面が目の前に鮮やかに浮かび上がります。謡を聞いていて、ここまではっきりとシーンを想像できたのは初めてでした。
 笛と打楽器だけで構成されている能のお囃子は大好きなのですが、重なると謡が聞き取りにくくなりがちなのです。

 前もってネットであらすじや展開を読んでおいたのも役に立ちました。能を鑑賞する回数が増えて、謡の詞章に使われる表現に慣れてきたという側面もある気がします。そんなふうに思えることそのものが、能の鑑賞について発展途上にある私にはうれしくてたまりませんでした。

 季節は晩春。場所は四国の屋島の浦。夕暮れから明くる日の夜明けごろまでの出来事です。
 前シテは年老いた漁師。僧に一夜の宿を貸します。ツレは若い男です。漁師は僧に屋島の合戦の模様を尋ねられて、三保の谷(みおのや)の四郎と悪(あく)七兵衛(しちびょうえ)景清(かげきよ)という二人の勇者が競う「しころ引き」のエピソードや佐藤継信の最期をいきいきと語ります。
 その話の詳しさに僧が「あなたは誰ですか。お名前は」と聞くと、老漁師は義経の亡霊であることをほのめかして消えます。

 後シテは義経の亡霊。夜になってまどろむ僧の前に現れ、誇らかな思い出である「弓流し」の様子を語って、自分は命は惜しまなかったが名を惜しんだ(名誉を重んじた)のだと言います。
 そうして戦ってきた義経ですが、死後は修羅道に落ちており、ワキの前で能登守教経とのいくさを繰り広げます。

 春の夜が明け始め、敵と見えていたのは群れいるかもめ、ときの声と聞こえたのは浦風だったことがわかります。夜が明けて、高松から朝風が吹いてきました。

 この結末の部分が実に美しいのです。闇が薄れ光が屋島の浦を覆い始めるとともに義経の亡霊が消えて行く。その哀れさ、はかなさに胸を打たれました。
 詞章は次のとおりです。

  水や空、空行くもまた雲の波の、撃ち合ひ刺し違ふる、船戦(ふないくさ)の駆け引き、浮き沈むとせしほどに、春の夜の波より明けて、敵(かたき)と見えしは群れいる鷗、ときの声と聞こえしは、浦風なりけり高松の、浦風なりけり高松の、朝嵐とぞなりにける

 これを謡独特の8拍子で聴くと、涙ぐみそうになります。

 シテは山本博通、ツレは寺澤幸祐、ワキは赤瀬雅則、地謡は山田薫、梅若基徳、山本章弘(地頭=地謡のリーダー)、梅若堯之の皆さんでした。
 ちなみに梅若基徳さんは西宮能楽堂を運営している方で、山本章弘さんは素人義太夫の発表会の会場として使わせていただいている山本能楽堂の主宰者です。


 
 
 

2019年2月 2日 (土)

金剛能楽堂で今年三度目の「翁」

 先月27日(日)、京都の金剛能楽堂で「翁」を見ました。金剛流の「翁」は私が今まで見てきた観世流の「翁」とは少し違っていました。
 
 観世流では鏡の間で切火をしてから(客席からは見えません。火打石を打つカチカチという音だけが聞こえます)、揚幕の客席から見て右側下の方を少し上げ、橋がかりに手を出して(どういう役回りの方がしているのかはよく知りません)切火をし、舞台を清めます。
 金剛流ではかみしもをつけた男性が揚幕から橋がかりの三の松あたりまで出てきて切火をしていました。あとで登場した後見の方々と同じ着付でしたので、そのうちの一人がこの任を果たされたのだろうと思います。

  面箱(めんばこ)という人物は登場しませんでした。つまり、登場人物は翁を務める大夫、千歳、三番三の三人なのです。面(おもて)の入った箱は千歳が押しいただいて登場します。この千歳は狂言方が務めるそうです。
 大夫(翁)の後見は観世流では二人ですが、金剛流では三人でした。

 大夫(翁)は金剛永謹(ひさのり)さん。金剛流のご宗家です。長身で整ったお顔立ち。二枚目とかイケメンとかいうよりも、長年、古典芸能に精進している方独特の渋い風貌です。
 この方、京都観世会館で一度だけ仕舞を拝見したことがあります。その折も「かっこいい方だなあ」と印象に残ったのでした。

 大夫は揚幕から重々しい足取りで進み、舞台正面で深く礼をします。このとき、観世流では確か正座だったと思うのですが、金剛流では右膝を立てて座っていました。礼は、観世流では(というか、大槻文藏さんは)
上半身を深々とかがめますが、金剛流ではやや浅い角度でした。
 千歳は山下守之さん(この方は初めて拝見しました)、三番三は前回と同じ茂山忠三郎さんでした。

 翁の舞は気品に溢れていて…と拝見しているうちに心地よい眠気に襲われてしまいました。なので、このあとはしっかり鑑賞することができていません。もったいないことをしました。

 会場で配られた資料によると、千歳は若者の、翁は集団の長の、三番三は農民の象徴と考えられているそうです。また、翁が白い面(白式尉、はくしきじょう)を、三番三が黒い面(黒式尉、こくしきじょう)をかけるので、対になっています。黒い面は翁の「もどき」であり、服従や茶化しが隠されているのだろうとのことでした。

 「翁」の後、狂言「佐渡狐」。茂山七五三(しめ)、茂山あきら、茂山千作の皆さんでした。狂言方として知られている京都の茂山家には忠三郎家と千五郎家の二つの系統があるようです。
 三番三を舞った当代の忠三郎さんは30代後半という若さです。先代の忠三郎さんは狂言の舞台で拝見したことがあります。

 休憩を挟んで仕舞三曲。「老松」「東北」「国栖」と、めでたい曲が並びました。ここで気づいたのですが、金剛流の地謡は謡うとき、扇子を膝上に両手で水平に構えるのです。観世流では右手でかなめのあたりを持って、先端を膝前中央あたりの床についていました。

 おしまいは能「内外詣(うちともうで)」。金剛流独自の演目です。
 シテは金剛龍謹(たつのり)さん。ご宗家のご子息です。この方も以前、京都観世会館で仕舞を拝見しました。そのときは稀に見るような美形でしかも鋭利な刃物のようなお顔だと思ったのですが、今回はとても穏やかなお顔つきで、まるで別人のように見えました。曲の内容によってすっかり変わるのでしょうか。

 シテのお顔がわかったのは伊勢大神宮の神官という設定で、前シテは直面(ひためん)だったからです。後シテは面を付け、赤くて短い毛を被り、小さい木琴の鍵盤のようなのが並んだもの(何という名前なのか、わかりません)を額に着けていました。
 この姿は獅子を表していて、「獅子舞」を舞うのです。キレの良い舞いぶりが見事です。動物の動きを表す所作が何度も見られました。

 金剛能楽堂には初めて行きました。

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 舞台はかなり歳月を経た建築物のようで、風情たっぷりです。客席は新しく、座席もゆったりして座り心地がよかったです。
 美しいお庭があり、ロビーからテラスに出て眺めることができます。

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 ご宗家の永謹さんは人柄が良いことで知られているようです。私のような能楽については初心者プラスアルファ程度の者にまでその評判が伝わってくるのですから、能楽界ではよく知られているのでしょう。 
 今月23日に京都観世会館でこの方が「土蜘蛛」を舞うと知って、見に行きたいと思ったのですが、すでにチケットは完売になっていました。


 

2019年1月15日 (火)

能「羽衣 彩色之伝」(京都観世会館)ほか

 狂言「鎧」の途中で席に戻りました。「鎧」が終わって20分の休憩の後、仕舞二曲。「屋島」浦田保浩、「野守」杉浦豊彦、でした。

 この後、この日一番見たかった「羽衣 彩色之伝」が始まりました。主な出演者は次のとおりです。

    天人     観世清和
    漁夫白龍  福王茂十郎
    漁夫     中村宜成
    漁夫     喜多雅人

    大鼓     河村 大
    小鼓     林吉兵衛
    太鼓     前川光長
    笛       杉 市和

    後見     林宗一郎
            片山九郎右衛門

 実はこの観世流宗家が舞う「羽衣 彩色之伝」、元旦にNHKで放送されたのを録画して見たのです。そのとき、面(おもて)の表情に今まで見たことがないほどの深さを感じて、感動しました。装束も、見たことがないほど美しく、テレビでさえこんなに心を打たれるのだから、生の舞台ならどれほど素晴らしいだろうと思ったのです。
 その後、京都観世会館のホームページをのぞくと、同じ曲を同じ小書きで同じ観世清和さんが舞うことがわかり、ぜひ見ておきたいと思ったのでした。

 「羽衣」は、あまたある現行曲の中でも最も上演回数が多いのだそうです。それくらい人気が高いのでしょう。私もずっと前に見た記憶があるのですが、そのときはよくわからないままに終わってしまいました。

 見どころは天人(シテ)の舞です。お囃子はやや速い演奏なのですが、シテはゆるやかに舞い続けます。音楽と舞とが付かず離れず合っているところが絶妙でした。

 今回の「羽衣」では、謡の詞章が細部まで聞き取れなくても、感じ取ることを大事にすれば能は十分楽しめることがよくわかりました。
 じっと面を見ていると、はるか空のかなたに視線をやっているような、どこか切ないような表情を浮かべます。そこに心が震えるほどの深いものが感じられます。あとで調べると、月の世界を讃えて舞う場面や月の世界の天子を礼拝する場面だったようです。
 天人が人間の世界を祝福し喜びを与えるような仕草が美しく、見ていて心身が清められる気のする場面がありました。ここも私が受け取ったとおりの意味合いだったのでした。

 羽衣伝説にはさまざまなパターンがありますが、能では、羽衣を奪われたのでは天に帰れないと嘆く天人を哀れんで、白龍が羽衣を返します。このような人間の持つ「善」の部分に天人がこたえて、祝福するのだろうと考えています。

 装束は、初めから着ている小袖は朱色地に金雲と鳳凰。テレビで見たとき、きれいだけど何の柄だろう? と気になっていたところ、snowdropさんが同じ番組をご覧になって、教えてくださいました。文様の表現がまるで現代の油絵のような力強いタッチでした。
 地の色は、テレビでは赤みが強く見えたのですが、この舞台では唐織によく見られる朱色でした。照明の加減で見え方が変わるのかもしれません。

 白龍から返してもらって物着で(舞台奥で)身につける長絹は、白い地色の薄物。藤のような植物が描かれており、これもとびきりきれいで、まさに天女の衣のようでした。
 天冠(頭に乗せる被り物)には一番上に蓮の花が付き、キラキラした簪のような飾り(瓔珞、ようらく)が揺れていました。

 ラスト、天人は片袖を頭にかづき、あとじさりする形で消えていきます。白龍は舞台向かってやや左寄りの位置に立ち、それを見送ります。と言っても天人の方を直接見るのではなく、舞台後方(白龍から見ると右の奥の方)を見ているのです。ここは能独特の演出なのかもしれません。
 天人が消えていくさまがこの上なく美しくて清々しい。お正月にこの「羽衣」を見ることができて、幸せいっぱいの気分になりました。

  「彩色之伝」という小書き(特殊演出)がつく場合、上演時間は本来の上演方法より短くなりますが、演出としては重々しくなるのだそうです。演じ方は小書きによってかなり変わるのか、私の隣に座っていた女性客二人があとで「今まで見た羽衣とずいぶん違うね」と話していました。

 休憩15分の後、仕舞3曲。「老松」片山九郎右衛門、「東北(とうぼく)」井上裕久、「鞍馬天狗」林宗一郎、でした。林宗一郎さんは有斐斎弘道館で謡を教えてくださった講師の先生です。

 おしまいは能「小鍛冶」。正先に置かれた台の上で稲荷明神と三條宗近という名前の刀匠が実際に刀を鍛える所作をするところが面白い。シテの稲荷明神(前シテは童子)は深野貴彦、ワキの三條宗近は小林努でした。

 全部が終わったのは6時近く。11時開演から2回の休憩を挟んでおよそ6時間です。これで入場料6000円というのはお得と言えますが、長過ぎていささか疲れました。

追記:その後、能に詳しい方のブログを読んで、この日の装束の名前がわかりました。初めは「紅地鳳凰縫箔腰巻」、白龍に返してもらって着る長絹は「白地藤花蝶文様長絹」でした。




今年二度目の「翁」(京都観世会館)

 13日(日)、久しぶりに京都観世会館へ。「京都観世会一月例会」を見に行きました。目的は「羽衣」を見ることでしたが、最初に「翁」が上演されたので、今年二度目の「翁」を拝見することができました。

 主な出演者は次のとおりです。

    翁     大江又三郎
    三番三  茂山忠三郎
    千歳    樹下千慧(じゅげ ちさと)
    面箱    井口竜也

         大鼓   谷口正壽
    小鼓頭取     吉阪一郎
       脇鼓    荒木建作
       脇鼓    清水皓祐
    太鼓   井上敬介
    笛     杉信太朗

    後見   大江信行
          浦田保浩

 千歳の樹下千慧さんは、私が有斐斎弘道館で謡を習っていた時の先生の一人です。まだ若い能楽師ですが、素晴らしい声の持ち主。若さと力強さに溢れる千歳を見せていただきました。

 翁を演じた大江又三郎さんはシテ方の家柄、大江家のご当主。背が高くて恰幅が良く、堂々とした翁です。大槻文藏さんの翁には神々しさや霊性の高さが感じられますが、この方の翁は人間に近く、温かみが伝わってきました。

 三番三(京都観世会館のプログラムでは「三番叟」ではなく「三番三」と表記されていました)の茂山忠三郎さんも、とてもよかったです。所作や掛け声の一つ一つに意味と必然性があると感じられました。鈴は大槻能楽堂で使われたものより小ぶりに見えました。
 お囃子が途中からまるでジャズのセッションのように聞こえてきました。舞もお囃子に乗って実に心地良く、私はなぜともなく「うん、うん」とうなづきながら見つめていました。

 「翁」が終わると、小鼓の脇鼓お二人が下がり、ほかの囃子方はそのまま残ります。地謡の8人は舞台奥(「翁」の時は、地謡はこの位置です)から常の地謡の座へ移動しました。何が始まるのかと思ったら、このままの顔ぶれで次の曲「難波」に入ったのでした。

 この曲は途中、気持ちよく眠ってしまい、よくわからずじまい。収穫は、笛方の杉信太朗さんが素晴らしかったことです。「翁」の時には気づきませんでした。
 私の大好きな笛方、杉市和さんの子息で、30代半ばの若さ。音色が驚くほど濃密で滑らかで気迫に満ちていました。この方の笛は今までにも聴いたことがあるはずなのに、この日初めて聴いたような驚きに打たれました。将来が楽しみです。

 開演が11時、「難波」が終わったのは2時。3時間もの間、固い座席に座っていたので疲れてしまいました。引き続き狂言「鎧」が演じられたのですが、あまりにも疲れたし、お腹も空いていたので、いったんロビーに出ることにしました。私のほかにもここで休憩をとったお客が多かったです。
 狂言師の方々(茂山千作、茂山千五郎、網谷正美)には申し訳なかったのですけれども、3時間以上ぶっ続けというのはちょっと長すぎました。番組立てをもう少し工夫していただきたかったです。

 「羽衣」については別に書くことにします。



2019年1月10日 (木)

着物で「翁」(大槻能楽堂)

 

大槻能楽堂で「翁」を見た日は、着物を着ました。

Photo

 地色は沈んだピンクです。友禅と絞り、一部に刺繍を用いて組紐を表現しています。組紐には吉祥の意味合いがあるようです。

Photo_2

 この着物は実家の母のものでした。母の晩年に私がもらったとき、
着た形跡はなく、新品同様でした。ピンクですが派手ではないので、40代の頃から今も重宝しています。
 身幅が狭いので着付がしやすい一方、身丈が短めでおはしょりが少ししか出ません。

 新春らしく明るい色の袋帯を締めました。草花や御所車、吉祥文様が織り出してあります。長女と共用でたびたび使ってきた愛用の品ですが、そろそろ年齢に合わなくなってきたかもしれません。

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 12日(土)はお茶の先生宅での初釜です。同じ着物で、帯だけ変えて出かけるつもりです。



2019年1月 8日 (火)

新春能「翁」を見ました

 1月4日はこの3年ほど恒例になって来た初観能。大槻能楽堂で「翁」を見ました。演者は以下のとおりです。

  翁      大槻文藏
  三番叟   野村裕基
  千歳      大槻裕一
  面箱      中村修一

  笛      杉 市和
  小鼓  頭取  成田達志
       胴脇  成田  奏
       手先  曽和鼓堂
  大鼓      亀井広忠
  
  後見      赤松禎友
          武富康之

  地謡     多久島利之
          齊藤信隆
          山本章弘
          梅若猶義
          山本正人
          大西礼久
          齊藤信輔
          寺澤拓海
  
  狂言後見  野村萬斎
          深田博治


 会場が神々しいほど厳粛な空気に包まれました。とりわけ翁を舞う大槻文藏さんが橋がかりを極めてゆっくりと重々しく歩む姿には目も心も吸い寄せられます。
 演者全員が舞台に揃った時の配置が絶妙で、寸分の無駄もない美しさが感じられました。

 千歳(せんざい)の大槻裕一さん(大槻文蔵さんの芸養子)が若さ溢れる力強い舞を見せたあと、いよいよ翁の舞です。大槻文藏さんの翁は一昨年拝見しています。昨年は観世銕之丞さんで、この方もよかったのですが、やはり大槻文藏さんは別格です。辺りを払う存在感と品格。私には神そのもののように気高く見えました。

 翁と千歳は退場し、三番叟(さんばそう)の舞が始まります。「翁」の中では、三番叟が舞う場面が一番長く、狂言方が務めます。
 私は一昨年は野村万作さん(人間国宝)、昨年はその息子さんの野村萬斎さんで拝見しました。二人とも素晴らしかった!
 今年は万作さんの孫、萬斎さんの子息の裕基さんが三番叟です。どんな舞を見せてもらえるだろうとワクワクしていました。

 ところが、結果はとても残念でした。芸がまだ三番叟を舞う水準に達していません。声も体もできておらず、体がまとう空気感が希薄なのです。お祖父さんやお父さんとはキャリアがまったく違うのですから、比較するのが酷なのはわかっています。ただ、どうしてこの若い狂言師(18歳)に三番叟の大役を任せたのだろうと疑問に思ってしまいました。
 途中からは孫を見守る祖母のような気持ちになり、無事に舞い終えることができるだろうかと、ハラハラしながら見続けていました。こんなことは初めてです。

 きっとご本人が一番辛かっただろうと思うのです。後見として舞台上で子息の舞を見つめていた萬斎さんは厳しい表情でした。あとでお父さんにどんなに叱られただろうと思うと気の毒です。
 伝統芸能の家に生まれて、芸を受け継いでいかなければいけない子どもさんたちはつくづく大変ですね。

 いつも「翁」を見たあとは心身ともに清められた気がして、清々しさに満たされて家路に就くのに、今回はその気分を味わうことができませんでした。

 調べてみると、万作・萬斎・裕基の親子三代で昨年9月、パリで三者三様の三番叟を披露しているのだそうです。そのとき裕基さんはどんな舞を見せたのでしょうか。
 今月、東京での公演では裕基さんは面箱(めんばこ)の役を務めています。この人、今の段階では面箱をじっくり稽古したほうがよいと思いました。
 ちなみに萬斎さんも18歳で三番叟を披(ひら)いています。萬斎さんが18歳で舞った三番叟が見たくなりました。

 「翁」の後、狂言「隠狸(かくしだぬき)」。万作さん・萬斎さん親子がたっぷりとまろやかな芸を見せてくれ、心地よく笑わせてもらいました。裕基さんの不十分さをいくらかは補っていただくことができました。

 締めくくりは能「国栖(くず)」。前シテ・漁翁、後シテ・蔵王権現を観世銕(てつ)之丞さんが務めました。登場人物が能楽師7人、狂言師2人と、華やかな舞台です。
 昨年の一時期、京都の有斐斎弘道館へ謡の稽古に通っていました。そのときの曲が「国栖」でしたので、内容はあらまし知っており、わかりやすかったです。謡本だけではわからなかった部分も視覚的に表現されることでよくわかり、楽しめました。残念ながら途中、少し眠ってしまいましたが。

 この曲、後シテの蔵王権現が面も装束も舞も実にかっこいいのですが、後シテが登場してから引っ込むまでの時間がとても短いです。一番盛り上がるシーンなのにあっけなく終わってしまうので、やや物足りなさを覚えてしまいました。めでたい気に満ちた曲ではあるのですが。

 ネットで調べたら、今月27日に京都の金剛能楽堂で「翁」が演じられることがわかりました。今まで見て来たのは観世流の「翁」ばかりです。金剛流の「翁」も一度見ておきたいと思い、チケットを申し込みました。「翁」の口直し(?)ができるかも、と期待しています。



2018年9月18日 (火)

能「菊慈童」を見ました

 9月9日の西宮能楽堂公演の続きです。
 今回の公演は「『重陽の節句』〜菊の葉の露のなぞ〜能『菊慈童』」というタイトル。いつものように、まず梅若基徳さんが解説をされました。
 9月9日は「重陽の節句」です。中国では奇数は陽の数字、偶数は陰の数字とされ、陽の数字のほうがめでたいのです。そこで、3月3日、5月5日、7月7日が特別な日となりました。

 中でも最大の奇数である9が重なる9月9日は最もめでたい日でした。陽の数が重なるので、「重陽(ちょうよう)の節句」と呼びます。
 この日、菊の花の上にわたを置き、菊の露を染み込ませ、そのわたで顔や体を拭くと不老長寿の薬になると言われて来ました。

 どういうわけか日本では9月のこの節句は3月、5月、7月ほどにはその重要性が長くは伝わって来ませんでした。
 「菊慈童」は菊と不老長寿の関わりを描いているので、まさに重陽の節句にふさわしい演目なのです。

 解説の後、「囃子フリートーク」。小鼓体験の指導をされた上田慎也・敦史兄弟による「兄弟で違うお囃子方を志して」と題してのフリートークです。さらに梅若基徳さんが指導して「菊慈童」の謡の一部をお客が稽古しました。
 毎月お決まりのこうしたプログラムの後、「菊慈童」が上演されました。主な配役は次のとおりです。

   シテ 慈童   梅若雄一郎(基徳さんの子息)
   ワキ 勅使   原   大

   大鼓   山本寿弥
   小鼓   上田敦史
   太鼓   上田慎也
   笛     貞光智宣

   後見   梅若基徳
         梅若猶義

   地謡   今村哲朗
         井戸良祐
         上野朝彦

 あらすじを『能楽ハンドブック』(三省堂)から紹介します(一部、書き替えています)。

  魏(ぎ)の文帝の臣下(ワキ)が「てつ(見慣れない漢字で、パソコンでは出て来ません)県山の麓から薬の水が湧き出た。みなかみを見て参れ」との勅命を受け、山中に分け入り、慈童(シテ)に出会います。慈童は少年の姿をしています。
 「何者か」と問われて慈童は「自分は周の穆王(ぼくおう)に仕えていた者だ」と答えます。穆王の寵愛を受けていたが、あるとき穆王の枕をまたいでしまい、その罪で深山に追放されたのです。
 周の穆王の時代は700年も前のこと。勅使が「700年も昔の人間とは、妖怪変化か」と怪しみます。
 追放されるとき穆王が哀れんで、枕に妙文(みょうもん。お経の一部分)を記して与えていました。慈童はその妙文を菊の葉に写し、葉に降りた露の滴りが不老不死の薬となり、700歳もの長寿を保つことになったと気づき、喜びの舞を舞います。
 そして、てつ県山の山の水は菊水の流れ、その泉はもともと酒なのだからと、勅使にもすすめ、自らも飲み、菊の花を折り敷いて寝ます。
 やがて目覚めると、700歳の寿命を文帝に捧げて、庵に入って行きます。祝言性の濃厚な曲。

・・・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・

 内容がわかりやすく、装束がきらびやか。作り物も二つも出て、そのうちひとつは菊の花で周りを取り巻いた寝台なので、華やかでした。
 「菊水」という名前の日本酒がありますが、ここから取られた名前なんですね。

 終了後、脇正面の座席を片付けてテーブルと椅子が置かれ、「能楽師とのティートーク」が行われました。これは予約していなかったのですが、まだ空きがあるとのことでしたので、申し込んで参加しました。

 梅若基徳さんのほか、途中から雄一郎さんも来られました。
 ここで出たお話で、驚いたのは、一つはこの能楽堂の建設に当たって、西宮市は一切、補助をしていないということでした。「文教都市」を謳い文句にしている自治体なのに、意外でした。

 もう一つは、「菊慈童」の穆王と慈童は同性愛の関係だったということです。謡の詞章に「寵愛」という言葉が出て来たので引っかかっていたのですが、やはりそうでした。穆王の周りには慈童だけでなく、何人かの少年がいたようです。

 ここで話は突然NHKの大河ドラマへ。世阿弥はとてもドラマチックな生涯を送った人物なので、大河ドラマの主人公として取り上げられても良さそうなのに、決して取り上げられることはない。それは、足利義満と世阿弥が同性愛の関係にあったからだそうです。
 このことは史実なので(私も知っていました)触れないわけにいかないし、NHKとしては大河ドラマでそうした性の問題は扱いたくないのだとか。
 「信長」では森蘭丸が登場しましたが、信長との同性愛の関係には触れませんでした。

 身分の高い男性が美少年を「寵愛」するという同性愛は広く行われていたことでしたし、一般社会でもよくあることだったのです。義満と世阿弥の関係は不思議でもなんでもないのですが、いつの頃からか(江戸時代も、当初はあったらしいです)廃れ、今では例えば芸能人が同性愛者だとわかると、袋叩きにあうようになりました。

 こんな話が飛び出して興味深く、また基徳さんが「後ほど舞台に上がってもらいます」とおっしゃっていたので、それも楽しみだったのですが、私は後にまだ用事が入っていたので、途中で退席しました。残念でした。

 次回、10月の公演は「井筒」です。超有名な曲なのに、私はまだ見たことがありません。最近では9月1日、大津の伝統芸能会館で味方玄(みかたしずか)さんがシテを勤めて上演されています。
 実はこの公演のチケットを早くから取っていたのですが、毎年8月末に行われる素人義太夫発表会が今年は会場の都合で9月2日になり、本番前日になってしまったので行くのを断念しました。
 というわけで初めての「井筒」です。とても楽しみです。


 


 

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